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2019年01月08日
肌本来の美しさをひきだすスキンケアセットが今だけお買い得☆
【おすすめスキンケアセットのご紹介☆】
VERNAL(ヴァーナル)の素肌つるつるセットは肌の汚れを優しく落とし、
肌本来の美しさを引き出す4ステップケアが特徴的な商品となっています。
1. もっちり泡の石鹸でしっかりクレンジング!
(アンクソープ)
不純物を強力に吸着する麦飯石(ばくはんせき)が含まれているので高い洗浄力があります。
そのためメイクの汚れや古い角質、
皮脂の汚れまでスッキリ落としてくれます。
2. ぷるぷる泡の石鹸で仕上げ洗い!
(センシティブザイフ)
キメの細かい柔らかな泡でまっさらな素肌へと仕上げます。
この石鹸には16種類の保湿成分も含まれているので、
この段階で潤いがあります。
3. 微粒子スプレーで潤いチャージ!
(エッセンシャルシャワー)
洗顔であれ化粧水を塗るであれ、
肌をこすることは肌へのダメージになってしまいます。
そこでVERNALではスプレーで潤すことに
着目しました!
微粒子ミストだから肌の奥※までしっかり潤してくれます!
※角質層まで
4. 最後に美容液クリームでお肌を保護!
(キハナクリーミーセラム)
洗顔でキレイになり潤った肌に、
さらに潤いを与えることでお肌を保護します。
お肌の常在菌バランスも保ってくれるので、
肌トラブルを遠ざけます!
この機会にぜひ試してみませんか?
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2018年11月26日
華やかに化粧をすることよりも、慎ましい化粧へ
昭和10年代、にわかに戦時色を帯びていく日本。そんな中、日本女性のよそおいはどのように変化したのでしょうか。今回は戦中の女性たちのファッション、化粧、髪型をみてみましょう。
ブラウスとスカートから防空頭巾ともんぺに
昭和10年代頃までは欧米から入ってくるファッション文化を取り入れ、華やかなよそおいを楽しんでいた女性たち。それが昭和12年、日中戦争が始まり、戦時色が強くなってくると着物の柄に軍国調のものが現れたりと、その様子はだんだんと変化していきました。そして昭和15年には、奢侈品製造販売規則が発令、昭和17年には購入できる衣服の量が年齢によって制限されるようになったのです。
当時、丈夫で質の良い繊維の多くは軍需用に消費されていました。そのため、婦人雑誌では、家庭にある布や着物、学生時代の制服をリフォームして、シンプルで活動しやすさに重点を置いた洋服を手作りすることが紹介されるようになります。また戦局が悪化していく頃には、多くの女性たちは、非常時に備え、もんぺと防空頭巾が日常着になっていきました。
華やかに化粧をすることよりも、慎ましい化粧へ
質素倹約で切り詰めた生活がよぎなくされる中で、女性の化粧も厳しい規制を受けるようになります。昭和12年には、輸入化粧品は贅沢品として規制され、昭和14年には驚いたことに文部省が口紅や白粉、頬紅の禁止を通達しました。こうした中で、白粉や紅、クリームといった化粧品はだんだんと手に入りにくくなっていきました。
婦人向け雑誌にもその影響は色濃く、昭和10年代後半には、それまで掲載していたメークや肌のお手入れのしかたといった美容に関する記事が少なくなっていきます。戦前のような最新のファッションや髪型に合わせた化粧といったおしゃれに対して、自粛が呼びかけられるようになったのです。化粧品の広告をみても時代を反映した「健康な肌」や「肌荒れ防止」「手軽」「節約」「簡素な化粧」といった内容になっていったことがわかります。
華やかなウェーブヘア全盛から一転、質素な戦中スタイルへ
大正時代末期から鏝を使ったウェーブヘアが流行していましたが、昭和初期には日本にも電気でウェーブをつけるパーマネントウエーブが入ってきていました。パーマネントウェーブは鏝を使ったウェーブとは違い、美容院での施術時間も長く、料金も従来のものより高価だったにもかかわらず、大流行していました。
