今回は 福岡県久留米市にある
久留米城跡 と 篠山神社 に
ちょっと嫁さんとぶら旅行ってきました
まあ ぶら旅と言っても全然地元なんですけどね〜...
仕事やプレイベートでは近くまで行くんですが
小さい時に行ったっきりだったので
嫁さんと新年早々行ってみよう!って事でやって来ました
本丸南面にある冠木御門(かぶきごもん)から入りました
ここには門はありませんが 立派な石垣が残されていました
本丸の正門から左曲がりになっているため
ここで敵兵の流れを止め 弓矢で倒していたんだとか
ただ 右利きの城兵は弓を構えると心臓を守れないので
一説には防御には不利だったとも言われています...
スロープ状の坂を登っていくと 右手に見えてくるのが
大きい鳥居です
その神額には「篠山神社」と書いてありました
幕末・明治維新により久留米では大きな混乱が起き
不安定な政情からの一早い回復を願い
明治10年 地域の復興と安寧を願って建てられました
境内は春は桜 秋は紅葉の名所で
何と言っても 見事な石垣とお濠の落ち着いたたたずまいに
約49本の桜が彩りを添え 小高い城跡一帯が
淡い桃色に染まる景色は圧巻です
明治10年に建てられた時は
「笹原神社」(ささはら)と呼ばれていましたが
明治12年に「篠山神社」(ささやま)と
呼び名を変え 今に至っています
御祭神は歴代の久留米藩主 地元パワーがいただけそうです!
初代の 有馬豊氏(とようじ)を初め
7代目 有馬頼徸(よりゆき)
10代目 有馬頼永(よりとう)
11代目 有馬頼咸(よりしげ)
15代目 有馬頼寧(よりやす)
の5柱が祀られています
ご利益は 学問・縁結びとされています
おみくじも招き猫みくじ・開運みくじ・恋文みくじと
色々とありました
ただ 自分としては開運をもっと押して欲しいです(笑)
っと言うのも 馬好きな方なら「有馬」と聞いてピン!とくるはず
そう12月最後のG1「有馬記念」は 日本中央競馬会の理事長を務めた
御祭神の1柱「有馬頼寧」の功績からきているんです!
さて お参りもすませ境内を散策してみます
拝殿の西側に回ると 何やら石でできたオブジェが...
立札には「芭蕉句碑」と書かれていて
どうやら松尾芭蕉の句が石に刻まれているとの事
まず頼む 椎の木もあり 夏木立
(訳)
夏の日差しも夕立も遮ってくれる大きな椎の木もあるなあ この幻住庵の木立には
ただ 松尾芭蕉は1度も九州に来たことはありません
自分もてっきり この久留米城で松尾芭蕉が詠んだ句だとばかり思っていましたが
どうやらそうではないらしい...
松尾芭蕉は『奥の細道』の旅の後 今度は九州へ下る途中の大阪で客死しました
師の遺志を継ぐために 松尾芭蕉の高弟たちが
次々に九州を訪れ 松尾芭蕉を弔うため各地に塚を建立し供養したらしい
だから 松尾芭蕉の句碑は「塚」と呼ばれる訳なんですね〜
それから北側に進むと「千松庵」と言うお屋敷がありました
石橋徳次郎・石橋正二郎兄弟が 母 まつ子のために寄贈したもの
茶道の先達者 千利休の「千」と まつ子の「松」をとり
千松庵と名付けられました
ひっそりとたたずむお屋敷は 当時の雰囲気が感じられますね〜
そのお隣には 砲弾型のオブジェ
薩摩藩士であり 日清・日露戦争で指揮を執り
日本に勝利をもたらした「海の東郷」「東洋のネルソン」と呼ばれた男
東郷平八郎の旧書斎を再現したとの事...
なぜ ここ篠山神社に東郷旧書斎があるのかと言うと
東京の麹町にあった東郷平八郎氏の書斎を
家屋改築の際に久留米市出身の実業家・小倉敬止氏が譲り受け
その後大正15年6月に久留米市に寄附され
昭和35年 有馬記念館の新築と同時に
書斎は久留米城本丸跡に移転再建されたそう...
境内の西側には 雄大な一級河川「筑後川」が流れています
当時 久留米城の北側はこの筑後川が流れていたので
天然のお堀で城を守っていたのだそう...
筑後川がお堀だなんて 半端ないですよね〜
それから北側に歩くと「乾櫓跡」がありました
実は久留米城の本丸は 7つの三重櫓を二重の多門櫓で取り囲んでいるです
篠山神社内の有馬記念館には 木造の本丸御殿が再現されています
また久留米工業大学が3D映像を制作されています
久留米市の公式チャンネルで紹介されていますので
良かったら見てみてください
この7つの三重櫓を二重の多門櫓で取り囲み
さらに 2階建の櫓が全ての櫓を通路のように繋いでいるんです!
こんな構造したお城は全国でも類を見ません
天守閣がないのに「続日本100名城」に入れたのは
この日本一の櫓があったからかも知れませんね〜...
また 境内には たくさんのお末社がありました
この「大乗院稲荷神社」は 有馬豊氏公が丹波国から
久留米の地に入られた時に この稲荷神社もお遷されたもの
それからこれ!これを見ると嫁さんはすぐに口ずさむ
「呪怨」のテーマソングなんですが
久留米城跡には2つの井戸があります
元々は3つあったそうなんですが 今は2つ
もう1つは 有馬記念館の前にありますが囲いがしてあります
やっぱり覗き込むと ちょっと怖いですね〜
その横には 篠根神社(ささがね)があり
島原の乱で犠牲になった藩士を祀ってありました
とにかく 数え切れないほどの碑がありました
中には漢文で書かれた碑や もはや朽ちて読めない碑も...
