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2021年05月01日

心に触れる

最近ツイッターを見ていてたまたま入ってきたツイートで


グアルディオラが現役のローマ時代にふとテレビをつけた時にフリオ・べラスコというアルゼンチン人のバレーボール界の伝説的指導者の喋り方などに引き込まれたと。

それをみて僕なりにその事について調べてみました

テレビを見た後、ペップがどうしても会いたいと電話で伝えて食事に行くことが決まり、その時にべラスコからもし現役引退後に指導者を目指すなら覚えておいた方がいい事として


心に触れる

という事が大事と。


どういう事かというと彼はこの様に言っています。

選手達皆が同じではなく、全員が同じように扱われるべきじゃない。同じ敬意を持って扱わなければいけない。彼らの最高の力を引き出すには異なる扱いをする必要がある。

練習後に晩御飯へ連れていく必要がある選手がいれば、オフィスで個人的に対話する必要がある選手もいる。
戦術や相手について話す必要がない選手がいれば、個人的な問題について、話し合う必要がある選手もいる。
他の選手の前で義務の説明を受けられる選手達もいるよ。チームの残りの選手達の前でね。
でも、悪かった点や改善点を指摘されるのが嫌な選手達もいる。

攻撃されていると感じ始めるかもしれない。だから、選手達を知る時間が必要なんだ。でも、プロのレベルでは十分な時間がないんだ。だからこの時間は大きな挑戦になる。時間がないからね。

個人のレベルで1人1人と接する方法を見つけるのは、私達(コーチ、指導者)の仕事の醍醐味だね。
何を言うべきか、どうモチベーションを挙げるかを知るんだ。

1人1人を”そそのかす”ことで、選手達から最高の力を引き出すんだ。表面的な優越や立場から、選手達は指導者が上にいると思うかもしれない。でも実際は、私達(コーチ、指導者)は彼らより下なんだ。
選手次第だからだよ。

お互いにコミュニケーションをとって理解し合わなければいけないんだ。

※自己解釈も含めての文になっております。


なるほど

トップの指導者はここまで考えてやらないといけないのかと

ちょっと前にNetflixで見たマイケルジョーダンのラストダンスでも伝説的チームのブルズを率いたフィルというコーチも破天荒なデニス・ロッドマンにシーズン中の大事な試合前に遊びに行く許可を与えたりしていました。

この時に彼が言っていたのもロッドマンはこういう休暇をたまに与えないといけない選手で与えた後戻って来た時に必ずチームの助けになると。

実際この当時のブルズの栄光にはロッドマンの存在は欠かせなかった

彼も心に触れるという事ができていたという事でしょう

ロッドマンに休暇を与えず違う対応をしていたら辞めていたかもしれないし、最強のブルズを作れていなかったかもしれません。

これは日本と海外との文化の違いはあり、中々日本でここまでの対応をするのは難しい気はするけど様々な個性があるチームを一つにまとめて凄いチームを作る為にはこういう事が必要なんだなと感じました

これはサッカーに限らず、仕事でも凄い組織を作り上げる為には必要な事な気がします。

頼れる上司やトップになるために必要な能力だと思うので、ぼくも一丁前に意識して今後行動していきたいと思います。習得できるかは未定です(笑)




















2021年04月04日

卒団式

先日、コロナの影響もあり少し遅い時期でしたが少年団の卒団式に呼んでいただき子供達の前で話す機会をもらいました。

大した実績は残せなかったけど【元プロ選手】として呼ばれて話すので少しでも子供達の夢の助けになればいいなと思い話しました。

僕も小さいころプロ選手がくるクリニックやOB選手の話を聞きに行ったりして色々な刺激をもらったあの時の自分の様に少しでも皆の心に今後残っていれば嬉しい。

JFAがやっている夢センでの経験があったのでスムーズに事は進めれました。むしろ慣れていたこともあり僕は予定1時間の所を1時間以上話すという感じに。

ランナーズハイならぬスピーキングハイになってました

自分に酔っただけではなくちゃんと子供達に伝わっていればいいのだが…(笑)

