2016年08月14日
世界で最も有名な呪いのダイヤモンド“HOPE”
ホープダイヤモンド(Hope Diamond)は、現在スミソニアン博物館の一つである国立自然史博物館に所蔵されている45.50カラットのブルー・ダイヤモンドで、紫外線を当てると、1分以上に渡って赤い燐光を発するが特徴。紫外線を当てると発光するダイヤモンドは珍しくないが、赤色でかつ1分以上も光り続けるというのは極めて珍しく、現在のところその原理は解明されていない。
が、このダイヤモンドが有名なのは、その物質的特性よりも「持ち主を不幸にする呪い」のため…
このダイヤモンドが発見されたのは、今から数百年も昔。
当時、ダイヤモンドの産地として有名だったインド南部のデカン高原にコラールという町があり、そこの川のほとりの畑でのこと。
貧しい農夫が畑を耕していた際、紫がかった青色の透明な石を見つけ、ダイヤモンドとは知らずに家に持ち帰ったのが始まり。
間もなくその地に侵攻してきたペルシア軍司令官により農夫は殺され、ダイヤは強奪された。
帰国したペルシア軍司令官は、国王にダイヤを献上して喜ばれたが、後に息子の失敗の責任を取らされて死刑となり、国王自身も臣下の謀反で殺されてしまった。
それから暫くの間、ダイヤの所有者が誰だったのかは、謎に包まれている。
17世紀になると、フランスの有名なダイヤモンド商人ジャン・バティスト・タヴェルニエが、このダイヤを手に入れた。タヴェルニエは、インドの古都の寺院に祀られていたラマ・シタという神像の眼からくり抜いてダイヤを盗み、自分の物にしたのだという。
タヴェルニエは、このダイヤをルイ14世に売り、男爵の位を授けられた。が、後に息子の投資が失敗して全財産を失い、84歳という高齢でダイヤ貿易のために遠征した際、ロシアのステップ地方で狼に喰われて死んでしまった。
タヴェルニエからダイヤを買い取ったルイ14世は、天然痘で死亡。
手に入れた際は112.50カラットだったダイヤを、ルイ14世はハート型に刻み直させ、69.03カラットにしていた。
その後、ダイヤを手に入れたルイ16世と王妃マリー・アントワネットは、フランス革命の際に断頭台の露と消えた。
フランス革命後、管理がずさんだった王家の財宝は1792年に盗賊に盗まれ、出所をくらますために再研磨された結果、このダイヤは幾分楕円形をした45.50カラットに変貌していた。
盗賊が持ち込んだ宝石師の息子がダイヤを盗み出し、宝石師はショックで死亡。息子もダイヤで手に入れた大金を使い果して自殺した。
1830年頃、このダイヤがロンドンで競売に出され、宝石収集家として有名だった銀行家ヘンリー・フィリップ・ホープが競り落としたことにより、このダイヤは“ホープ”と呼ばれるようになった。が、ホープは一生独身のまま死亡し、ダイヤを受け継いだ甥は54歳で死亡、数年後には富豪だったホープ家も破産して没落した。
ホープ家が破産したことで、このダイヤは再び人々の間を転々とした。フランスの宝石ブローカーは発狂して死亡。パリのレヴュー劇場フォリー・ベルジェールの女優ラドル嬢は、舞台上で愛人のロシア人に射殺され、その愛人も革命家に殺害された。トルコのスルタンは革命によって王位を追われ、ギリシアの宝石ブローカーは自動車事故で妻子と共に崖から転落死と、不幸は続いた。
そして、ホープダイヤは、最後の犠牲者である大富豪マクリーン夫妻の手に渡った。夫人の兄は若くして死亡し、間もなく9歳の息子も自動車事故で死亡。夫のマクリーン氏は神経衰弱で死亡し、最愛の一人娘も睡眠薬の過剰摂取で死亡した。夫人は娘が死んだ翌年の1947年、肺炎を患い、60歳で孤独にその生涯を閉じた。