しかし、昭和13年には警視庁によって業者の新設や移設が禁止。また、翌14年には「パーマネントはやめましょう」との追放運動が起こり、パーマネントウェーブは次第に自粛されるようになっていきました。
かわって登場してくる髪型は、黒髪の美しさをそのまま表現したもので、その割には手間もかからないものでした。例えば、銃後髷と呼ばれる髪型は、鏝も電気も使わず、3分で結える髪型として紹介されました。
戦前まで欧米の文化を積極的に取り入れ、女性たちも新しいよそおい、化粧に目覚め美容の近代化が進みました。
しかし、戦時中は一転して、おしゃれどころではない空白期間となります。それでも、戦中におさえつけられていたおしゃれ心が、昭和20年に終戦を迎えてから、ゆっくりと取り戻されていくことになります。
参考文献
『モダン化粧史 -粧いの80年-』/ポーラ文化研究所編
『整容』/昭和15年、小幡恵津子著
『昭和家庭史年表』/河出書房新社
ブラウスとスカートから防空頭巾ともんぺに
昭和10年代頃までは欧米から入ってくるファッション文化を取り入れ、華やかなよそおいを楽しんでいた女性たち。それが昭和12年、日中戦争が始まり、戦時色が強くなってくると着物の柄に軍国調のものが現れたりと、その様子はだんだんと変化していきました。そして昭和15年には、奢侈品製造販売規則が発令、昭和17年には購入できる衣服の量が年齢によって制限されるようになったのです。
当時、丈夫で質の良い繊維の多くは軍需用に消費されていました。そのため、婦人雑誌では、家庭にある布や着物、学生時代の制服をリフォームして、シンプルで活動しやすさに重点を置いた洋服を手作りすることが紹介されるようになります。また戦局が悪化していく頃には、多くの女性たちは、非常時に備え、もんぺと防空頭巾が日常着になっていきました。
華やかに化粧をすることよりも、慎ましい化粧へ
質素倹約で切り詰めた生活がよぎなくされる中で、女性の化粧も厳しい規制を受けるようになります。昭和12年には、輸入化粧品は贅沢品として規制され、昭和14年には驚いたことに文部省が口紅や白粉、頬紅の禁止を通達しました。こうした中で、白粉や紅、クリームといった化粧品はだんだんと手に入りにくくなっていきました。
婦人向け雑誌にもその影響は色濃く、昭和10年代後半には、それまで掲載していたメークや肌のお手入れのしかたといった美容に関する記事が少なくなっていきます。戦前のような最新のファッションや髪型に合わせた化粧といったおしゃれに対して、自粛が呼びかけられるようになったのです。化粧品の広告をみても時代を反映した「健康な肌」や「肌荒れ防止」「手軽」「節約」「簡素な化粧」といった内容になっていったことがわかります。
華やかなウェーブヘア全盛から一転、質素な戦中スタイルへ
大正時代末期から鏝を使ったウェーブヘアが流行していましたが、昭和初期には日本にも電気でウェーブをつけるパーマネントウエーブが入ってきていました。パーマネントウェーブは鏝を使ったウェーブとは違い、美容院での施術時間も長く、料金も従来のものより高価だったにもかかわらず、大流行していました。
しかし、昭和13年には警視庁によって業者の新設や移設が禁止。また、翌14年には「パーマネントはやめましょう」との追放運動が起こり、パーマネントウェーブは次第に自粛されるようになっていきました。
かわって登場してくる髪型は、黒髪の美しさをそのまま表現したもので、その割には手間もかからないものでした。例えば、銃後髷と呼ばれる髪型は、鏝も電気も使わず、3分で結える髪型として紹介されました。
戦前まで欧米の文化を積極的に取り入れ、女性たちも新しいよそおい、化粧に目覚め美容の近代化が進みました。
しかし、戦時中は一転して、おしゃれどころではない空白期間となります。それでも、戦中におさえつけられていたおしゃれ心が、昭和20年に終戦を迎えてから、ゆっくりと取り戻されていくことになります。