質問も最後あったんですが、どうやったらトラップが上手くなりますか?どうやったらまっすぐパス出せますか?スランプ(シュートが入らない)に陥った時にどうやったら立ち直れますか?など1-6年生までいたので内容は様々でした。

そんな中で僕が伝えたのは、なぜトラップが下手?なぜまっすぐ飛ばない?なぜシュートが入らない?(スランプ)という事を自分で考えるのが大事という事です。なぜ?どうして?どうすれば?と考えられる事が上達のポイントだと僕の経験上から思ったからです。


子供達から質問をもらった後にじゃあどうしたらトラップ上手くなると思う?と聞くと

練習する!というざっくりとした返答が返ってきました

じゃあどんな練習?と聞くと

トラップの練習

じゃあどんなトラップ練習?シチュエーションは?そもそもなんでトラップが下手だと思う?プレッシャーを受ける時にミスする?プレッシャーなくてもミスする?と細かく逆質問しました

ざっくりとは答えれるけどどうして?なんで?と聞かれるとすぐには答えれない感じでした。ここを考えれるとどうすれば上手くなるか?どんな練習するのがいいいのか?と持論をたてながら進める事ができその中でトライ&エラーを経て上手くなると考えています

僕の恩師からいただいた

サッカーに正解はない

という言葉があり、これをしたから上手くなるというのはないと思っているので自分で考える事が凄く大事だと思います。

コーチなど大人が”答え”と思われる事は教えられるけどそれがその選手の正解とは限らないので参考にはするけど自分で考えて導き出す事が大事かなと思います。

人に話す機会は自分が忘れかけてた事などを思い出させてくれるので有難いです。

卒団した皆には中学になっても頑張ってもらいたいなと思いました。

僕も自分で考えトライ&エラーをして 皆に負けないように成長していければと思います。

この度はみんな本当におめでとう!そしてサッカー楽しんでね!















2021年03月28日

辞めてからの生活リズムの変化

タイでサッカーしてて活躍してる後輩と日本時間のam3時、タイ時間でam1時にふと彼があげたインスタのストーリーに反応して連絡とってたら後輩が

「ショートスリーパーですか?ヤバい時間まで起きてますね!」

って言われて、確かに習慣になってるから気にも留めてなかったけど変な時間まで起きてるなと

その理由が何かと考えたら

色々時間が足らん!って所ですね(笑)

会社に勤めていて自分が好きな事、したい事をしようと思うと仕事から帰ってきてご飯食べてお風呂入ってってなるとどうしても遅いじかんまで起きてないと色々出来ないのです

サッカー選手の時は練習はあって2時間だしその後は自分の為に筋トレするのもよし、リラックスするのもよし、寝るのもよしと何かやろうと思ったら出来る時間が今考えると滅茶苦茶ありました

が、僕はこの時間を有効に使えてなかったですね(笑)

自分と向き合う時間が沢山あるというのは滅茶苦茶いいですよね。羨ましい。

ただある時はよの事に気づかないんですよねー。気づくのは大体いざ時間が欲しいと思った時

今の選手達には時間を有効活用してほしいなと思います

辞めたら時間ねーってなるよみんな!笑

と朝方4時に書きました。

時間の有効活用できるようになりたいです












2021年02月13日

可能性は皆にあり、掴むのは自分次第


クラブワールドカップがコロナの影響もあり、大会がずれ込んだりしましたが無事終わりましたね。結果はバイエルンの優勝で何とバイエルンは6冠!!バルサに続き2チーム目の快挙

凄いですね

そのバイエルンとの決勝で対戦相手のティグレス(メキシコ)にアメリカ時代のレアルソルトレイクでのチームメイトがいました。センターバックで3番のカルロス・サルシード選手。

彼は今やバリバリのメキシコ代表選手。ただ一緒にプレーしていた時は彼が若かったこともありますが、特に凄い選手でもなくごくごく普通の選手でした。

彼の活躍を見ると同じチームでやってた選手の活躍は嬉しくなると同時にあの頃は試合に全然絡んでなかったしまさかこんなに活躍するとは。 

どこで彼と差がでた?自分にも彼のように活躍するチャンスがあったのではないか?

