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2020年05月11日

志向性

昨日、母の日だった

すでにわたしの母は他界しており花を贈ることはない

そばの公園に咲いている花を

朝散歩するときに見て匂いを嗅ぐのがいまのたのしみだ

本日は 志向性

朝、『存在と時間7』を読んでいる

起きたと同時にトイレに行きうがいしてそのまま布団の上に立って読書する

もうかれこれ2年ほど実践している

起き抜けに一番難しい本を読むのは変わらない

まったく真っ白な脳に情報を与えるためだこれが夜ではだめだ

最近少しわかりはじめたことばがある

「志向性」

フッサールさんの現象学にあるこの「志向性」漢字はわかっていても

腹に落ちていなかった

それが最近わかりはじめた

「われ思うにわれあり」というデカルトさんの有名なことばがあるのだが

われは何に向かって思っているのか

つまりこの「何に向かって」という前提がデカルトさんにはまだなかった

ということがこのハイデガーさんの「存在と時間」を読み進めてわかってきた

この「何に向かって」というのが大事であり

これが「存在」であるということはお分かりだろうか

そうフッサールさんの現象学を捉えるときのこの「志向性」とは

「何に向かっているのか」がポイントになるのだ

この現象学の「志向性」を使いながらハイデガーさんは存在と時間について解釈していくのだ

我々が「死に向かう存在」でありそこから見つめ直し存在の全体性を把握し

本来の時間性を導き出す

その本来の時間性とは時熟である

時熟とは我々が「死に向かう存在」であり死への先駆の決意性により自己固有の存在の可能性を

つねに明らかになってはじめて時熟することができる

時熟とは時はすでにあり、単なる時ではなく

自己固有の存在の可能性を明らかであるような状態のとき

時を熟することができるといったところであろうか

まとめ
・何に向かうことができるのは現存在である我々だけ
posted by ましゅ at 04:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然
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