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2024年05月07日
「詮子様、涙の説得」を見て嫌な気持ちになった話(1)【大河ドラマ感想】光る君へ (18)岐路
注意!)かなりマイナスな事ばかり書いています。ご不快になる可能性があるのでお気をつけください。
詮子様が息子である帝に「道長を関白にしろ」と涙の説得をするシーンを見て心底嫌な気持ちになりました。その理由。
(1)嘘をついているくせに、噓つきの自覚がないから
詮子様「母は自分のことなど、どうでも良いのです!」
帝に泣きながら訴えます。
でも、この直前、道長夫婦の前で「お前が関白にならなかったら私たちは終わりよ。」と声を荒げていました。「うつけ者っ!」と。
こちらが自分では気がついていない本音です。
しかし詮子様は本気で自分は「自分のことなど、どうでも良い」「ただ息子のためを思って。」「世の平安のために。」と思っています。
こういう親の常です。自分の本音に気がつかない。本気で自分には何の邪心もないと思っている。自分が善良な人間であると信じている。
詮子様は自身の父親、兼家にそっくりです。ただ、一つだけ違うのはここでしょう。
兼家は「自分の家の存続だけが大事」と自覚していました。
詮子様は自分の中の憎しみや怒りの根本を見ようとしない。兼家よりも嘘つきです。
「お上のお父上は、いつも己の意をくもうとしない関白の横暴を嘆いておいででした!」と平気で嘘をつく。
円融天皇の時代の関白は声の小さな藤原頼忠。実際に円融天皇が横暴を憎んでいたのは詮子様の父、兼家。
さらに言えば、円融天皇が心から憎んでいたのは、詮子様自身。
それでも、詮子様に嘘をついている意識などないでしょう。
もしかしたら自身の記憶も改ざんしているのかもしれない。それくらい自分の言い分に筋を通すための自然な嘘でした。
続きます。
詮子様が息子である帝に「道長を関白にしろ」と涙の説得をするシーンを見て心底嫌な気持ちになりました。その理由。
(1)嘘をついているくせに、噓つきの自覚がないから
詮子様「母は自分のことなど、どうでも良いのです!」
帝に泣きながら訴えます。
でも、この直前、道長夫婦の前で「お前が関白にならなかったら私たちは終わりよ。」と声を荒げていました。「うつけ者っ!」と。
こちらが自分では気がついていない本音です。
しかし詮子様は本気で自分は「自分のことなど、どうでも良い」「ただ息子のためを思って。」「世の平安のために。」と思っています。
こういう親の常です。自分の本音に気がつかない。本気で自分には何の邪心もないと思っている。自分が善良な人間であると信じている。
詮子様は自身の父親、兼家にそっくりです。ただ、一つだけ違うのはここでしょう。
兼家は「自分の家の存続だけが大事」と自覚していました。
詮子様は自分の中の憎しみや怒りの根本を見ようとしない。兼家よりも嘘つきです。
「お上のお父上は、いつも己の意をくもうとしない関白の横暴を嘆いておいででした!」と平気で嘘をつく。
円融天皇の時代の関白は声の小さな藤原頼忠。実際に円融天皇が横暴を憎んでいたのは詮子様の父、兼家。
さらに言えば、円融天皇が心から憎んでいたのは、詮子様自身。
それでも、詮子様に嘘をついている意識などないでしょう。
もしかしたら自身の記憶も改ざんしているのかもしれない。それくらい自分の言い分に筋を通すための自然な嘘でした。
続きます。
タグ:光る君へ
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2024年05月06日
【子どもの詩】3歳の子は、ひらがなの「れ」が何に見えた?