などと考えてしまいます

毎回この様に自分では(はたから見たらわからないが)同じスタートラインに立ってたのになぜ?と思う現象は僕は多くあるのですが、結局は可能性は皆にあるけどそれを生かすも殺すも自分次第なのではないかという所に最近は行きつきます

僕はあの時もっと努力してればとかあの時この選択をしてればとか考えてしまいますがそのころの自分には自分の可能性を生かす気持ちができてなかった

完全に気持ちの準備不足です

自分の可能性を信じチャンスをつかみ遥か遠くに行ってしまった人達は気持ちが強い人が多い

可能性を生かし成功する為には自分と向き合い自分との闘いに勝つ

わかっているがこれがまた難しい

どうしても他人ありきで考えてしまうが結局は自分との闘い。
弱気になったりする時は大抵自分が勝手に相手を大きくしてしまい恐れたり不安になったりする。

相手にフォーカスする事なく自分にフォーカスする

これが出来る様になると僕も自分の可能性を生かせるのではないか

自分に焦点をあてる

これを意識していかなければと思ったクラブワールドカップ決勝後でした。










銀座カラー

2021年01月24日

好きな選手、なりたい憧れの選手

皆さんの好きなサッカー選手はだれですか?


メッシ、CR7、世界には素晴らしい選手は沢山いますし、サポーターの方は自分が応援しているチームに好きな選手がいる事でしょう。

僕の好きなサッカー選手の定義は見ていて楽しい選手。そして僕の場合は自分がサイドバックだったのでサイドバックの選手に目がいきますしサイドバックの選手に好きなサッカー選手がいました。

ガンバJr時代(小学生)時はキャプテン10番でボランチ、トップ下などをしてましたが、ガンバJrユース(中学生)にあがると上手い選手ばかりだった(当時は同級生に寺田紳一、1つ下に家長昭博がいた)のでポジションを変えるしかなく中学からサイドバックでした。

1つ下には本田圭佑もいましたが皆さんは想像できないと思いますが中学時代はトップ(当時ガンバでは2.3年でトップとBチームをつくる)にはあがってきておらず一緒にプレーしてないので僕になんら影響はありませんでした(笑)まさかここまで上り詰めるとは当時の僕には想像できませんでした…。

少し脱線しましたが、そのサイドバックにポジションを変えた時、というか試合に出る為には変えざるをえない状況だったのでサイドバックの選手を参考にしようとみて初めて好きになった選手が当時ブラジル代表のキャプテンだったカフーです。

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あの走力は化け物でした。何回も長い距離を走りオーバーラップをする姿は当時の僕にはこれだ!
!このスタイルでプロになってやる!と思える選手で好きな選手からすぐなりたい憧れの選手になりました。

試合をテレビで見てて、カフーを見てると攻撃であんな長い距離走ったのに攻守変わって守備になってカメラがブラジルの自陣を映すとそこにはカフーの姿が。あれ?いつ戻ってきたの?
という事が多々ありました。カフーが出てる試合は沢山みたなー。僕がカフーから習ったのはオーバーラップするなら全力で戻る。サイドバックはディフェンスなんで守備がおろそかになるならオーバーラップはしないというルールが中学時代にカフーのおかげでできました。それからというものカフーみたいになりたいので走りの練習は必死にやりました。

