2021年11月10日
周囲の協力によって、得られた生活。
今、あんまり金銭的に苦しいものだから、あまり頭に浮かんで来なかったのだが、2006年〜08年頃、俺は警備員としては、自分の中でほぼ最高潮に出世していた。
退院し、カトリック習志野教会に、正式に信者として、通い始めていた頃である。
この頃、俺は施設警備の警備員として、成田空港、TOA有明、そして防衛省と、務めていた。お給料も今よりよく、仕事も毎日、刺激があった。自分がこんなに高く評価してもらえる日が来る、とは、思いもよらなかった。
これらの仕事は、姉が探してくれたものだった。そして、ひとつの会社に居て与えられた職場ではない。
都内の会社を、3つ、転々としたのである。
3つとも、3ヶ月程しか持たなかった。決して悪い待遇でなかったのに、何故辞めてしまったのだろう。とにかくこの頃も、俺は独身で過ごしており、家族とともに、暮らしていたのである。
そして、俺の生活とは対象的に、世の中は大変だった。サブプライムローン、リーマンショック、バブル崩壊後最安値の株価、など……。
俺が、落ち着いて暮らし始められたのは、2018年に入ってからである。
ただ、忘れていた、自分の価値が高く評価されていた時期、を、思い出せたというのは、自分の人生で、小さな自信となるかも知れない。
姉や、職場、病院、そして教会の人達にも感謝しなければいけないな、とも思う。
退院し、カトリック習志野教会に、正式に信者として、通い始めていた頃である。
この頃、俺は施設警備の警備員として、成田空港、TOA有明、そして防衛省と、務めていた。お給料も今よりよく、仕事も毎日、刺激があった。自分がこんなに高く評価してもらえる日が来る、とは、思いもよらなかった。
これらの仕事は、姉が探してくれたものだった。そして、ひとつの会社に居て与えられた職場ではない。
都内の会社を、3つ、転々としたのである。
3つとも、3ヶ月程しか持たなかった。決して悪い待遇でなかったのに、何故辞めてしまったのだろう。とにかくこの頃も、俺は独身で過ごしており、家族とともに、暮らしていたのである。
そして、俺の生活とは対象的に、世の中は大変だった。サブプライムローン、リーマンショック、バブル崩壊後最安値の株価、など……。
俺が、落ち着いて暮らし始められたのは、2018年に入ってからである。
ただ、忘れていた、自分の価値が高く評価されていた時期、を、思い出せたというのは、自分の人生で、小さな自信となるかも知れない。
姉や、職場、病院、そして教会の人達にも感謝しなければいけないな、とも思う。
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