このとき、ホープダイヤモンドを含め、マクリーン夫人が残した数々のダイヤモンドを買い取ったのが、ニューヨークの宝石商ハリー・ウィンストンだった。彼は全国各地で慈善ショーを開いて、有名な“呪いのホープダイヤモンド”を一般公開した。そして、1958年、このダイヤを遂にスミソニアン博物館に寄贈したのである。
が、このダイヤモンドが有名なのは、その物質的特性よりも「持ち主を不幸にする呪い」のため…
このダイヤモンドが発見されたのは、今から数百年も昔。
当時、ダイヤモンドの産地として有名だったインド南部のデカン高原にコラールという町があり、そこの川のほとりの畑でのこと。
貧しい農夫が畑を耕していた際、紫がかった青色の透明な石を見つけ、ダイヤモンドとは知らずに家に持ち帰ったのが始まり。
間もなくその地に侵攻してきたペルシア軍司令官により農夫は殺され、ダイヤは強奪された。
帰国したペルシア軍司令官は、国王にダイヤを献上して喜ばれたが、後に息子の失敗の責任を取らされて死刑となり、国王自身も臣下の謀反で殺されてしまった。
それから暫くの間、ダイヤの所有者が誰だったのかは、謎に包まれている。
17世紀になると、フランスの有名なダイヤモンド商人ジャン・バティスト・タヴェルニエが、このダイヤを手に入れた。タヴェルニエは、インドの古都の寺院に祀られていたラマ・シタという神像の眼からくり抜いてダイヤを盗み、自分の物にしたのだという。
タヴェルニエは、このダイヤをルイ14世に売り、男爵の位を授けられた。が、後に息子の投資が失敗して全財産を失い、84歳という高齢でダイヤ貿易のために遠征した際、ロシアのステップ地方で狼に喰われて死んでしまった。
タヴェルニエからダイヤを買い取ったルイ14世は、天然痘で死亡。
手に入れた際は112.50カラットだったダイヤを、ルイ14世はハート型に刻み直させ、69.03カラットにしていた。
その後、ダイヤを手に入れたルイ16世と王妃マリー・アントワネットは、フランス革命の際に断頭台の露と消えた。
フランス革命後、管理がずさんだった王家の財宝は1792年に盗賊に盗まれ、出所をくらますために再研磨された結果、このダイヤは幾分楕円形をした45.50カラットに変貌していた。
盗賊が持ち込んだ宝石師の息子がダイヤを盗み出し、宝石師はショックで死亡。息子もダイヤで手に入れた大金を使い果して自殺した。
1830年頃、このダイヤがロンドンで競売に出され、宝石収集家として有名だった銀行家ヘンリー・フィリップ・ホープが競り落としたことにより、このダイヤは“ホープ”と呼ばれるようになった。が、ホープは一生独身のまま死亡し、ダイヤを受け継いだ甥は54歳で死亡、数年後には富豪だったホープ家も破産して没落した。
ホープ家が破産したことで、このダイヤは再び人々の間を転々とした。フランスの宝石ブローカーは発狂して死亡。パリのレヴュー劇場フォリー・ベルジェールの女優ラドル嬢は、舞台上で愛人のロシア人に射殺され、その愛人も革命家に殺害された。トルコのスルタンは革命によって王位を追われ、ギリシアの宝石ブローカーは自動車事故で妻子と共に崖から転落死と、不幸は続いた。
そして、ホープダイヤは、最後の犠牲者である大富豪マクリーン夫妻の手に渡った。夫人の兄は若くして死亡し、間もなく9歳の息子も自動車事故で死亡。夫のマクリーン氏は神経衰弱で死亡し、最愛の一人娘も睡眠薬の過剰摂取で死亡した。夫人は娘が死んだ翌年の1947年、肺炎を患い、60歳で孤独にその生涯を閉じた。
このとき、ホープダイヤモンドを含め、マクリーン夫人が残した数々のダイヤモンドを買い取ったのが、ニューヨークの宝石商ハリー・ウィンストンだった。彼は全国各地で慈善ショーを開いて、有名な“呪いのホープダイヤモンド”を一般公開した。そして、1958年、このダイヤを遂にスミソニアン博物館に寄贈したのである。
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