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2019年10月22日
真言と念仏とお経(3)
そんな経緯から
お経に関心を持つようになったのだが
たまたまYouTubeでアップされていた
真言を聞いてみたら
やはり肌に合うのか
聞いていて嫌でもないし
むしろ心が落ち着くというか
聞きながら寝落ちすることもあるし
何か別の作業をしながらでも
決して不快に邪魔してこないのである。
むしろ聞き続けながら
作業に没頭できるのである。
是非とも興味のあるかたには
オススメしたいと思います。
(種類はYouTube内にいっぱいあるので
どれでもかまわないと思います)
ただ一点気になるとこがあるのですが
そのYouTubeの
ほとんどのコメント欄に
「いいことがあった」
「悪霊が離れた」
「幸せになった」
などの文言があるのですが
これらの効果に対しては
正直懐疑的です。
お経に関心を持つようになったのだが
たまたまYouTubeでアップされていた
真言を聞いてみたら
やはり肌に合うのか
聞いていて嫌でもないし
むしろ心が落ち着くというか
聞きながら寝落ちすることもあるし
何か別の作業をしながらでも
決して不快に邪魔してこないのである。
むしろ聞き続けながら
作業に没頭できるのである。
是非とも興味のあるかたには
オススメしたいと思います。
(種類はYouTube内にいっぱいあるので
どれでもかまわないと思います)
ただ一点気になるとこがあるのですが
そのYouTubeの
ほとんどのコメント欄に
「いいことがあった」
「悪霊が離れた」
「幸せになった」
などの文言があるのですが
これらの効果に対しては
正直懐疑的です。
2019年10月21日
真言と念仏とお経(2)
般若心経は唱えるだけでも
様々な効果があり
読む本などによっては
瞑想に誘われるなど
強大な力を持つとかいてある物もある。
事実かどうかはわからないが
私なりの感想もある
すべての人に当てはまらないかもしれないが
般若心経を唱えたあとは
無になる
という言葉が一番しっくり来るのである。
何も考えないのとは
少し違う。
ボーッとしてるわけでもない。
心に静寂が訪れるというか
中々表現しにくくはあるが
不思議な無を感じるのである。
これは一度味わっていただければ
この気持ちを理解していただけるのだが……
まあ、正直
覚えるのがめんどくさいと言われれば
何も否定できない話なんですけどね……
様々な効果があり
読む本などによっては
瞑想に誘われるなど
強大な力を持つとかいてある物もある。
事実かどうかはわからないが
私なりの感想もある
すべての人に当てはまらないかもしれないが
般若心経を唱えたあとは
無になる
という言葉が一番しっくり来るのである。
何も考えないのとは
少し違う。
ボーッとしてるわけでもない。
心に静寂が訪れるというか
中々表現しにくくはあるが
不思議な無を感じるのである。
これは一度味わっていただければ
この気持ちを理解していただけるのだが……
まあ、正直
覚えるのがめんどくさいと言われれば
何も否定できない話なんですけどね……
2019年10月20日
真言と念仏とお経
私が最近、とは言っても
1、2年ほど前からだが
あるものをYouTubeで
よく見聞きしている。
もうタイトルに答え書いてもうてるがな
というツッコミも来そうだが
その通りで真言やらお経の
YouTubeをよく見聞きしているのだ。
京都だからお経なのかと
関連付けそうだが
私の家系自体は
寺社とは全く縁のない一族だし
小さい頃から慣れしたしんだ訳でもない。
むしろお経を聞くようになったのも最近だし
家が仏教だと聞いたのも最近だ。
では何故歳をとってから
お経にはまり出したのか?
事の始まりは
ある作家さんの本である。
その作家さんいわく
般若心経を覚えるといい
と書いてあったのである。
そんなものに意味なんてあるのかと
半信半疑で見ていたものの
不思議なもので
覚えようと頑張れば
人間頑張れるものである。
そして私は見事に覚えきったのである。
しかもそれは私自身二度と
忘れることがなくなった。
つまりはどんなときにでも
必ず諳じれるのである。
1、2年ほど前からだが
あるものをYouTubeで
よく見聞きしている。
もうタイトルに答え書いてもうてるがな
というツッコミも来そうだが
その通りで真言やらお経の
YouTubeをよく見聞きしているのだ。
京都だからお経なのかと
関連付けそうだが
私の家系自体は
寺社とは全く縁のない一族だし
小さい頃から慣れしたしんだ訳でもない。
むしろお経を聞くようになったのも最近だし
家が仏教だと聞いたのも最近だ。
では何故歳をとってから
お経にはまり出したのか?
