2010年03月22日
こんな事を書くと・・・・2
こんな事を書くと・・・・2
昨日はフォーククルーダーズの思い出の曲について書かせて戴きました。
今日は昨日の最後に触れていました、本当に大好きな曲・・・・それは
「イムジン河(臨津江)」です。
前回の記事では、曲の題名だけで紹介させて戴いている曲を御存知ない方々には訳が判らない記事になっていたと思います。そこでこの記事を再掲載する事で、yuoutube へのリンクを加えさせて戴きたいと思います。
昨日はフォーククルーダーズの思い出の曲について書かせて戴きました。
今日は昨日の最後に触れていました、本当に大好きな曲・・・・それは
「イムジン河(臨津江)」です。
前回の記事では、曲の題名だけで紹介させて戴いている曲を御存知ない方々には訳が判らない記事になっていたと思います。そこでこの記事を再掲載する事で、yuoutube へのリンクを加えさせて戴きたいと思います。
URL の右横のテキストリンクをクリックして戴くと、新しいページが開き、youtubeの関連ページに入って曲を試聴する事が出来ます。お試し下さい。
埋め込みのオブジェクトの再生ボタンを押すと、このページで再生する事も出来ます。
フォーククルーダーズ イムジン河 高音質版
URL フォーククルーダーズ イムジン河 高音質版
フォーククルーダーズ イムジン河 韓国語ヴァージョン付き
URL フォーククルーダーズ イムジン河 韓国語ヴァージョン付き
臨津江 韓国語カラオケ版
URL 臨津江 韓国語カラオケ版
臨津江 韓国での放送より
URL 臨津江 韓国での放送より
これは、いろいろと問題が在って、レコードを発売直前に中止になった曰く付きの曲です。
ご存じの方も多いと思いますが、これは北朝鮮の歌で日本国内の朝鮮学校で良く歌われていた曲だそうです。
この曲をフォーククルーダーズが歌う様になったのは、フォーク・クルセダーズの作詞を担当することになる松山猛が、朝鮮中高級学校に訪れた際に耳にした歌で、それを在日の友人から歌の一番の歌詞を教えて貰い、フォーククルーダーズの加藤和彦に口頭でメロディを伝えたそうです。そのようにしてフォーククルーダーズが歌う様になったのですが、政治的な理由でレコードの発売中止になったそうです。
この曲を聴いたのは中1の時で、その様な政治的な事が判る事もなく、ラジオで聴いた曲が気に入って口ずさむ様になっていました。それからだいぶ立ってからレコードが他の会社から発売されて購入した訳です。
臨津江を境にして分断された大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の悲壮な感じが伝わって、戦争(朝鮮戦争)や政治体制の違いがこの様な歌を産んだ事を知りました。
一つ間違えれば、終戦当時にソビエト(現在のロシア)が北海道に侵攻して来ていたら、我が国も分断国家になる事に・・・・・。
私はこの歌を聴いて、そして自分でも歌う様になって、戦争や政治体制によって、家族や親類が離ればなれになってしまう事の辛さを感じ、その様な事を無くして欲しいと思う様になったのです。しかし、現在もその状態が続いたままで、何の変化もありません。
この歌がもっと多くの人に歌い継がれる事によって、韓半島の平和と離ればなれになっている家族や親類の方が相見える様になったらと念願しております。
それには、北の態度が変わらなければ・・・・・・。
政治的にノンポリの人間ですから、今回はここまでにしておきます。
また明日に。
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フォーククルーダーズ イムジン河 高音質版
URL フォーククルーダーズ イムジン河 高音質版
フォーククルーダーズ イムジン河 韓国語ヴァージョン付き
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臨津江 韓国語カラオケ版
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臨津江 韓国での放送より
URL 臨津江 韓国での放送より
これは、いろいろと問題が在って、レコードを発売直前に中止になった曰く付きの曲です。
ご存じの方も多いと思いますが、これは北朝鮮の歌で日本国内の朝鮮学校で良く歌われていた曲だそうです。
この曲をフォーククルーダーズが歌う様になったのは、フォーク・クルセダーズの作詞を担当することになる松山猛が、朝鮮中高級学校に訪れた際に耳にした歌で、それを在日の友人から歌の一番の歌詞を教えて貰い、フォーククルーダーズの加藤和彦に口頭でメロディを伝えたそうです。そのようにしてフォーククルーダーズが歌う様になったのですが、政治的な理由でレコードの発売中止になったそうです。
この曲を聴いたのは中1の時で、その様な政治的な事が判る事もなく、ラジオで聴いた曲が気に入って口ずさむ様になっていました。それからだいぶ立ってからレコードが他の会社から発売されて購入した訳です。
臨津江を境にして分断された大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の悲壮な感じが伝わって、戦争(朝鮮戦争)や政治体制の違いがこの様な歌を産んだ事を知りました。
一つ間違えれば、終戦当時にソビエト(現在のロシア)が北海道に侵攻して来ていたら、我が国も分断国家になる事に・・・・・。
私はこの歌を聴いて、そして自分でも歌う様になって、戦争や政治体制によって、家族や親類が離ればなれになってしまう事の辛さを感じ、その様な事を無くして欲しいと思う様になったのです。しかし、現在もその状態が続いたままで、何の変化もありません。
この歌がもっと多くの人に歌い継がれる事によって、韓半島の平和と離ればなれになっている家族や親類の方が相見える様になったらと念願しております。
それには、北の態度が変わらなければ・・・・・・。
政治的にノンポリの人間ですから、今回はここまでにしておきます。
また明日に。
【音楽研究についての最新記事】
投稿者:亀山 築城 (かめやま ちくせい)|20:26|音楽研究について
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