そのスタイルでプロにまでなれたのですが、バルセロナにある選手が移籍してからはその選手の虜になってしまいました。

それはダニエウ・アウヴェス

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まさに衝撃的でした。メッシとアウヴェスの右サイドは破壊力抜群だし見ていて面白いし未だに僕の中では世界最強の右サイドのコンビです。たまに2人だけで崩していくときは芸術ですね。アウヴェスのなにが凄いかというと僕は判断がめちゃくちゃ速い。メッシとワンタッチ、ツータッチでパス交換するんですがそこもダイレクトでいけるの?というのが見ていて凄い!と思ったし面白いと思いました。更に熱くてガッツがありこれまたカフーと同じで無尽蔵の体力の持ち主。終盤になってもガンガン攻撃にいく、けど守備も手を抜かずやる。

鳥栖時代は好きすぎてアウヴェスみたいにプレーしたくてマネをよくしていました。ただカフーのスタイルでプロになったので技術的にアウヴェスのスタイルになるのは無理でした(笑) 
カフーが下手って意味ではなくサイドバックとしてはアウヴェスがうますぎるという事です。

僕がアウヴェスのマネを唯一できたのは手真似だけでした。
アロハみたいな手をOK!って味方とかにジェスチャーで伝える時にアウヴェスがやるのですが好きすぎてそこもマネしてました。鳥栖時代ぐらいからだと思うのでこのストーリーを知らない鳥栖の同僚はなんでアロハやねん!っていまだに思ってっるかもしれません(笑)
それぐらい好きで今もブラジルで現役をしていて今では10番トップ下で開花してるんでやっぱり技術的には間違いなく上手い選手なんだなと思います。今でもたまにユーチューブなどでアウヴェスとメッシのコンビの映像は見ますね。

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もう37歳ですがまだまだアウヴェスのプレーが見れると幸せです。もしサッカーコーチをするならアウヴェスみたいな選手を作りたいですね。












2021年01月09日

高校サッカー選手権

準決勝が終わったと思ったらもう決勝戦ですね。
ただ中1日のスケジュールはきつい・・

今回はコロナの影響もあり準備から大会期間中もいつもどうりにはいかず、大変だと思いますがかなりハイレベルな試合展開を繰り広げていて観ていて楽しい!

僕が高校生の時よりも技術がしっかりしてるので僕皆上手いなと思いながら観ています。
僕らの時代は走れてフィジカル能力が高いチームが強かったというか主流だった気がします。

高校サッカー選手権は3年生にとっては最後の大会なので、3年生の皆は色々な思いを抱えながら試合に臨んでいると思います。



僕は負ければ終わりというプレッシャーなのか緊張なのかで県予選の準決勝前ぐらいから不眠症になり全く寝れなくなりました(笑) 早すぎてどんだけメンタル弱いねんと自分でも思っておりました・・
その時は寝てないのでパフォーマンスも下がっていくしで眠れるようになるために薬を飲みながらやってました。気負いすぎて当時の監督の樋口士郎さんに気持ちが高ぶりすぎておかしいから落ち着けと練習後に呼ばれ話したこともありました。(笑) ただ本大会よりも県予選のほが緊張するんですよね。これは意外とあるあるなのかも。

この大会で就職活動(Jクラブなどからスカウト待ち)している選手、高校サッカーでサッカーを辞め違う道に進もうと考えてる選手、皆色々な思いがあり試合に臨んでるんだなと想像しながら観るとやはりどの試合観ても感動するし応援したくなりますね。

僕も今振り返ると楽しかったと思いますがその当時は色々必死で楽しいって感情じゃなかったし色々な選択に迫られる時期なので難しいと思いますが、高校生の時にしか経験できない体験が3年間で沢山できるので3年生含め今の高校生には今を楽しんでもらいたいですね。

今回高校サッカーを観て大変な時期を皆過ごしてますが、色々な活力をくれるサッカーの力、スポーツの力はやはり凄いなと思いました!

決勝楽しみにしてます!

早くスポーツがある当然のようにある日常が戻ってくることを願っています。
前を向きみんなで力を合わせてこの大変な時期を乗り越えていきましょう!

