事の始まりは
ある作家さんの本である。
その作家さんいわく
般若心経を覚えるといい
と書いてあったのである。
そんなものに意味なんてあるのかと
半信半疑で見ていたものの
不思議なもので
覚えようと頑張れば
人間頑張れるものである。
そして私は見事に覚えきったのである。
しかもそれは私自身二度と
忘れることがなくなった。
つまりはどんなときにでも
必ず諳じれるのである。
2019年10月19日
外側から見た故郷
私は京都生まれながら
関東に10年近く住んでいた
経験があります。
その関東、主に東京、千葉辺りなのですが
そこの人たちに京都出身と告げると
かなりの好印象なのである
「うらやましい〜!」
「行ってみたい!」
「すてき!」
人間とは不思議なもので
こんな台詞を言われ続けると
自分でもすごいとこに住んでたんだなど
錯覚を覚え
故郷に帰る時などは
お土産を買ってくると言えば
喜ばれつつ羨ましがられもした。
そうなるとあの京都出身なんだと
鼻高々で帰郷するのではあるが……
はっきり言ってそれが錯覚だと
早々に思い知らされる。
京都と言っても
当たり前だがピンキリなのである。
イメージとしてはどうなのでしょうか?
主に鴨川だったり金閣寺だったり
京都タワーとかだったりするのですかね?
その固有の場所に行けば
それなりの情緒などは少しは
味わえるかもしれないのですが
そんな場所もたくさんあるわけでもなく
実家に帰れば普通の町の風景の中にある
普通の家に帰るだけである。
前に少し話しましたが
私の家族自体は
京都の生まれではないので
家に帰っても京都らしい事が
あるわけでもないので
憧れの視点から見る京都と
住んでいる人間からの視点は
やはり違うものなのだなと
改めて思いながら
ベタだけれども
八ッ橋でも買って帰ればいいかな
と思いながら
お土産を買って帰ったことを
思い出します。
関東に10年近く住んでいた
経験があります。
その関東、主に東京、千葉辺りなのですが
そこの人たちに京都出身と告げると
かなりの好印象なのである
「うらやましい〜!」
「行ってみたい!」
「すてき!」
人間とは不思議なもので
こんな台詞を言われ続けると
自分でもすごいとこに住んでたんだなど
錯覚を覚え
故郷に帰る時などは
お土産を買ってくると言えば
喜ばれつつ羨ましがられもした。
そうなるとあの京都出身なんだと
鼻高々で帰郷するのではあるが……
はっきり言ってそれが錯覚だと
早々に思い知らされる。
京都と言っても
当たり前だがピンキリなのである。
イメージとしてはどうなのでしょうか?
主に鴨川だったり金閣寺だったり
京都タワーとかだったりするのですかね?
その固有の場所に行けば
それなりの情緒などは少しは
味わえるかもしれないのですが
そんな場所もたくさんあるわけでもなく
実家に帰れば普通の町の風景の中にある
普通の家に帰るだけである。
前に少し話しましたが
私の家族自体は
京都の生まれではないので
家に帰っても京都らしい事が
あるわけでもないので
憧れの視点から見る京都と
住んでいる人間からの視点は
やはり違うものなのだなと
改めて思いながら
ベタだけれども
八ッ橋でも買って帰ればいいかな
と思いながら
お土産を買って帰ったことを
思い出します。
2019年10月18日
大阪
京都を語るならば
大阪も無視することは出来ないでしょう。
ちなみに神戸は大阪を跨いでいるので
少し遠くあまり縁がないように感じます。
むしろ奈良や滋賀の方が行きやすく
どこも大阪と同じぐらいの時間で
行ける場所です。
そんな私ですが
はっきり言ってしまいますが
「大阪があまり得意ではありません」
のっけから大阪人が聞いたら
怒りそうなこと言って
申し訳ないのですが
肌が合わないというのは事実です。
それでも昔よりは
大分馴染めてきたとは思いますが…
高槻は結構好きな場所ですよ。
まあ、京都よりですが……
でも以外と近いけど合わないというのは
結構あって、ちなみに父親も大阪は
苦手と言ってました。
よく考えれば東京、横浜、千葉、埼玉とかの
関係でもあるように
他者から見たらまとめられたカテゴリーでも
内部にいるものからしたら
全く別物ということは
いくらでもあるので
仕方ないことかもしれませんね
という感じで誤魔化しておこうと思います
(誤魔化しきれてない?)
大阪も無視することは出来ないでしょう。
ちなみに神戸は大阪を跨いでいるので
少し遠くあまり縁がないように感じます。
むしろ奈良や滋賀の方が行きやすく
どこも大阪と同じぐらいの時間で
行ける場所です。
そんな私ですが
はっきり言ってしまいますが
「大阪があまり得意ではありません」
のっけから大阪人が聞いたら
怒りそうなこと言って
申し訳ないのですが
肌が合わないというのは事実です。
それでも昔よりは
大分馴染めてきたとは思いますが…
高槻は結構好きな場所ですよ。
まあ、京都よりですが……
でも以外と近いけど合わないというのは
結構あって、ちなみに父親も大阪は
苦手と言ってました。
よく考えれば東京、横浜、千葉、埼玉とかの
関係でもあるように
他者から見たらまとめられたカテゴリーでも
内部にいるものからしたら
全く別物ということは
いくらでもあるので
仕方ないことかもしれませんね
という感じで誤魔化しておこうと思います
(誤魔化しきれてない?)
