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隼四郎
一度都会に出てみると地元のことが気になってくるものです。 そういう自分の体験から、鹿児島を散策しながら「あっとらんだむ」にいろんなことをお伝えできればいいなと思っています。 どうぞお気軽におつきあいください。
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2013年10月10日
☆10月10日は…



10月10日といえば、リアルタイムで体験した世代にとっては、即座に東京オリンピックという答えが返ってくると思います。そして、永らく体育の日でもありました。

1964年、昭和39月10月10日は、忘れもしない、東京オリンピックの開会式が行われた日です。

雲一つない日本晴れの中で盛大に開催された開会式は今でもありありと思い浮かべることができます。

自分の人生の中でこれほどの感動を体験したことはありません。

このたび2020年に東京オリンピックを招致できたことは本当に意義深いことだと思います。


今日ご紹介するのは、49年前の東京オリンピックの開会式の様子です。

東西ドイツの統一チームが入場行進をしています。なんと今は無きソ連の選手団が見えます。

この時、北朝鮮の選手団は日本に来ていながら参加せずに帰国しています。中国に同調したためでしょうか?

中国は参加していません。まだ国際社会から孤立していましたね。

さらに、あろうことか、東京オリンピック開催期間中に、中国は初の核実験を強行しています。

中国は平和の祭典の理念を踏みにじり、開催国である我が国の面子を潰しました。

中国は今、靖国神社参拝に関して中国の国民感情を傷つけた云々と喚き散らしていますが、五輪開催中に核実験をするなどとは、これほど日本国民の感情を傷つける犯罪行為は無いと思います。

中国は2008年の北京オリンピック開催前に、日本に協力を要請する際に、この時の核実験強行について、深く深く日本国民に謝罪すべきでありました。

それが、けじめというものでしょう。

しかしながら、謝罪すら求めずに相手の要請するままに全面協力した日本政府は本当に節操のない相当な体たらくであると思います。

お互いを尊重して初めて国際間の友好が始まるのではないでしょうか?


また、中国や韓国は2020年の東京オリンピック招致成功について、いまだ祝辞一つ表明していません。

韓国はこの度の東京オリンピック招致活動に対して露骨な妨害をしました。

さらに、ボイコットを匂わせながら、(中国との領土問題はありませんが)領土問題をからめて妨害しようとする動きが今後活発になってくるでしょう。

五輪に参加してやるから尖閣諸島をよこせ!沖縄をよこせ!と。


そういういきさつを日本国民がしっかり踏まえてこそ、2020年の東京オリンピックの成功を望めると思います。


http://www.youtube.com/watch?v=Q7q-seQx_u8

東京 ・ オリンピック ・マーチ ( 1964 )  作曲 ・ 古関 裕而 -
YouTube


http://www.youtube.com/watch?v=1yWLGCobGKI



Posted by 隼四郎 at 10:19 | 歴史 | この記事のURL
2013年10月03日
☆9階ビル




鹿児島市名山町にある鹿児島ビルです。

何の変哲もない商業ビルに見えます。

竣工は昭和37年11月だそうです。

出来てから今年で51年になります。


しかし、なんと、当時は鹿児島市で一番高いビルということでずいぶん話題になりました。

9階建てのビルが出現し、山形屋デパートの8階を超えてしまったのです。


当時としては斬新なデザインで、小学校の校外写生の時間には好んでスケッチする同級生も多かったです。

しばらくは、通称「9階ビル」で注目を浴びていました。


あれから半世紀が過ぎ、鹿児島市の様子も一変しました。

今では、「鹿児島市で一番高いビルだったんだよ」と、言われなければ誰も気づかないでしょう。


工事の始まった昭和36年、鉄筋をカンカンと叩く音が響いてうるさかったことを覚えています。


また、昭和36年4月は、NHKテレビの「みんなの歌」が始まりました。

最初の歌はチェコ民謡「おお牧場はみどり」でした。

工事の音と「おお牧場はみどり」が自分の記憶の中でリンクしています。



♪おお牧場はみどり (チェコ民謡)

