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2018年11月26日

華やかに化粧をすることよりも、慎ましい化粧へ

昭和10年代、にわかに戦時色を帯びていく日本。そんな中、日本女性のよそおいはどのように変化したのでしょうか。今回は戦中の女性たちのファッション、化粧、髪型をみてみましょう。


ブラウスとスカートから防空頭巾ともんぺに

昭和10年代頃までは欧米から入ってくるファッション文化を取り入れ、華やかなよそおいを楽しんでいた女性たち。それが昭和12年、日中戦争が始まり、戦時色が強くなってくると着物の柄に軍国調のものが現れたりと、その様子はだんだんと変化していきました。そして昭和15年には、奢侈品製造販売規則が発令、昭和17年には購入できる衣服の量が年齢によって制限されるようになったのです。

当時、丈夫で質の良い繊維の多くは軍需用に消費されていました。そのため、婦人雑誌では、家庭にある布や着物、学生時代の制服をリフォームして、シンプルで活動しやすさに重点を置いた洋服を手作りすることが紹介されるようになります。また戦局が悪化していく頃には、多くの女性たちは、非常時に備え、もんぺと防空頭巾が日常着になっていきました。


華やかに化粧をすることよりも、慎ましい化粧へ

質素倹約で切り詰めた生活がよぎなくされる中で、女性の化粧も厳しい規制を受けるようになります。昭和12年には、輸入化粧品は贅沢品として規制され、昭和14年には驚いたことに文部省が口紅や白粉、頬紅の禁止を通達しました。こうした中で、白粉や紅、クリームといった化粧品はだんだんと手に入りにくくなっていきました。

婦人向け雑誌にもその影響は色濃く、昭和10年代後半には、それまで掲載していたメークや肌のお手入れのしかたといった美容に関する記事が少なくなっていきます。戦前のような最新のファッションや髪型に合わせた化粧といったおしゃれに対して、自粛が呼びかけられるようになったのです。化粧品の広告をみても時代を反映した「健康な肌」や「肌荒れ防止」「手軽」「節約」「簡素な化粧」といった内容になっていったことがわかります。


華やかなウェーブヘア全盛から一転、質素な戦中スタイルへ

大正時代末期から鏝を使ったウェーブヘアが流行していましたが、昭和初期には日本にも電気でウェーブをつけるパーマネントウエーブが入ってきていました。パーマネントウェーブは鏝を使ったウェーブとは違い、美容院での施術時間も長く、料金も従来のものより高価だったにもかかわらず、大流行していました。
しかし、昭和13年には警視庁によって業者の新設や移設が禁止。また、翌14年には「パーマネントはやめましょう」との追放運動が起こり、パーマネントウェーブは次第に自粛されるようになっていきました。

かわって登場してくる髪型は、黒髪の美しさをそのまま表現したもので、その割には手間もかからないものでした。例えば、銃後髷と呼ばれる髪型は、鏝も電気も使わず、3分で結える髪型として紹介されました。

戦前まで欧米の文化を積極的に取り入れ、女性たちも新しいよそおい、化粧に目覚め美容の近代化が進みました。
しかし、戦時中は一転して、おしゃれどころではない空白期間となります。それでも、戦中におさえつけられていたおしゃれ心が、昭和20年に終戦を迎えてから、ゆっくりと取り戻されていくことになります。

参考文献
『モダン化粧史 -粧いの80年-』/ポーラ文化研究所編
『整容』/昭和15年、小幡恵津子著
『昭和家庭史年表』/河出書房新社
posted by クルミ at 06:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 化粧品
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