 

2021年01月03日

契約満了から次のチームが決まるまで〜アメリカ編〜

さて前回の続きです。
前回の最後の一文↓

ここから僕のアメリカ挑戦が始まります。英語のbe動詞もわからない僕がアメリカで契約はしてたのでチームの開幕登録(当時は26人)に入り無事シーズンを迎えるまでどうだったかを次回、契約満了から次のチームが決まるまで〜アメリカ編〜で書きたいと思います。
ひとまずこのシリーズは次で最後です。

という感じで終わっていましたが、早速書いていきたいと思います。

アメリカに入る前から色々やる事がありました。

まずはVISA取得。キャンプが1/25ぐらいから始まったと思うんですが、なぜだったかは覚えてないのですがキャンプ数日前までVISAが取れてなくなるべく早く取り合流しなければいけませんでした。取る前に聞いた話だと書類がそろい東京のアメリカ大使館に行き英語でなぜアメリカに行くかなどを説明しないといけない、申請してVISAが下りるまで1週間は少なくてもかかるとの事でした。しかも入るまでもかなり人が並んでるので大変。との事でした。

これは大変だ・・と思っていましたが人には本当に僕は恵まれており友達に相談した所、大使館の中に友達がいると、しかも当時の大統領が日本に来た時とか後ろにいるような人。これはラッキーとその方を紹介していただいた結果…

上で説明した苦労はほぼなくあっさりVISA所得できました。(笑) 2日でとれたのはさすがにビックリでした。マリナーズに移籍する岩隈さんも大使館でお見掛けしました。

最初の難関は突破。早速飛行機をとってもらいアメリカへ!大宮時代にグアムキャンプに4年行ったぐらいとアメリカに行く前に10日間タイに練習参加で行ったぐらいで、ほぼ海外に行った事ないので何かトラブルにあったらどうしようとかなり不安でした。最大の難関の乗り換えがあったので尚更です。

その不安は見事的中。確かサンフランシスコで乗り換えでしたが、乗る予定だった飛行機に乗れませんでした。海外素人にはかなり高度な乗り換えスケジュールだった記憶があります。慣れてる今でも無理なスケジュールかも(笑)その時はまじでヤバい!と思いかなり焦りましたが全く喋れない英語を何とか必死になって喋り飛行機を変更してもらう事が出来ました。この時は本当に焦りましたし少しの時間でかなりのパワーを使ったのを覚えています。

幸先はあまりよくなかったですが、無事に最終目的地のソルトレイクシティに辿りつきました。

アメリカでの開幕までのスケジュールは
1週間ほどソルトレイクシティの室内練習場で練習
         ↓
アリゾナキャンプ
         ↓
一度ソルトレークシティに戻ってくる
         ↓
アリゾナキャンプ(大会参加)※最終テスト
         ↓
帰ってきて開幕を迎える

とこんな感じだった記憶がありますが、この当時は先のスケジュールなんて一つも知らず(英語話せなかったので僕だけ知らなかった可能性あり)毎日毎日、今まだクビになってないよね何にも言われてないしって感じでかなり毎日緊張感ある生活でした。アメリカではかなりの人数の選手がキャンプに参加していて開幕を迎える26人の登録枠を巡ってしのぎを削ります。僕もアメリカにわたる前に言われていましたが、ダメなら1日練習参加しただけだったとしても帰ってもらう、即ちにクビだと言われていました。そして本当に毎日人がいなくなったり増えたりで緊張感があり今どんな状況なの?って感じで過ごしていました。スリリングでしたね。

最初の練習から監督が何言ってるのかさっぱりわからなく練習の色々なルールが理解できなくよく怒られましね。アルゼンチンや南米の選手も多く今まで体験した事のないドリブルのリズムやサッカーになれるのも大変でした。英語が喋れないのでサッカー中に伝えたい事が伝えれなく苦労しました。