2019年10月17日
早朝の京都駅
横断歩道のど真ん中で
タクシーの荷物を堂々と下ろしている
外国人(とおぼしき人)
男2女1で抱き合いながら座りこんで
何故か鳩に対して悲鳴を上げている
飲み会終わり(と思われる)の人
今日も京都駅はカオスです
まあ、渋谷駅のカオスっぷりよりは
いく分ましなのかも
タクシーの荷物を堂々と下ろしている
外国人(とおぼしき人)
男2女1で抱き合いながら座りこんで
何故か鳩に対して悲鳴を上げている
飲み会終わり(と思われる)の人
今日も京都駅はカオスです
まあ、渋谷駅のカオスっぷりよりは
いく分ましなのかも
2019年10月16日
2019年10月15日
駅地下にて
ある日の駅の地下の出来事です
息を切らして向かってくる
年の頃は60くらいの
主婦とも見える方。
走ってまでたどり着きたかった場所は
地下のエレベーターでした。
色々と荷物を抱えた奥様は
エレベーターに間に合い
安堵の表情を浮かべて
後ろ振り返りながら
「早く〜!」
と言ったのですが
振り向いた先には誰もいません。
いや、よく見ると
20m先に旦那さんと思われる男性がいました。
全く反応しない男性を見て
この人じゃないのかなと
疑問を持ちましたが
二人の距離が近くなるにつれ
どう考えても対象がその男性しかいません
しかし一向に走る気もあせる気もない旦那さん
「急いで〜!」
閉まるエレベーター、促す奥さん。
そこで今まで全く反応してなかった
旦那さんが一言
「無理!」
エレベーターは静かに閉まりました………
息を切らして向かってくる
年の頃は60くらいの
主婦とも見える方。
走ってまでたどり着きたかった場所は
地下のエレベーターでした。
色々と荷物を抱えた奥様は
エレベーターに間に合い
安堵の表情を浮かべて
後ろ振り返りながら
「早く〜!」
と言ったのですが
振り向いた先には誰もいません。
いや、よく見ると
20m先に旦那さんと思われる男性がいました。
全く反応しない男性を見て
この人じゃないのかなと
疑問を持ちましたが
二人の距離が近くなるにつれ
どう考えても対象がその男性しかいません
しかし一向に走る気もあせる気もない旦那さん
「急いで〜!」
閉まるエレベーター、促す奥さん。
そこで今まで全く反応してなかった
旦那さんが一言
「無理!」
エレベーターは静かに閉まりました………
2019年10月14日
誰のための?(4)
つまり京都はどこか同じ京都内でも
洛中やら洛外などといい
目に見えない薄い
しかし強度の高い壁が
存在しているのだ。
私自身洛外(と呼ばれているもの)の
出身のためどこかそれを
気取ってるなどと揶揄して
皮肉ったりしてるのであるが……
そういう京都人の誇りというか
プライドというべきものが
この数年薄れてきている気もする。
特に京都駅周辺は
どこか必死に外国の人に
受け入れてもらおうと
媚びている感じに見えて
揶揄してきたくせに
受け入れ体制になったらなったで
どこか一抹の寂しさを感じつつ
時代の波としては
仕方ないなと
静かに受け入れるしかないのである…
洛中やら洛外などといい
目に見えない薄い
しかし強度の高い壁が
存在しているのだ。
私自身洛外(と呼ばれているもの)の
出身のためどこかそれを
気取ってるなどと揶揄して
皮肉ったりしてるのであるが……
そういう京都人の誇りというか
プライドというべきものが
この数年薄れてきている気もする。
特に京都駅周辺は
どこか必死に外国の人に
受け入れてもらおうと
媚びている感じに見えて
揶揄してきたくせに
受け入れ体制になったらなったで
どこか一抹の寂しさを感じつつ
時代の波としては
仕方ないなと
静かに受け入れるしかないのである…
2019年10月13日
誰のための?(3)
よく京都は閉鎖的だと言うが
これに関しては全く異論がない。
私自身京都府生まれながら
市内ではなく南の方の出身であり
また両親とも京都生まれではなく
西の方の生まれである。
特に幼少期は何も感じずに
育ってきたのではあるが
成長するにつれ
何かおかしな感じがしてきた事も
事実である。
迫害されているというのでもない
差別されているというのでもない
いじめられてるわけでも
ましてや暴力を奮われることなどは
全くない。
でも何とも言えない………
壁というか距離感というか……
こればっかりは文章で表現は
出来ないかもしれない。
見えない何かというものが
大きく隔たっているのである。
続く
これに関しては全く異論がない。
私自身京都府生まれながら
市内ではなく南の方の出身であり
また両親とも京都生まれではなく
西の方の生まれである。
特に幼少期は何も感じずに
育ってきたのではあるが
成長するにつれ
何かおかしな感じがしてきた事も
事実である。
迫害されているというのでもない
差別されているというのでもない
いじめられてるわけでも
ましてや暴力を奮われることなどは
全くない。
でも何とも言えない………
壁というか距離感というか……
こればっかりは文章で表現は
出来ないかもしれない。
見えない何かというものが
大きく隔たっているのである。
続く