http://www.youtube.com/watch?v=yQ0YizobL_Y&feature=youtube_gdata_player


Posted by 隼四郎 at 14:21 | 歴史 | この記事のURL
2013年08月31日
☆さらば夏の日





昭和32年から昭和47年まで、鹿児島空港は現在の鴨池新町にありました。

当時の滑走路跡にはニュータウンが建設され、鹿児島県庁、鹿児島県警、鹿児島県経済連等の官公庁やマンション群、鴨池新港が新しく出来、大きく様変わりしました。

ただ、鴨池空港当時のターミナルビルはそのまま別の商業施設として使用されてきていました。

ところが、さすがに老朽化により、このたび解体されることになりました。

今年の夏でターミナルビルはその使命を終えることになりました。


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Francis Lai 映画「さらば夏の日」 Du soleil plein les yeux(instrumental)


http://www.youtube.com/watch?v=0uUtgwbbOZg&feature=youtube_gdata_player

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昭和39年の東京オリンピックの前には、沖縄より聖火が空輸され、この鴨池空港に到着しました。その熱狂もつい昨日のように思い出されます。

8月11日にはビル内で「ありがとう鴨池空港 大感謝祭」も行われました。

本当に長い間お疲れ様でした。

さらば鴨池空港、さらば夏の日。




Posted by 隼四郎 at 04:56 | 歴史 | この記事のURL
2013年08月22日
☆古代のロマン 歴史探索〜大隅国1300年




「祓うとか鎮めるというよりも安らかに天国へ昇って下さいという思いで建てられたのだと思います。」

「他の史跡との距離もきれいに二等辺三角形をかたどっていますので、ここに建てられたのも根拠があると思います。」

先日、「隼人塚」での現地研修会で、案内して下さった研究家の方はそのように説明して下さいました。


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701年、朝廷は大宝律令を完成させました。隼人の住む地域に対しても、律令のしくみをあてはめようとし、702年には薩摩国とたねのしまを置きました。さらに、713年には、日向国のきもつき・大隅・あいらの4郡を割いて大隅国を置きました。このあと、隼人たちは住んでいる国にもとづいて大隅隼人、薩摩隼人とよばれるようになりました。

朝廷は、戸籍づくりを進め、また隼人の有力者を郡司とよばれる役人に任命しようとしたのですが、隼人たちは武器をとって抵抗したようです。699年、702年、713年に戦いが起こり、朝廷は大軍を送ってこれを鎮めました。そして、薩摩国には肥後国から人々を移住させて高城郡をつくり、大隅国には豊前国・豊後国から人々を移住させて桑原郡をつくり、隼人たちを朝廷のしくみに従わせようとしました。

720年に、大隅守(国司の長官)が隼人に殺されてしまうという事件が起きました。朝廷は、大伴旅人を最高司令官として、1万人以上の兵を動員し、鎮圧までに約1年半をかけました。当時の日本の人口は500万人前後といわれていますから、この戦いがいかに大きかったかがわかります。

この戦いの時、隼人たちは7つの城を拠点として戦ったといわれています。そのうち、曽於石城(そのいわき)は、霧島市国分の城山、比売城(ひめのき)は霧島の姫城(ひめぎ)にあたると考えられます。これ以降、隼人との戦いはおこりませんでした。


*以上鹿児島県霧島市発行「大隅国建国1300年記念 大隅国へタイムワープ」パンフレットより抜粋引用しました。
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大和朝廷が全国統一をしていく中で隼人の人たちが8世紀に最後の抵抗をしたということ、そしてその霊たちを慰めるために隼人塚が建てられたということ。

隼人塚の五重の塔の側面には数々の菩薩像が刻まれていることからも、祓うというよりも霊を慰めるという趣旨が明らかですね。


今年は大隅国が置かれてから1300年になります。

霧島市では、大隅建国1300年記念事業として隼人舞の共演等、様々な催しが企画されています。

今まで薩摩と大隅の境がどの辺になるのかすら自分は知りませんでしたが、これを機会に歴史探索をしてみようと思っています。


Posted by 隼四郎 at 02:30 | 歴史 | この記事のURL
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