色々細かい事を書くと長くなりすぎるので端折りますが色々な事を経て何とか踏ん張り最終試験とも言っていいアリゾナの最終合宿での大会Desert Diamond Cupに出場。その時にアンリ、ラファエル・マルケス、ベッカムがいるチームと試合ができ、同じピッチでサッカーできたのはまだ最終登録されてませんでしたが、嬉しかったしアンリに試合中に削られた時はまさか自分のキャリアでアンリに削られる日が来ると思ってなかったので感慨深かったですね。



その後、ソルトレイクシティに帰り謎のユニホーム撮影がありこれはもしや?と思いましたがまだわからず(笑)数日後に紙がでてきて無事に開幕登録メンバーに入ったのを知った時は嬉しかったというよりやっとひとまずホッとしました。不安な毎日でしたが今でもお世話になっている弊社BLUE UNITED代表の中村武彦さんには本当にお世話になりました。当時の日本の代理人が何にもしてくれなかったのでかなり心強かったです。(笑)武さんなしには乗り切れなかったです!


このような感じで約1か月半は緊張感がある中過ごしましが無事新チームでのシーズンをスタートする事が出来ました。開幕戦はベンチでしたが、開幕から試合にも絡め、インフルエンザにかかり2戦目で先発と言われていましたが出れず、それでも4戦目でスタメンデビューとそこまで悪くないスタートでしたがパフォーマンスを維持する事が出来ずにアメリカ挑戦は短いものとなってしまいました。


日本で契約満了になりチームが決まるまで数か月ですが色々な体験ができ、僕はよかったなと思います。思い描いていない悪いと思われる道でも案外いい事はあるものだなと。この時になんでも挑戦した先に思ってもみなかった未来が訪れるという事を知りました。

この後の人生でも色々ありましたがアメリカ挑戦した事で得られた経験がかなり生きています。今後も自分が思ったようにいかない事ばかりかもしれませんが、挑戦し続けたいと思います。

またアメリカ、タイ、マレーシアの事など書いていければと思います。長い文にお付き合いいただだきありがとうございました!


2020年12月25日

契約満了から次のチームが決まるまで〜トライアウト編〜

さて前回の続きでトライアウト編です。

トライアウト会場はフクアリでした。毎年会場は変わっている?気がします。この前の年は2日間あったけどこの年は確か午前と午後で分けて1日でやった記憶があります。
若干うろ覚えですが…

会場入りすると既にチーム分けされていて何時の試合に出るか決まっています。ポジションの兼ね合いなどもあり45分だけの人もいれば90分の人もいました。ちなみに試合は45分で終わりなので90分の人はまた別のチームに交じってやる感じです。


チームの振り分けを見たらロッカールームで着替えます。この中も知ってる選手もいますが皆知らない選手の方が多いので変な雰囲気だったのは覚えてます。ただ僕はなぜかこの時はこの異様な雰囲気が何故か楽しくテンションがいつもより高めでした。

着替えが終わり皆が集合した時に当時引退してから選手会にいた平野孝さんが選手の前で話をしてくれて沢山のスカウトが来ているので頑張るようにと後海外、アメリカのチームも23歳以下の選手を探していて観に来ているから若い選手は頑張るようにという話がありましたが、当時26歳だった僕は関係ないと思い、へーぐらいにしか思っていませんでしたが…

大ゲームの前にミニコートで2タッチゲームを何試合かして(これも各チーム関係者は見てる)いよいよ試合です。僕は有難い事にポジションの人数の問題もあり2試合出る事が出来、最初は左サイドバック、次は右サイドバックでアピールする機会がありました。僕は左右できたのはいいアピールになり運がよかったと思います。この時は色々運もよかった。元チームメイトや元々プライベートであった事がある選手が同じチームに多くやりやすかったです。というのも知らない選手といきなり寄せ集めでするのは一発勝負のトライアウトではめちゃくちゃ大変なので。2試合目に関しては当時鳥栖で一緒だった柳沢準が右サイドハーフだったので彼におれ上がるから中入っといてみたいな話ができたのでやりやすかったです。笑  
縦関係で鳥栖時代は試合に出る事もあったしお互いのプレースタイル的にもあうので一発勝負にはかなりいい条件がそろっていた気がします。



