2016年08月26日
冥界の門を開く石“カーネリアン”(紅玉髄)
鮮やかなオレンジイエローのカーネリアンは、古代エジプトでは死者の国の扉を開く、死者たちにとってはなくてはならない石の一つだった。
古代エジプトでは、死者たちが無事に天国で再生できることを願い、死者のミイラと一緒に、再生に必要な様々な護符や、「死者の書」と呼ばれる呪文書を埋葬する習慣があった。
この「死者の書」に、カーネリアンで出来たイシスの締め金の護符の章があり、次のように記されている。
「イシスの血、イシスの魔術、イシスのパワーよ、私を守りたまえ。私が忌み嫌うものらを打ち砕きたまえ。」
イシスの締め金は、冥界の王であるオシリス神の妻であるイシス女神の帯の締め金をかたどったもので、これを死者に用いるときにはある決まりを守る必要があった。それは、花の浮かんだ水に浸した後、死者の首に付けるというもので、そうしないと護符は効力を持たないと考えられたのである。また、イシスの締め金の護符そのものにも呪文が刻まれる必要があり、そうすることで死者はイシスのパワーと保護を得られると信じられた。
イシスの息子であるホルス神は、死者がこの護符を身に付けている姿を見ることを大きな喜びとした。それゆえに、イシスの締め金の護符を持つ死者は地上から天界へ向かう旅で、通れない道はなくなると信じられたのだ。
カーネリアンはイシスの締め金だけではなく、心臓の護符、ホルスの眼、ハゲタカの護符など、死者と一緒に埋葬する様々な護符にも広く用いられた。また、カーネリアンをミイラの足に乗せて埋葬することで、ミイラの足の力が強くなるという考えもあった。つまり、無事に死者の国に到着した死者たちの健康を守る石でもあったわけだ。
有名なツタンカーメン王の身体に取り付けられた数多くの護符にも、カーネリアンはふんだんに用いられていた。こうした数多くの護符の力に守られ、王は安心して闇の道を進むことが出来たのである。
全くの偶然なのだろうか? ナポレオン1世が死ぬまで身に付け、決して手放さなかったと伝えられているカーネリアンの印章を手に入れた地は、かつてカーネリアンに大いなる魔力があると信じられていた、他ならぬエジプトだった。
それにしても、ナポレオンは何故、旅先で偶然に手に入れたカーネリアンの印章にそれほどまでに固執したのだろうか? ここで注目したいのは、1798年のエジプト遠征でナポレオンが体験したと伝えられている、ある奇怪な一夜の出来事である。
当時エジプトを支配していたマルムーク朝の軍隊を打ち破るやいなや、ナポレオンはクフ王の大ピラミッドの学術調査に取り掛かった。
これは、ナポレオンが憧れていたアレクサンドロス大王が、かつてエジプトを征服したとき、たった一人でピラミッドの内部に入り込んだという伝説に影響を受けた為だと考えられている。
ある夜、ナポレオンは大ピラミッド内部の「王の間」に一人で入り、一晩を過ごした。そして翌朝、ピラミッドから出てきたナポレオンは、どうしたわけか真っ青な顔をしており、部下が何を訊いても答えようとしなかったという。一体、ナポレオンの身に何が起こったのだろう?
真相は勿論、ナポレオン本人のみが知るところであるが、一説には、冥界の門が開き、冥界に棲む恐ろしい魔物たちの姿を垣間見たのではないか?と噂されている。それがキッカケとなり、冥界の護符となるカーネリアンの印章を、生涯に渡って身に付けることになったのではないだろうか?
ところで、このカーネリアンの印章のその後であるが、ナポレオンの死後、義理の娘のオルタンスに譲られたことが分かっている。
その後、ナポレオン3世に譲られ、「護身府とするように。」という遺言と共に息子に与えられたが、息子の死後に印章は行方が分からなくなり、今も謎のままとなっている。
古代エジプトでは、死者たちが無事に天国で再生できることを願い、死者のミイラと一緒に、再生に必要な様々な護符や、「死者の書」と呼ばれる呪文書を埋葬する習慣があった。
この「死者の書」に、カーネリアンで出来たイシスの締め金の護符の章があり、次のように記されている。
「イシスの血、イシスの魔術、イシスのパワーよ、私を守りたまえ。私が忌み嫌うものらを打ち砕きたまえ。」
イシスの締め金は、冥界の王であるオシリス神の妻であるイシス女神の帯の締め金をかたどったもので、これを死者に用いるときにはある決まりを守る必要があった。それは、花の浮かんだ水に浸した後、死者の首に付けるというもので、そうしないと護符は効力を持たないと考えられたのである。また、イシスの締め金の護符そのものにも呪文が刻まれる必要があり、そうすることで死者はイシスのパワーと保護を得られると信じられた。
イシスの息子であるホルス神は、死者がこの護符を身に付けている姿を見ることを大きな喜びとした。それゆえに、イシスの締め金の護符を持つ死者は地上から天界へ向かう旅で、通れない道はなくなると信じられたのだ。
カーネリアンはイシスの締め金だけではなく、心臓の護符、ホルスの眼、ハゲタカの護符など、死者と一緒に埋葬する様々な護符にも広く用いられた。また、カーネリアンをミイラの足に乗せて埋葬することで、ミイラの足の力が強くなるという考えもあった。つまり、無事に死者の国に到着した死者たちの健康を守る石でもあったわけだ。
有名なツタンカーメン王の身体に取り付けられた数多くの護符にも、カーネリアンはふんだんに用いられていた。こうした数多くの護符の力に守られ、王は安心して闇の道を進むことが出来たのである。
全くの偶然なのだろうか? ナポレオン1世が死ぬまで身に付け、決して手放さなかったと伝えられているカーネリアンの印章を手に入れた地は、かつてカーネリアンに大いなる魔力があると信じられていた、他ならぬエジプトだった。
それにしても、ナポレオンは何故、旅先で偶然に手に入れたカーネリアンの印章にそれほどまでに固執したのだろうか? ここで注目したいのは、1798年のエジプト遠征でナポレオンが体験したと伝えられている、ある奇怪な一夜の出来事である。
当時エジプトを支配していたマルムーク朝の軍隊を打ち破るやいなや、ナポレオンはクフ王の大ピラミッドの学術調査に取り掛かった。
これは、ナポレオンが憧れていたアレクサンドロス大王が、かつてエジプトを征服したとき、たった一人でピラミッドの内部に入り込んだという伝説に影響を受けた為だと考えられている。
ある夜、ナポレオンは大ピラミッド内部の「王の間」に一人で入り、一晩を過ごした。そして翌朝、ピラミッドから出てきたナポレオンは、どうしたわけか真っ青な顔をしており、部下が何を訊いても答えようとしなかったという。一体、ナポレオンの身に何が起こったのだろう?
真相は勿論、ナポレオン本人のみが知るところであるが、一説には、冥界の門が開き、冥界に棲む恐ろしい魔物たちの姿を垣間見たのではないか?と噂されている。それがキッカケとなり、冥界の護符となるカーネリアンの印章を、生涯に渡って身に付けることになったのではないだろうか?
ところで、このカーネリアンの印章のその後であるが、ナポレオンの死後、義理の娘のオルタンスに譲られたことが分かっている。
その後、ナポレオン3世に譲られ、「護身府とするように。」という遺言と共に息子に与えられたが、息子の死後に印章は行方が分からなくなり、今も謎のままとなっている。
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