参考文献
『モダン化粧史 -粧いの80年-』/ポーラ文化研究所編
『整容』/昭和15年、小幡恵津子著
『昭和家庭史年表』/河出書房新社
2018年11月25日
洗顔後は化粧水とクリームのお手入れが基本に
美しい素肌を保つための洗顔
昭和初期の女性たちにとっても、健康的な素肌を保つために、洗顔は重要なポイントでした。洗顔料には、古くから使われている糠や洗粉も愛用されていましたが、この頃になると石鹸で洗顔するということが普及し、さらに一部では、洗顔クリームが登場してきます。
昭和2年の女性誌「婦女世界」では、美容家によるさまざまなアドバイスや、美容法の解説などを掲載した美容特集号を出しています。それだけ、当時の女性たちが美容に高い関心を寄せていたのでしょう。
その中に洗顔の仕方や注意事項が書かれています。蒸したタオルで毛穴を開いた後、石鹸を使って顔を洗い、ぬるま湯でよく拭うとか、タオルなどに石鹸をつけて、肌をこすっているが、これは表皮を破壊し、肌を疲れさせるのでよくない。また、石鹸ならば良く泡立てて軽く摩擦して使い、洗顔クリームならば手にとってお湯か水に溶かして洗顔する、といったように、当時一般に普及しはじめた化粧石鹸、また、目新しい洗顔料であった洗顔クリームに対するアドバイスが数多く紹介されています。
洗顔後は化粧水とクリームのお手入れが基本に
洗顔後はやはり、洗いっぱなしにせずに、化粧水やクリームを塗って肌を整えていました。
この頃になると化粧水も多くのメーカーからグリセリン性、植物性、油性などさまざまなタイプが発売されていました。例えば、水分を吸収しやすいグリセリン性の化粧水は、外気中の水分をとって肌にうるおいを与え荒れを防ぐとされ、淡化粧下に用いられました。当時の女性たちも、それぞれ肌性や効果、季節によって自分に合うものを選んで使っていました。また、化粧水として昭和初期に流行した商品に、アストリンゼントがあげられます。アストリンゼントは、初めに桃谷順天館から発売されましたが、洗顔後に肌につけると、肌をひきしめ白粉のノリがよくなるとして、夏用の化粧水として人気を博し、さまざまなメーカーから同一商品名で発売されました。
クリームは、明治時代には輸入物が入ってきていましたが、国産のものが出回り、普及しはじめたのは大正時代のこと、またさらに昭和に入ってからは本格的に国内でクリームの製造が行われるようになり、一般に広く使われるようになっていました。
クリームは主に2種類あって、ひとつはコールドクリーム。寝る前に白粉を落とした後、コールドクリームを塗って顔をマッサージしてふき取る。もうひとつは、バニシングクリームで、化粧下地として使い、日中肌を保護する役割をしていました。
美しくなるには、身体の内側からのケアも
昭和初期、東京や大阪にアイススケート場が相次いでオープンしたり、昭和11年には、オリンピックで女性水泳選手が金メダルを取るなど、女性にとっても身体を動かすことやスポーツへの関心が高まり、水泳、テニス、スケートなどのスポーツ、海水浴や登山などのレジャーが広がっていきました。
しかし、スポーツによっては、当時はまだ誰でも簡単にできるといったものではありませんでした。そこで、美容と健康のために、道具や設備にとらわれず、室内で簡単にできる美容体操と呼ばれる運動が盛んに行われたといいます。
早見君子著『見違へる程美しくなる美容法と結髪』/昭和2年によると、美容体操は、欧米から輸入された体育法として、前屈などの簡単なストレッチ法が紹介され、寝る前や起床時に寝床の上でするとよいとしています。また、美容体操だけではなく、肌を美しく保つためには、バランスの良い食事を心がけること、十分な睡眠、心の健康といった、現代にも通じる美肌を保つための、身体の内側からのケアを唱えています。
