千厳山(162メートル)は、寛永14年(1637年)天草の乱勃発の際、総大将天草四郎時貞が
この山頂で出陣の祝宴を張り、杓子で酒を酌み交わしたと伝えられています。
手杓子山と呼ばれていたと云われていますが、昭和8年、今の名称が付けられました。
その名のとおり、奇岩、怪岩が重なり合っており、岩の間には古松や三ツ葉つつじが群生しています。
眼下には天草5号橋、4号橋、そして宇土半島から大矢野、永浦、池島、前島と天草とへと結んでいる
五橋とともに、雲仙、島原、遠くは富岡、口之津、八代海まで見ることができます。
昭和41年9月に展望所が完成しました。
中腹の駐車場近くに「キリシタン墓地」があります。
【このカテゴリーの最新記事】