当時のトライアウトでは試合が終わり観に来たチーム関係者が気に入れば会場で話しかけられるという感じで話しかけられなければその日はそこで帰宅と言う感じでした。僕は運も味方につけJ2のチームから声をかけていただきとりあえずよかったと思い帰ろうとしていたら選手協会の方に話聞いた?っていわれたのでJ2のチームからは聞きましたよっていうと、いやアメリカのチームが話したいって言ってると言われた時は全く海外は考えていなかったというか海外に行くチャンスはないとこの時は思っていたので、海外のチームも僕のプレーを評価してくれるんだという嬉しさがありました。


そしてアメリカのチームのGMとこの後僕の人生に多大な影響を与えてくれる事になる武さんこと、中村武彦さんが通訳として同席してくれました。今はブルーユナイテッドという武さんの会社で僕はスカウトとして働かせていただいてます。

ここでの話しは色々衝撃的でした。
当時の代理人の方が当たり前のように同席しようと来たら(前のJ2のクラブとは同席しててそれが普通)GMが選手と話したいから同席しないでと。聞いてくる質問も家族は何人いる?ユタ州は田舎だし日本から遠いけど家族は心配しないか?などパーソナルな質問が多かったことです。日本ではないのでそんなこと聞くんだと不思議な感じでした。

アメリカのMLSに挑戦するにはまずは契約するけどキャンプ参加してダメだったら極端な話、1日でクビでクビになった次の月の給料までは払うという結構シビアな話でした。それでも挑戦する気はあるか?と聞かれてあります!って答えましたがまだその時はアメリカに行く事は決めてませんでした。

なぜならこの日J2のチームから話をもれえたのと元々トライアウト後にタイのムアントンユナイテッドに練習参加するのが決まってたからです。

ムアントンの話はかなり端折ると、向こうにも気に入ってもらえて金額の話を詰めていた所でしたが、12/26までタイにいて12/27に日本に帰ってきて年内にもうハッキリしたいというのとアメリカのチームもそこまで返事を待ってくれないという事で確か大晦日にアメリカに行きますと伝えました。

ここから僕のアメリカ挑戦が始まります。英語のbe動詞もわからない僕がアメリカで契約はしてたのでチームの開幕登録(当時は26人)に入り無事シーズンを迎えるまでどうだったかを次回、契約満了から次のチームが決まるまで〜アメリカ編〜で書きたいと思います。
ひとまずこのシリーズは次で最後です。


まあまあ長いですが、またお時間あれば見て下さい!

2020年12月20日

契約満了から次のチームが決まるまで〜準備編〜

契約満了の事について書かせていただいたので、僕が満了になってから次に決まるまでの過程を書きたいと思います。

僕の場合は契約満了を最終戦前ぐらいに告げられた時はまだどのチームからも話がなく、チームを見つけなくてはいけない状況でした。

僕の場合は有難いことに初めて契約満了が告げられた8年目まで年末にチームがない事がなかったので早くチームを決めないと!という気持ちが強かったです。なのでその当時の代理人の方と契約満了を告げられた日にどうするか話し合う中で代理人の方が、東南アジアにチャレンジする気はないか?という話があった時はじっと待つだけでこなかったら嫌だったので練習参加をトライアウト後にする事にしてました。完全にトライアウトでどのチームからも話がなければという感じでしたが。この時は日本以外でやる気はなかったのでまさかその後、東南アジアで5年間サッカーするとは思ってなかったです(笑)

年内のチーム探しのスケジュールはこんな感じでした

・12月3日最終戦
・12月13日にフクアリでトライアウト
・12月15日-12月25日までタイのムアントンユナイテッドに練習参加

確かこのシーズンはトライアウトの為に最終戦が終わってチームの活動が終わった後も鳥栖の練習場でトレーニングを満了になった選手達と一緒にやってました

あっトライアウト前にギラヴァンツ北九州のトライアウトみたいなやつに誘っていただいたので大学生にも混ざって試合しましたが声はかかりませんでした(笑)
が試合形式で90分間試合できたのはよかったです。

