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2013年05月03日

今日の下関は先帝祭です(^o^)/

先帝祭とは、壇ノ浦の戦いの翌文治2年(1186年)、長門国に命じて安徳天皇の遺骸を納めた阿弥陀寺(現赤間神宮)境内に御影堂を建立し、安徳天皇の命日(3月24日)にその遺徳を偲ぶ先帝会を修したのが起源といい、以後毎年3月24日に安徳天皇の御陵の前で「御陵前祭」を営み、明治以降は祭日を太陽暦(4月23日)に改めて例祭とし、その後更に現行日(5月2日)へと改めました。



2日は平家落人の子孫らで組織される全国平家会の参列のもと御陵前での神事を始め、平家一門追悼祭などがある。 翌3日に、平家の遺臣で中島四郎太夫という者が、漁師に身を窶して平家再興を計りつつ下関に潜伏、先帝会には威儀を正して参拝したという故事に因んで、その子孫に端を発する「中島組」という漁業団体員が参拝、これを「中島組参拝の式」という。それに次いで「上臈・官女参拝の式(「上臈道中」)」となるが、これも壇ノ浦の戦いの後に在地の苫屋に援われた建礼門院(平徳子)の侍女達が、在地の苫屋に養われつつ御陵に香花を手向け、先帝会には容姿を整えて参拝したことに縁由するという。その後妓楼を営むようになった苫屋の主人が、侍女達及びその遺族も没したために、抱える遊女達にその風俗を真似て宮廷装束に身を纏わせて参拝させるようになり、これが江戸時代に至って、当時存在した稲荷町遊廓の遊女によって受け継がれて、現在の「上臈道中(じょうろうどうちゅう)」となったといい、吉原の花魁に模した太夫が禿(かむろ)、上臈、稚児、警固(けいご)らを従い、下関市中を外八文字を踏んで歩く。



関門海峡では、船合戦を行います。





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posted by 海峡人 at 16:24| (カテゴリなし)
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