時代を感じさせられましたね〜
境内の東側には「月見櫓跡」があります
ほとんどの櫓には 干支の方位の名が付けられていますが
この櫓には「月見」とあります
おそらく この櫓から見る月がとても綺麗だったんでしょうね〜
今は 久留米大学医学部のグラウンドがとても綺麗に見えます
ただ 柵かなんかしないと ちょっとえすかった(怖かった)です...
いわゆる たまひゅんポイントです
ここでちょっとだけ 久留米城のお話をしたいと思います...
室町時代(戦国)時の土豪が 笹原(ささはら)城と称した
砦を築いたのが始まりとされています
筑後川の側の笹が生えた原っぱに築かれた事が城名の由来とか...
その後 争い事の度に城主が入れ替わったとされています
四方を巨大な勢力に囲まれていた土地だったので無理もありませんでした
安土桃山時代(戦国末期)豊臣秀吉が九州を平定すると
毛利元就の9男 毛利秀包が久留米城の城主となり
砦程度の城から ちゃんとした城へと改築しました
実は 毛利秀包は熱心なキリスト信者で
城下町には教会もあったそうです
ちなみに 3男の「小早川隆景」の養子になったので
名前を「小早川秀包」と変えました
社会のテストの時 先生が
「毛利秀包」「小早川秀包」どちらでも正解だぞ〜っと言った記憶
ありませんか?
その後1600年 天下分け目の戦い「関ヶ原の戦い」で
西軍に付いていた秀包は戦に負けてしまい 改易に...
そんな秀包を祀った神社がここにはあります
改易になった秀包は「小早川」を名乗るのが恥ずかしくなり
元の「毛利」に名を戻し 山口県でその生涯をとじます
その後の久留米城は 筑後の国主・田中吉政が城を担い
二男の吉信が城主となりますが あととり問題で筑後柳川藩田中氏は改易
それに輪をかけ 1615年 一国一城令により廃城が決定し
城はどんどん荒れ果てていきました
そんな時 丹波の国 福知山城主の有馬豊氏が城主に任命され
廃城同然の久留米城を改築 城下町を整備させ
4代藩主 有馬頼元の頃までの約70年の月日をかけ完成させました
余談ですが 実は久留米は 1871年の廃藩置県で
久留米藩から久留米県になった事があったらしいんです
たった3ヶ月だけでしたけどね〜...
同年に三潴県に編入しましたが その時の県庁が「久留米」だったとか
その後 1876年 福岡県の一部となり
1889年 明治22年 市政施工により久留米市が誕生しました
有馬家の家紋は複数あるみたいですが 1番有名なのは「りんどう」ですね〜
自分も昔 地元のラグビークラブ「りんどうヤングラガーズ」に所属してました
これは地元ならではだと思いますが
自分も嫁さんも 久留米城の事を篠山城と言ってました
こちらの案内板には「久留米城跡」と書かれていますが
近くの道路標識には「篠山城跡」と標記されています
これは 明治時代 城が壊されるまでは「久留米城」と呼ばれていて
その後 篠山神社が建造され 篠山神社にあったお城...
って事で「篠山城」とも呼ばれるようになったそうです
多分 久留米っ子なら「篠山城」がしっくりくるかな〜
久留米城で最大の疑問はやっぱり なぜ天守閣を作らなかったのか!?ですかね...
これは 白の改造時 徳川家康が天下統一を成し遂げ
泰平の世になっていたので 敵襲から守る天守閣は必要がなかったので
造られなかったとか...
ただ 一説には「武家諸法度」や「一国一城令」が発令されていたので
幕府には逆らいませんよ〜っと言う意思を見せたかったのかも
特段「武家諸法度」には天守閣は作るな!とは書いてなかったみたいなので...
1874年 廃城令により城が解体され 石垣も解体されそうになったんですが
地元の人たちが嘆願したのか 石垣の解体は阻止できました!
今でもこうして当時の石垣を見る事ができるのは 本当にありがたいです
そんな歴史に酔いしれる夫には気にも留めず
お堀を見たい!っと階段を降り始めた嫁さん
探検心と冒険心に満ち溢れた嫁さんを持つと 大変ですよ〜
しかし 注意書きがされていてお堀の中には入られないとの事
なぜ お堀の中に入りたいのかと聞いたところ
あの石垣を登ってみたいんだってさ〜
何とかなだめて駐車場に戻ってきた嫁さんと自分
気がついたら嫁さん 月見櫓の石垣を登ってました
横から見ると まあまあな角度です
「行けそうな気がする!」っと意気揚々な嫁さん
「お前が行けるなら 俺も行ける!」っと張り合う夫
まあ 似た者同時と言うか お馬鹿な夫婦と言うか
良い子は真似しないでね
自分は歴史好きだし 久留米っ子なんで 久留米城の話は好きです
久留米城は令和4年で 有馬豊氏が入城して ちょうど400年でした
それを記念して様々な式典が行われました
自分は地元の消防団に所属していますが
久留米消防有馬梯子隊の梯子乗りの演技も披露されました
この歳になって 久留米城跡と篠山神社を嫁さんと散策して
久留米に生まれて良かったな〜っと思いました
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