2024年05月01日
「シグルイ」読み始めました。
期間限定無料公開されていたので、以前から気になっていた「シグルイ」を読み始めました。
私が初めてこの漫画を知ったのは実はかなり最近です。
テレビで芸人のパンサー菅さんが紹介していたのがきっかけで読みたいなとずっと思っていたのですが、何となく読まずにここまで来てしまっていたのです。
「もう少しこう何というか、手心というか…」の画像は見たことがあったけど、この漫画からだったんですね。
そして、その台詞の人、めちゃくちゃ強かった。意外。
というか、全てが意外。グロテスクだし、今のところ、出てくる人間全員おかしい。でも、読み続けてしまう。
とりあえず、全巻買ってしまいました。でも読み終わったら色々な意味で辛い気持ちになりそう。
2024年04月30日
「和むほどでも、笑いを誘うほどでもない、取るにたらない『とんちんかん』なのに」(byナンシー関)
![]() | ナンシー関の「小耳にはさもう」ファイナル・カット【電子書籍】[ ナンシー関 ] 価格:550円 |

若い頃ナンシー関さんのコラムが大好きでした。
ナンシー関さんは、消しゴム版画家であり、鋭いテレビ批評を書かれていたコラムニストです。
2002年に虚血性心不全で突然お亡くなりになりました。39歳の若さでした。訃報を聞いた時は、本当にショックでした。
最近、ナンシー関さんのコラムを読み返しています。
20年以上前のテレビコラムなので、取り上げられている方も故人が多いです。時間の流れを感じ、感慨深いです。
題名は『ナンシー関の「小耳にはさもう」ファイナル・カット』から。
政治評論家、三宅久之さんについてのコメントです。(この方も既に2012年に82歳で亡くなられています。)
これは2002.1.30テレビ朝日系「やじうまガイド」にて、Maxのミーナさんの妊娠、結婚の報告の話題について三宅さんが「(妊娠してからの結婚について)もう少し申し訳ないって顔をしてもらいたいね。」と発言したことについてのコラムです。
三宅さんは当時、70歳を超えていたとは言え、すごい事を言いますね。2002年は皆このような認識だったのかと思えばそうではないようです。三宅さんの同番組でのコメント、スタンスについてナンシー関さんは、次のように書いています。
時代錯誤感たっぷりの「いまどき、そんなこと言うか、テレビで」というとんちんかんコメントである。
「女性というものはねえ」で始まる説教が多いが、べつに珍しい説ではないし、人を納得させるような正論でもない。ただ、司会者があえてコメントを求めるのである。時代錯誤や男尊女卑的な要素が入ったコメントが出そうだという話題のときには、必ず振る。(中略)で、案の定なコメントを三宅から引き出し、「またまた三宅節が始まりましたか」てな具合で和んでいるのである」
(引用:ナンシー関の「小耳にはさもう」ファイナルカット)
何、それ。私は当時も今もワイドショーを見る習慣がないので、意味がわからないです。そんな、とんちんかんコメントをわざわざテレビで聞くなんて想像するだけで不愉快になりそうだけど、何故?
ナンシー関さんも苦々しく思っていたようで、タイトルのように「和むほどでも~」と続けています。
なぜ番組が、そんな悪趣味な事をしていたのか不思議ですね。今のワイドショーは、さすがにそんな悪趣味はなくなっていると信じたいですが。
でも、それを「取るにたらない『とんちんかん』」な発言と言語化できるナンシー関さんの能力には脱帽です。
しばらくナンシー関さんの本を読み返していこうと思いました。
タグ:ナンシー関
2024年04月29日
仲直りできて良かった!【大河ドラマ感想】光る君へ (17)うつろい
さわちゃんとまひろが仲直りできました。良かった!
まひろの家を訪ねて来たさわちゃんは、自分の非礼をひとつひとつ詫びます。
石山寺からの帰りの自分の態度と暴言。
文を突き返したこと。
「あの時のことは」と濁さず、きちんと何が悪かったのか、非礼だったのかを、はっきり言えるのは、とても良い事だと思います。
私自身、「あの時のこと」とか濁しがちなんですよね。今週のさわちゃんを見ていて反省しました。
まひろからの文を突き返していたさわちゃんですが、実は返す前に全て文を書き写していたことが判明します。
「まひろさまに少しでも追いつきたくて」「そんなことできるわけないのに・・・。」と。
そうして文を書き写すうちに、その文章に込められたまひろの真心を感じることができ、どれだけ大事な友であるかを理解し謝罪しにきたのです。
私もたまにやりますが、文を書き写していると、しっかりとその内容が頭に入ってくるんですよね。
そうして仲直りができた二人。本当に良かった。
しかも自分の文章がさわちゃんの心を動かしたと知ったまひろは、書くことの力を改めて感じます。
これがまひろが源氏物語を生み出していく道に続いているのだとしたら。
先週、さわちゃんは自分は生きているかいのない誰からも必要とされない存在だと泣き叫んでいました。でも、本当は紫式部誕生に関わった日本文学史上の重要な役割を担う人間だったという事になりますね!
