何かを感じてほしい!
感じない人はいないと思います。
ある先生から、この動画を紹介され、涙が出てしまいました。
詳しい説明はいらないと思います。
生徒、ご父兄、指導者、空手に関わる全ての人。そして教育者として、丹下先生の生き方を一度見てほしいと痛感しました。
「お前らもこのくらい真剣に生きてみろ!」
なにかに真剣に取り組む姿を・・・。
私は、このニュースを当時ライブで見ていました。
「おっ、協会の人だ、凄い、かっこいい生き方だな」と、ただ見ていただけでした。
今、自分が指導者になり、同じ映像なのに、全然違うものに感じ、涙が出てしまいました。
丹下先生に、お会いする事が出来ないのが残念です。
良く知る先生が関わっていたなんて、知りませんでした。
<空手って、こんなに素晴らしいものなんですよ。
本当に素晴らしいです。
私も、少しでも丹下先生の意志が、次の世代につながるように、微力ながら頑張りたいと思います。
ここからの文章は、丹下先生と関わり、現場に居た先生の文章です。
大会まであと3ヶ月となった時、突然実行委員の一人であった丹下先生が医者より「今すぐに死んでもおかしくない」との宣告を受けました。
実は、丹下先生は1994年から癌に侵されながら、歯を食いしばって癌と戦ってきた人です。私が始めてお会いした時はすでに癌に侵されていました。
そこから、「癌になんか負けていられるか!」という、空手家の意地で、空手を続けてきたのです。
「丹下さんが余命幾日もない」という知らせを受けた時に、すぐに長野県須坂市まで丹下先生に会いに行きました。その時、空手に人生をかけたこの生粋の「空手バカ」を日本中に知ってもらいたい、そして丹下先生の生きた証を映像に残したいと思い、私の生徒の父親が日本テレビの報道部にいたので、企画書を作成しすぐに許可をいただき撮影に入りました。
ところが、企画のゴーサインが出た七月末に、私はドイツに10日間の指導が入っており、帰ってきたのは8月の6日でした。
今すぐ死んでもおかしくないといわれた人を10日も待たせてしまい、生きていてくれるか、心配でなりませんでした。
帰国の夜にすぐに丹下先生に電話をして、「先生、明日伺いますからよろしくお願いします」と話した。声は元気だったので気がつかなかったが、その時、僅か2m先にある電話まで行くのに這って行き、電話をとるまで5分の時間を要していました。
私はそんな苦労も知らず、遅いのは風呂にでも入っていたんだろうと思っていました。
自分では、這うこともままならないにもかかわらず、絶対に奥さんの助けは借りなかったといいます。 とんだ頑固ジジィだよ!
ご自宅を訪問した時、丹下先生はかくしゃくと我々に応対してくれた。で、自宅で3時間ほど先生の話を聞きインタビューを終えると、突然丹下先生が
「じゃあ、稽古前に飯でも食いに行くか月井君」
と言うので驚いた。
だって、我々がいない時は、這うことも出来ない人が、自分で車を運転して我々を飯に連れて行ってくれるなんて、なんと無謀なと思ったのに、奥さんや娘さんたちは、
「はいはいっ!じゃあ用意しましょうかね」
と明るく言って支度を始めた。
奥さんは、すし屋に着くとすぐに娘さんに
「ちょっと、ビデオテープ買ってきてちょうだい。お父さんの最後の練習だからね。しっかりと撮らなくちゃ!」
と努めて明るく言う。
飯の時もいつも丹下先生は空手の話、自分の生徒の技術を
「あいつは、俺が教えた技術を何も理解しちゃいねぇ!少しでも理解したら、いつでも全日本を獲れるのに」
と、なんとレベルの高いお話・・・・。
で、この映像にある最後の稽古をクルーが撮り、練習後に礼をしてそのまま倒れ、帰らぬ人となりました。
私は、
「俺は、畳の上じゃ死なねぇぞ。空手着を来て死ぬんだ。」
と丹下先生が言うのを聞き、空手着で死なせてやろうと思いこの企画を立てたのです。
でも、まさか本当に空手の稽古後に死ぬなんて・・・。
実は、私は形が嫌いで、40歳になるまで形の試合には一度も出たことがありませんでした。しかし、丹下先生のご自宅に何度か伺い、形がどれだけ組手に活きるか、どこをどうすれば強い突き蹴りができるかを、自分の経験談を交え、こっちが止めなければ明日の朝まで語り続けるのではないかと思うほど、心からうれしそうに話す姿を見て、「俺も形の試合に出てみよう」と思い、マスターズの形にエントリーしたのです。
「今の若い人たちはいいよなぁ・・・、流派を越えてこうやって試合ができるんだから。俺が元気だったら絶対に出ているよ」
と電話で聞いた時、
「じゃあ、俺が出て先生の代わりに優勝します」
と決意したのです。
命をかけて空手を指導してきた人が、しかも余命幾日もないのに、まだ空手のことばかり考え語っている。普通に考えたら大ばか者ですよ。
でも、我々空手をやっている者にとっては、ここまで空手に人生をかけて、空手で死んでいったなんて、なんてカッコいい人なんだ・・・と、憧れてしまう。
当時、誰もやったことがない、日本初の子供の国際大会を開催したこと、丹下信吾というトビっきりのバカを映像を通じて世に残すことが出来たことを誇りに思います。
この大会が噂を呼び、次の年から全少が始まりました。
この映像を私は500回は繰り返し観たでしょう。今でもこれを見ると、丹下先生がうれしそうに空手の技術を語る姿が浮かんできます。
人は心からうれしいと感じた時は、こういう表情になるんだなぁと・・・。
奥さんが、インタビューの中で、丹下先生の言葉として、「今の子は、先生にも叱られない、親にも叱られない。だから、いざとなった時にどうしていいか分からなくて・・・」とうのは、まさに今の先生や親たちに一番聞いてほしい言葉です。
何でかんでも叱ればいいというものではない。でも、褒めて育てるというのも何か違うと思う。踏まれても、蹴られてもへこたれない強い心を養ってこそ、空手だと思う、
なぜ、今10年前のこんな動画をアップさせたと思うでしょうが、私は今年中にこれをダビングして生徒達に配ろうと思っています。子供がギブアップする前に親が諦める。何もやらないうちから「どうせ、うちの子はそんな器じゃないですよ。」というわりには、要求が高い。
「なんだかんだいう前に、とにかく全力でやらせてみろ!文句はその後でもいいだろう。やる前からああだこうだ言うんじゃない!勝つとか勝てないとか、やる前から親が決め付けるから子供がビビる。子供は親よりもよほど優秀なんだから子供の可能性を信じなさい」
一番、親たちに言いたいこと、そして誰に対しても、何よりも自分に対し「丹下先生の10分の一でもいいから、思い切り生きてみろ」と言いたい。
まだまだ、自分にできることはいくらでもあるはず、たぶんあと30年は生きられるんだから、丹下先生の何倍も時間があるんだから、もっと日本を引っ掻き回し、動かして、活性化しなければと思うのです。
保護者の皆さん!お子さんにこの映像を見せてあげてください。これほどまでに空手に人生をかけ子供達に生きることを教えようとした人がいたんです。
空手って、こんなに素晴らしいものなんですよ。
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image