2020年03月24日
神道に、ついて

江戸時代のこの明智光秀の後より幕府が倒され、明治に、変わるのですが宗教が絡んでくるので、少し神道について。
神道と仏教最近は、ごっちゃに成ってますし、よく解らない。
神道信仰されている所も、名前が〇〇教になっていたりしたら、仏教の宗派の一つかと、一般の方はとらえてしまいがちです。🙄
そこまで他の宗教の事も興味なかったり、人の信じていることを批判することはダメですよ

攻撃する事もないですし。
理解もしていなかったので、最近ようやく、違うんですね



仕事の時、五十日祭と予約に書かれていた事から、これは何でしょうか?って、
仏教は、四十九日で、仕上げとか、よく聞きます。
ではでは見てみましょう。
仏教が入って来たときに、分けるために神道と言う言葉が出来ただけ️


思想的解釈が初めて入ったのが、
8世紀初頭に、日本書紀と、古事記という日本初の歴史書がかかれます。
これにより、国内、国外に向けて、日本は神を祖先とする天皇を中心とした国家であることが示されます。
このときに神道と言う言葉が記されます
。
奈良時代に、聖徳太子や、聖武天皇で、奈良の大仏とか、がたてられていくあの時代ですね、
仏教と結びついて、
神仏習合(しんぶつしゅうごう)
日本古来の自然神への信仰と、仏教が一つの信仰体系として結びついたこと。
奈良時代には、寺院に神がまつられいてり、この形はその後千年以上に渡って続きました。
神仏混淆(しんぶつこんこう)ともいいます。
それとともに、死に、対して行われることは仏教の管理下に置かれ、
神社は神祭の場という分業が行われていきます。
今日の神社で死を穢れ(けがれ)として忌避するのはこの頃から強い傾向となったといわれています。
そのことから、神社には墓や仏壇、あるいは死後の世界の絵巻のような「死」に関わる事物は一切存在しないと。🙄
鎌倉時代には、神と仏を調和させる理論的裏付けである、本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)が生まれます。
本地垂迹説とは、八百万の神々は、実は衆生を救済するために、仏や菩薩の化身として現れたとする考え方です。
そして、この後からが日本が一番歪んでいく、政治色真っ黒MAX思想



明治維新後の新政府によって、文明化の施策として神仏判然令、神仏分離令が発布されます。命令です

これは、日本が新しい国づくりを目指す文明開化と言う時代に入ったと。
国造りです🤔新たな国造り、日本なのに新たに?
政治をする人が、ヨーロッパ等外国を見て回ったとき、
日本には海外と違う神道が、昔から生活に浸透していることに目をつけます、
神仏分離政策は、天皇制復古と祭政一致を行うために、
神道と仏教を分離させたもので、神社から仏像や経巻などが取り払われます。
修験道や陰陽道の廃止、伝統的習俗などが禁止されました。
さらに神社の祭神も、古来からまつられていたその土地の神々から
古事記、日本書紀などに著されている皇統譜につながる神々に、多くが変更されました。意図的️ツッコミ処満載ですね。
そのため、地域での伝承が途絶え、その神社の古来の祭神が不明になってしまった神社も多くあります。
これって、元々の神様を、自分たちの神に置き換えたってことです。あり得ないことが起きていたんです。
さらに、明治政府によって政策的な意図のもと、国家神道(こっかしんとう)という一種の国教制度がつくられます。








国家神道では天皇の崇拝と、国家主義思想を重要な思想としていました。
愛国的、義務的、儀礼として定義されることになりました。戦争前の天皇\(^-^)/ばんざい思想。
この天皇崇拝と、卑弥呼さんや、神武天皇の天皇崇拝とでは、民衆のとらえかたが、違うと私は思います。
第二次戦争前のこの思想は、強制的で、黒いものが後ろにあるようです。
第二次世界大戦後には、連合軍総司令部(GHQ)による占領政策の一環として政治と、宗教の分離が行われ、国家神道は解体されます。
いくつかの民衆宗教運動から派生した天理教、金光教、黒住教などが広く全国的に普及し、
布教活動が許されるようになりました。その一つ大本(おおもと)は世直しを訴えて日本ばかりか海外にも知られるようになりましたが、そのユニークな活動は国家に対立するものであり、
天皇への反逆的な活動であるとして、当時の日本政府から大弾圧を受けました。
日本政府の植民地支配と、日本の国家観念を植え付けるための統治の手段として特別に作られた神社もありました。
「朝鮮神宮」や「扶余神宮」がそれにあたります。
第二次世界大戦で日本は敗れ、占領軍の民主化政策により、国家神道は解体され、新しい宗教法人法のもと、神道は神社神道と教派神道に大きく二分されるようになりました
戦後から現在に至っては?
戦後の片寄った歴史教育や、新興宗教による事件などの影響から、宗教に、ネガティブなイメージがついたこともあり、
国民全体の風潮として、宗教と向き合うことを避けてきていて、若いかたは離れてますね。
政治的に利用されてきた思想的解釈を付加した神道とは別に、
古来の素朴な自然信仰の主に神社を中心とした風習としての神道については、日本人の生活の中で途絶えることなく続いています、節分、七五三、節分、輪抜け祭や霜月大祭とかですね。
神道は、もともと素朴な自然への信仰だったものが、長い歴史の中で紆余曲折しすぎ、され過ぎを経た結果、
現在のような神社を中心とした日本人の慣習としての、神道に落ち着いた感じですか


そこには明確な教義がないため、宗教として語ろうとすることに無理がある?
国の政策によって作り出された国家神道が、わずか80年足らずの存在だった。
近隣諸国で神道の名の下に、神道本来には無い活動をしたことを恥ずかしいと、思われるかたも多い。
全く違うことを、意図的にされてきた、日本の古神道だけでは無くて、
仏教や、キリスト教も、同じことが言えて、政治利用、悪用されるて来た事実があったと言うことです。今も進行形、、、、、
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