その時は変なプライドもあったのでギラヴァンツのトップチームの選手達がいる中での試合は恥ずかしいなと思ってた気がします。今思えば変なプライドですよね。自分の恰好ばかり気にしてましたね。

そんなこんなでいよいよ運命のトライアウトを迎えるのですが、ちょっと長くなりそうなので刻んでブログに書いていきたいと思います。

〜トライアウト編〜に続く












2020年12月16日

戦力外通告

まさに今各チームから契約満了などのニュースがあるのでその話題を。

チームを離れないといけなくなる戦力外通告。プロ選手であれば戦力外通告を受ける可能性はあります。
もちろん、一度も受けなくて自分で引退とできる選手もいますが、プロ選手の大半は戦力外通告を一度は受けるのではないでしょうか。

僕も日本で1度戦力外通告を受けました。海外の時も受けましたが海外の時はすでに免疫があったのと外人選手として所属していたのでそんなもんだろうまたチーム探すかというメンタリティになってました。なので日本ではじめて8年目で戦力外通告を受けた時はショックでした。今思うとただうちのチームでは合わないよというだけ(勿論成績を残せた残せなかったが関係するが)その当時はサッカー以外も否定されてる感じがしてショックと次どうしようという不安が大きかったです。今思い返しても何ともいえない感情になりましたね。

今はわかりませんが、当時は1人ずつ強化部長と話す機会を設けられてまず来年契約する意思があるかどうか話すのですが、ある程度その当時の自分のおかれてる状況でそうだろうなというのもあるけど、もしかしたらという期待もあって変なテンションで話し合いの場に行ったのを覚えてます。あっその当時は当時の代理人の方とも同席したような‥。上でも書いたようにある程度覚悟してたもののショックは大きかったです。

その時はショックを隠すために全然こんなの余裕!って感じを外には見せつけたくて(完全に強がり)Twitterで契約満了を告げられた日?だったかにアホな事を呟くという事をしてしまいました。笑 
完全に今思っても黒歴史というかアホとしか言えません。

僕はそんなアホな26歳でしたが、今の若い子の契約満了になった時のSNSやチームの退団コメントを見ていると素晴らしい振る舞いだなと感心すると共に自分の若い頃が恥ずかしくなります。

以前のチームメイトでその選手が高卒の頃から知ってるんですが、契約満了となった後の彼のSNSでの振る舞いや退団コメントを見て少し感動しました。やはりサッカー以前に人間性が大事なんだなと改めて気付かされました。彼は次また別のチームに行っても愛されるだろうし時間が経ちサッカーを辞めて違う道に行ってもその素晴らしい人間性があれば大丈夫な気がします。

皆んなプロになる為に必死で頑張ってなってプレッシャーや不安を抱えながらプロ生活送っていると思うので契約満了になると凄く色々な感情が出てくると思いますが、その感情を押し殺してしっかりとした発言ができる選手は素晴らしいと思います。

僕の場合は、当時自分の事というか自分の悔しいや自分の格好ばっかり気にしての言動が多く反省ばかりです。
立つ鳥跡を濁さず。
やはり契約満了になった選手が素晴らしいコメントをしてるのを見ると気持ちがいいし、知らない選手でも応援したくなりますね。





辞めてから改めて、日本で在籍してたチームでは愛想も悪かったと思いますが、こうやってTwitterやブログを見てくれたりコメントをくれる皆さんには感謝しかないです。

応援してるチームを離れる選手もいると思いますが、離れてからも気にしてくれると選手は嬉しいと思うので離れた選手とも交流してほしいなと僕個人としては思います。

という事で皆さん、引き続きよろしくお願い致します!












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