こうしてみてみると、化粧品を使った外部からのスキンケアもさることながら、適度な運動や食事のとり方といったことが美しさに繋がるとされ、美しさはスキンケアやメークで作られた顔の美しさだけではなく、身体の内側の健康が伴ってこそ、といった健康美を目指す考え方が伝えられはじめた時代でした。
昭和初期の女性たちにとっても、健康的な素肌を保つために、洗顔は重要なポイントでした。洗顔料には、古くから使われている糠や洗粉も愛用されていましたが、この頃になると石鹸で洗顔するということが普及し、さらに一部では、洗顔クリームが登場してきます。
昭和2年の女性誌「婦女世界」では、美容家によるさまざまなアドバイスや、美容法の解説などを掲載した美容特集号を出しています。それだけ、当時の女性たちが美容に高い関心を寄せていたのでしょう。
その中に洗顔の仕方や注意事項が書かれています。蒸したタオルで毛穴を開いた後、石鹸を使って顔を洗い、ぬるま湯でよく拭うとか、タオルなどに石鹸をつけて、肌をこすっているが、これは表皮を破壊し、肌を疲れさせるのでよくない。また、石鹸ならば良く泡立てて軽く摩擦して使い、洗顔クリームならば手にとってお湯か水に溶かして洗顔する、といったように、当時一般に普及しはじめた化粧石鹸、また、目新しい洗顔料であった洗顔クリームに対するアドバイスが数多く紹介されています。
洗顔後は化粧水とクリームのお手入れが基本に
洗顔後はやはり、洗いっぱなしにせずに、化粧水やクリームを塗って肌を整えていました。
この頃になると化粧水も多くのメーカーからグリセリン性、植物性、油性などさまざまなタイプが発売されていました。例えば、水分を吸収しやすいグリセリン性の化粧水は、外気中の水分をとって肌にうるおいを与え荒れを防ぐとされ、淡化粧下に用いられました。当時の女性たちも、それぞれ肌性や効果、季節によって自分に合うものを選んで使っていました。また、化粧水として昭和初期に流行した商品に、アストリンゼントがあげられます。アストリンゼントは、初めに桃谷順天館から発売されましたが、洗顔後に肌につけると、肌をひきしめ白粉のノリがよくなるとして、夏用の化粧水として人気を博し、さまざまなメーカーから同一商品名で発売されました。
クリームは、明治時代には輸入物が入ってきていましたが、国産のものが出回り、普及しはじめたのは大正時代のこと、またさらに昭和に入ってからは本格的に国内でクリームの製造が行われるようになり、一般に広く使われるようになっていました。
クリームは主に2種類あって、ひとつはコールドクリーム。寝る前に白粉を落とした後、コールドクリームを塗って顔をマッサージしてふき取る。もうひとつは、バニシングクリームで、化粧下地として使い、日中肌を保護する役割をしていました。
美しくなるには、身体の内側からのケアも
昭和初期、東京や大阪にアイススケート場が相次いでオープンしたり、昭和11年には、オリンピックで女性水泳選手が金メダルを取るなど、女性にとっても身体を動かすことやスポーツへの関心が高まり、水泳、テニス、スケートなどのスポーツ、海水浴や登山などのレジャーが広がっていきました。
しかし、スポーツによっては、当時はまだ誰でも簡単にできるといったものではありませんでした。そこで、美容と健康のために、道具や設備にとらわれず、室内で簡単にできる美容体操と呼ばれる運動が盛んに行われたといいます。
早見君子著『見違へる程美しくなる美容法と結髪』/昭和2年によると、美容体操は、欧米から輸入された体育法として、前屈などの簡単なストレッチ法が紹介され、寝る前や起床時に寝床の上でするとよいとしています。また、美容体操だけではなく、肌を美しく保つためには、バランスの良い食事を心がけること、十分な睡眠、心の健康といった、現代にも通じる美肌を保つための、身体の内側からのケアを唱えています。
こうしてみてみると、化粧品を使った外部からのスキンケアもさることながら、適度な運動や食事のとり方といったことが美しさに繋がるとされ、美しさはスキンケアやメークで作られた顔の美しさだけではなく、身体の内側の健康が伴ってこそ、といった健康美を目指す考え方が伝えられはじめた時代でした。