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2018年07月02日

シーシュポスの石

うだるような日中の暑さに比べ

夜はまだ涼しい。

夏はまだまだ全力ではない。

本日は シーシュポスの石 

シーシュポスは、

山のふもとから気のとおくなる距離であるその頂きまで

大きな石を手で押しながら上げる。

頂きについたのもつかの間

その石はまた遥かかなた山の麓まで転がり落ちる。

それをまた麓まで取りにいき

またその石を頂きまで押し上げる。

それを日々繰り返すのだ。

不条理とはなんぞとあれば

この例がわかりやすい。

ばかばかしい。

やってられるか。

だがその行為を放棄することは許されない。

目的もなくただひたすら行う。

囚人の罰で一番きついのは

掘った穴を埋め、掘った穴を埋める作業という。

何の目的もない、単調のこの作業。

どんな屈強なものでも1日も心もたない。

シーシュポスの石も

なぜ山の頂運ぶのかも

その目的もなければ

なぜ山の頂から石が落ちるのかも

何一つ理由もない。

ただその行いだけが時時と続いている。

シーシュポスは石を頂きに上げたくて

上げているのではない。

勝手に体が石を頂きに上げているのだ。

最初は何のためにか考えたに違いない。

そのうち馬鹿らしくなり考えることやめた。

また頂まで石を上げるもまた石が麓までまた

転がり落ちる。

またか

またなのか

いい加減にしろ

そうシーシュポスは考えたに違いない。

毎日毎日ずっとこれなので考えることをやめた。

馬鹿らしい。

シーシュポスは今もまだ

石を頂きまで上げ、

その石が転がり落ち

また石を頂きまで上げてるのだ。

「何のために」

「何のために」

何のためにもない。

「何でわたしが」

「何でわたしが」

選ばれたわけでもない。

シーシュポスの石は

入れ替わり立ち代わり

人が代わり

今も行われているのだ。

シーシュポスはわたしであり、われわれなのだ。

ここに

「すべてよし」

とその思える瞬間

何もかも許されているのだと覚る。

まだわたしに

「すべてよし」

と言えることはない。

いつこれが言えるだろうか。

「すべてよし」と。

まとめ
・誰しもシーシュポスの石を持っているし逃れられない







posted by ましゅ at 04:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然
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