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2018年07月03日

潜伏キリシタン

今日3時に起き、日本戦を観戦する。

あともう少しでベスト8だった。

本日は 潜伏キリシタン 

今月、天草に旅行予定だが6/30に嬉しいニュースが舞い込む。

「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」

が2018年世界文化遺産に登録された。

天草ではア津さきつ集落が構成資産となる。

鹿児島から行くのでこちらのフェーリでいく予定。

三和フェリー

1時間に1本でている。

最初熊本のほうから行こうと計画していたが、

googleで経路を確認すると海路があるのがわかる。

すごいショートカットだ。

さて、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」

潜伏キリシタンということばが気になる。

われわれは隠れキリシタンとそう教えられてきた。

潜伏キリシタンとはなんぞ。

キリスト教禁教期の17〜19世紀の日本において、社会的には普通に生活しながらひそかにキリスト教由来の信仰を続けようとしたキリシタンのことを学術的に「潜伏キリシタン」と呼んでいる。

そして、彼らの「信仰を実践するために独自の対象を拝むという試み」と、「共同体を維持するために移住先を選ぶという試み」を併せて「潜伏キリシタンの伝統」と呼ぶ。なお、禁教期よりも前にキリスト教に改宗した人々のことを、同時代の日本ではポルトガル語由来の「キリシタン」と呼んだ。

また、キリスト教が解禁となった19世紀後半以降も引き続き潜伏キリシタン以来の信仰を続けた人々のことを「かくれキリシタン」と呼ぶが、その信仰のあり方は解禁以降に次第に変容したとされ、変容が進んだ段階の人々を「カクレキリシタン」と表記する場合(研究)もある。



簡単にまとめるとこんなところだろうか。

禁教前 「キリシタン」
禁教中 「潜伏キリシタン」
禁教後 「かくれキリシタン」

今回はこの禁教中の範囲が遺産対象となっているようである。

潜伏キリシタンとかくれキリシタンの違いがよくわかる。

1年前だろうか。

マーティン・スコセッシ監督の映画「Silence」がある。

こちらは遠藤周作が原作の「沈黙」を映画化したものである。

とある宣教師が

過酷な弾圧が繰り返される中で

神に祈るがその神は沈黙をし続け

彼はついには信仰を捨てるが

それは表向き。最後はまた神を信じながら死ぬ。

何も奇跡も起こらない

何の声も届かない

神はまさに沈黙している

信じ貫くだけである。

映画の中でこうした潜伏キリシタンの弾圧が過酷を極める。

その中で信仰を禁教が明けさらにその後も貫きとおしてきた

ことに畏怖する。

まとめ
・何かを一生を通じ信じ貫くことができるのか


posted by ましゅ at 05:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然
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