2015年09月22日
☆城山ドン広場
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鹿児島市街を見下ろす城山の頂上付近にある
広場です。
第一展望台に上る前の駐車場の奥にある土産物店
モールの石段を上ったところにあります。
「ドン」とは明治30年以来、正午の時報がわり
に撃たれた空砲の音のことだそうです。
ドンが撃たれたことから、「城山ドン広場」と呼
ばれました。
昭和30年代に、城山の第一展望台にあるお店に
実に西郷さんに似ておられた方が住んでいらっし
ゃいました。
鹿児島市立名山小学校の全校生徒を前に、その
ドン広場で、その木原龍太郎さんが、西南戦争の
お話をして下さいました。
その広場が、西南戦争当時、薩軍の本営地である
ことも説明して下さったはずなんですが、子ども
心には、何が何だかわからずに、西南戦争はどこ
か遠くのことだろうくらいの認識しかありません
でした。
今、振り返ると、薩軍の本営地跡で西南戦争の話
を聞くというのは、心が震えるくらい凄い体験で
した。
50年経って、その価値が理解できました。
木原さんから直接お話しを聞いたというのは、本
当に貴重な体験で、人生の宝物です。
薩南哀歌 西郷輝彦
https://www.youtube.com/watch?v=c-FbcM9x4Xo
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城山ドン広場
お昼だ「ドーン!」
―城山に舞い散る紙吹雪―
「ドンが鳴った、ヒィ(昼)がなった、メス(飯)食ぶ
ろ」と大正時代を鹿児島で生きた人は囃すそうです。
「ドン」とは明治30年以来、正午の時報がわりに
撃たれた空砲の音のこと。
当時は市役所の職員が、時計とにらめっこをしながら
、正午キッカリ点火、その瞬間「ドーン」という轟音
とともに、紙の弾が破裂、あたり一面に紙吹雪が舞い
散りました。
ドンが撃たれたことから「城山ドン広場」と呼ばれま
した。
この一帯は、島津氏入府以前の豪族、上山氏の城(砦)
のあった場所で、周辺の土塁が、今もその名残をとど
めています。
さて午砲ドンは、昭和12年、市役所のサイレン時報
にその役目を奪われましたが、終戦後「サイレンを聞
く度に、空襲警報を思い出してゾッとする。やめてほ
しい」という声が相次ぎ、サイレン時報の中止が決ま
ると、今度はお午にドンの復活を望む声が殺到したと
いうことです。
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