今回も嫁と娘と3人で 近くの神社にお参りしてきました
福岡県久留米市にある 全国総本宮
「水天宮」に行ってきました!
全国の総本宮が こんな地元にあるとはびっくりです
娘のお宮参りは ここ水天宮でさせていただきましたが
自分のお宮参りもここ水天宮だったそうです...
母に聞いたところ自分の父も祖父もそうだったそうで
なんか縁を感じましたね〜
神社と言えば「狛犬」なんですが ここの狛犬は
顔が小さく 脚が長く 筋肉モリモリの イケメン狛犬です
総本宮の狛犬だからでしょうか... すごく凛々しいです
境内には 様々な石碑や慰霊碑や銅像がありますが
参道入ってから右奥に行くと 大きな慰霊碑があります
「軍艦千歳慰霊碑」です
軍艦千歳とは 昭和13年に就役し
昭和19年10月25日フィリピンレイテ湾海戦にて
沈没した航空母艦です
筑後川(別名 千歳川)の名をとって命名され
艦内に水 天宮を奉斎していたことから
当宮と縁の 深い軍艦だったそうです
そんな千歳と共に命を 落とされた方々の御霊を慰めるために
昭和53年に建立されました
また その左側には『消防恩師 宗像警部之像』があります
明治33年福岡県警察官となり 大正5年久留米警察署消防主任を拝命
当時 久留米市民は常に火災の脅威に怯えており
市民を安心させることが消防職務上の急務で
まず一般市民に対して夜に日をついで防火宣伝に奔走し防火思想の普及を計り
消防意識を注入すると共に消防組自体の一大刷新を実行した人物
毎年4月に「宗像祭」が行われ 地元の消防団がお参りに来ています
そして 一際目を引く大きな銅像「眞木和泉守の銅像」
久留米が誇る勤王の志士 眞木和泉守(まきいずみのかみ)
水天宮の宮司を代々務めてきた眞木家 第22代の宮司
多くの幕末の志士に影響を与えた水戸学を学ぶと
いても立ってもいられなかったらしく
水戸藩に遊学してさらに見識を深め 久留米藩の藩政改革に着手
ところが 却って藩を混乱させたとして水天宮の神職を解かれてしまう
さらに蟄居ちっきょを命じられて水田(筑後市水田)で暮らしたそうです
しかし 蟄居して約10年後 雄藩の動向が激化していることを知ると
蟄居を脱出 尊王倒幕を唱えて精力的に活動
元治元(1864)年に禁門の変で敗れると 天王山で同志たちとともに自刃
享年52歳 壮絶な人生を送った和泉守を祀るのが「眞木神社」
眞木和泉守保臣命をはじめ明治維新に際し
国難に殉ぜられた一門及び門下生と
天王山にて共に自刃された方々を奉斎してあります
そして こちらが「山梔窩」(くちなしのや)
久留米藩改革の際 眞木和泉守が久留米藩より
水田村(現在の筑後市水田)の弟 大鳥居信臣のもとに謹慎を命ぜられ
付近の子弟の教育にあたり 尊皇・倒幕の策源地ともなりました
この建物は資料により当時のものを模して建てたもので
実際の建物は県指定文化財として水田に現存しています
創建は 建久初年(1190)と伝えられ 平家が壇ノ浦の戦いで破れた後
官女按察使局伊勢が筑後川の辺り鷺野ケ原に逃れ来て 初めて水天宮を祀ったもので
後 慶安3年(1650)2代藩主有馬忠頼公の時 筑後川に臨む現在地になりました
水にゆかりの社として海運守護神となり
河童伝説との結びつきも伝えられ信仰を集めました
今は安産の神様としても知られています
5月3日より7日まで開催される水天宮・春大祭は
安産・水難避け・子供の守護神の祭として
多くの氏子や参拝客で賑わい 初夏の訪れを感じさせます
御祭神の安徳天皇と玉江姫の恋物語の由縁から
椿の花が御神紋となった水天宮
ご本殿周辺は 現在も18種のツバキで囲まれています
御祭神は 天の真ん中という意味の神々しい名前を持つ
「天御中主神あめのみなかぬしのかみ」をはじめ
「安徳天皇」その母の
「高倉平中宮たかくらたいらのちゅうぐう」さらにその母にあたる
「二位の尼」の4柱
その後 按察使局は剃髪して尼となりました
神官の娘だった彼女は人々に請われて加持祈祷をしたところ霊験あらたかだったため
尼御あまごぜ前と呼ばれて慕われたとか...
これを受けて お社は「尼御前神社」と呼ばれるようになったそうで
江戸時代後期の文政年間(1818〜1831)頃までそう呼ばれていたらしい
また 境内にはお末社があり こちらは「秋葉神社」
秋葉神社は火の神様が一般的ですが こちらでは農耕・文芸の神だそうです
阿遲鉏高 日子根命(あじすきたかひこねのみこと) が奉斎されています
「千代松神社」
水天宮の創始者按察使局伊勢命(あぜち のつぼね いせのみこと)が奉斎されてい ます
社名は按察使局伊勢命が後に剃髪して名を千代と改めたこと
逝去の後墓に松が植えられたことから 千代松神社と呼ば れています
境内の一番奥にある「水神社」
水徳の神様である 彌都波能売神(みつ はのめのかみ)と
安産の神様 鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこ と)の二柱が奉斎されています
そして その社の前に ちょこんと鎮座する「肥前狛犬」
水神社の狛犬は 自分の痛いところを撫でれば
その痛みがとれるという事で「撫で狛犬」とも言われ
多くの方々から崇敬をいただいています
自分も 必ず立ち寄り いろんな所を撫でています
江戸時代には久留米藩主・有馬氏にも崇拝された ここ「水天宮」
9代藩主・頼徳よりのりは特に信仰心が厚く
文政元(1818)年 久留米藩の江戸藩邸に御分霊を祀るようになりました
これが東京水天宮のはじまりです!
このほかにも全国各地に御分霊社が建てられ
果ては遠く海を隔てたハワイにも
今やその数は確認できるだけでも60〜70社にのぼると言います
久留米にある全国総本宮「水天宮」は
それらの頂点に立つ由緒正しく偉大な神社
お近くに来た際は 一度 お参りされてみてください!
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2022年03月26日
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