もちろんそうでなくても明るくて素直なさわちゃんでいるだけで価値があるのですが。
まひろの家を訪ねて来たさわちゃんは、自分の非礼をひとつひとつ詫びます。
石山寺からの帰りの自分の態度と暴言。
文を突き返したこと。
「あの時のことは」と濁さず、きちんと何が悪かったのか、非礼だったのかを、はっきり言えるのは、とても良い事だと思います。
私自身、「あの時のこと」とか濁しがちなんですよね。今週のさわちゃんを見ていて反省しました。
まひろからの文を突き返していたさわちゃんですが、実は返す前に全て文を書き写していたことが判明します。
「まひろさまに少しでも追いつきたくて」「そんなことできるわけないのに・・・。」と。
そうして文を書き写すうちに、その文章に込められたまひろの真心を感じることができ、どれだけ大事な友であるかを理解し謝罪しにきたのです。
私もたまにやりますが、文を書き写していると、しっかりとその内容が頭に入ってくるんですよね。
そうして仲直りができた二人。本当に良かった。
しかも自分の文章がさわちゃんの心を動かしたと知ったまひろは、書くことの力を改めて感じます。
これがまひろが源氏物語を生み出していく道に続いているのだとしたら。
先週、さわちゃんは自分は生きているかいのない誰からも必要とされない存在だと泣き叫んでいました。でも、本当は紫式部誕生に関わった日本文学史上の重要な役割を担う人間だったという事になりますね!
もちろんそうでなくても明るくて素直なさわちゃんでいるだけで価値があるのですが。
タグ:光る君へ
2024年04月26日
運命を受け入れるまでが辛いね【大河ドラマ感想】光る君へ(16)華の影
さわちゃん、まひろに八つ当たりしちゃいました。道綱にまひろと間違えられた石山寺からの帰り、急に怒りを爆発させ叫びます。
「『蜻蛉日記』のお話の時、私をのけ者にしたでしょう!」
「私なんか生きているかいもない・・・どうでもいい人なのです!」
これは、完全にさわちゃんが悪い。ただの八つ当たりです。
でも、このさわちゃんの爆発。居場所がない人間がよくやってしまう行為なのです。だからつらい。
居場所がない人間は、毎日心に大きな負荷がかかっています。コップにあふれるぎりぎりまで水が入っているような状態です。
だから他の人から見ると何故そんな事で?と思うような小さな負荷がきっかけで爆発する。コップの水があふれてしまうのです。
「蜻蛉日記」の作者に会えた事が嬉しくて、まひろがさわちゃんの存在を一瞬忘れてしまったこと。夢にまで見た自分を愛してくれる男性が現れたと思ったら、選ばれたのは自分ではなかったこと。
それがコップの水をあふれさせる最後の一滴だったのです。
さわちゃんは毎日どれだけ笑っていても、いつも心の中では「自分は誰からも必要とされていない存在だ」という気持ちを抱え続けていたのでしょう。
居場所がない人間は、そうしてほんのささいな事がきっかけで爆発し、数少ない自分に優しさをくれる人間まで失ってしまう事が本当に多いのです。
幸いなことに、まひろは、さわちゃんを見捨てていません。あまりに理不尽な罵りを受けたのに、それでもさわちゃんに文を送り続けてくれています。
きっと二人はやり直せます。
自分が寂しい人間だと受け入れて、前を向くことができた時。その時こそ寂しい人間が美しい存在になれる時です。
今週の道兼がそうでした。
自分を決して愛さない父親の愛が欲しかった。そのため多くの人を裏切り、傷つけ、全てを失った。そんな自分の愚かさ、運命を受け入れて、自分がなすべき事をするため悲田院に向かう決意をした道兼の姿は美しかった。
全てを失っても人間はやり直せる。ましてさわちゃんには、まひろがいる。
今は打ちのめされていても、絶対にさわちゃんは立ち上がれるはずです。

「『蜻蛉日記』のお話の時、私をのけ者にしたでしょう!」
「私なんか生きているかいもない・・・どうでもいい人なのです!」
これは、完全にさわちゃんが悪い。ただの八つ当たりです。
でも、このさわちゃんの爆発。居場所がない人間がよくやってしまう行為なのです。だからつらい。
居場所がない人間は、毎日心に大きな負荷がかかっています。コップにあふれるぎりぎりまで水が入っているような状態です。
だから他の人から見ると何故そんな事で?と思うような小さな負荷がきっかけで爆発する。コップの水があふれてしまうのです。
「蜻蛉日記」の作者に会えた事が嬉しくて、まひろがさわちゃんの存在を一瞬忘れてしまったこと。夢にまで見た自分を愛してくれる男性が現れたと思ったら、選ばれたのは自分ではなかったこと。
それがコップの水をあふれさせる最後の一滴だったのです。
さわちゃんは毎日どれだけ笑っていても、いつも心の中では「自分は誰からも必要とされていない存在だ」という気持ちを抱え続けていたのでしょう。
居場所がない人間は、そうしてほんのささいな事がきっかけで爆発し、数少ない自分に優しさをくれる人間まで失ってしまう事が本当に多いのです。
幸いなことに、まひろは、さわちゃんを見捨てていません。あまりに理不尽な罵りを受けたのに、それでもさわちゃんに文を送り続けてくれています。
きっと二人はやり直せます。
自分が寂しい人間だと受け入れて、前を向くことができた時。その時こそ寂しい人間が美しい存在になれる時です。
今週の道兼がそうでした。
自分を決して愛さない父親の愛が欲しかった。そのため多くの人を裏切り、傷つけ、全てを失った。そんな自分の愚かさ、運命を受け入れて、自分がなすべき事をするため悲田院に向かう決意をした道兼の姿は美しかった。
全てを失っても人間はやり直せる。ましてさわちゃんには、まひろがいる。
今は打ちのめされていても、絶対にさわちゃんは立ち上がれるはずです。

タグ:光る君へ
2024年04月25日
乙丸の献身【大河ドラマ感想】光る君へ(16)華の影
今週は乙丸の献身に心を打たれました。
乙丸は、まひろの従者。まひろが小さい時からずっと傍にいて、まひろを支えてきました。
まひろは、この時代の貴族の姫君としては常識破りの行動をし続けます。そんなまひろに乙丸は、とまどいながらも、ずっと付き添い続けます。
まひろを軽く扱っているように見えた雲の上の身分の道長にも「いい加減にしてください」と抗議しました。
今週も、出過ぎたまねだと知りつつ、絶交されてしまった“さわ”に文を送り続けるまひろに「もう忘れた方がいい」を口出しします。
“さわ”に理不尽な扱いを受けるまひろを見ているのは忍びなかったのでしょう。
疫病が蔓延していると知りながらも、まひろが行けば悲田院にも逃げずについていきます。そして死にかけている病人に自ら水を飲ませ看病をし、まひろを置いて逃げ出す事はしませんでした。
ついに病に倒れたまひろを心配し朝までまんじりともせず朝を迎える乙丸。
血はつながらなくとも、彼は間違いなくまひろを愛する家族です。
このドラマの中でまひろは乙丸に感謝の言葉を伝えることが少ないように思います。恐らく小さい時から乙丸が傍で支えてくれることが当たり前となっているのでしょう。
一度でいいから、言葉に出して乙丸に感謝を伝えてあげてほしいですね。
乙丸は、まひろの従者。まひろが小さい時からずっと傍にいて、まひろを支えてきました。
まひろは、この時代の貴族の姫君としては常識破りの行動をし続けます。そんなまひろに乙丸は、とまどいながらも、ずっと付き添い続けます。
まひろを軽く扱っているように見えた雲の上の身分の道長にも「いい加減にしてください」と抗議しました。
今週も、出過ぎたまねだと知りつつ、絶交されてしまった“さわ”に文を送り続けるまひろに「もう忘れた方がいい」を口出しします。
“さわ”に理不尽な扱いを受けるまひろを見ているのは忍びなかったのでしょう。
疫病が蔓延していると知りながらも、まひろが行けば悲田院にも逃げずについていきます。そして死にかけている病人に自ら水を飲ませ看病をし、まひろを置いて逃げ出す事はしませんでした。
ついに病に倒れたまひろを心配し朝までまんじりともせず朝を迎える乙丸。
血はつながらなくとも、彼は間違いなくまひろを愛する家族です。
このドラマの中でまひろは乙丸に感謝の言葉を伝えることが少ないように思います。恐らく小さい時から乙丸が傍で支えてくれることが当たり前となっているのでしょう。
一度でいいから、言葉に出して乙丸に感謝を伝えてあげてほしいですね。
タグ:光る君へ
2024年04月23日
プレバト俳句 お題「ぶらんこ」二階堂高嗣さん(Kis-My-Ft2)の作品
MBS・TBS系「プレバト!!」の俳句のコーナーの書き起こしです。
完璧な書き起こしではないかもしれませんが、夏井先生の言葉を書き起こすことで言葉や季語の持つニュアンスを理解できたらと思っています。自分の勉強のつもりです。
才能アリ2位70点二階堂高嗣さんの作品
初虹(はつにじ)や背中を押され漕(こ)ぐ子供
季語 初虹(はつにじ)
春の季語 春雨の後に現れる虹のこと。単なる虹は夏の季語
二階堂さんの解説
僕、甥っ子いるんですよ。甥っ子がようやく公園に遊びに行けるような年になって、僕と一緒に公園に行って、僕が背中を押していることを詠みました。
夏井先生の解説
これはね、どこに挑戦があるかっていうと、「ぶらんこ」って書かないで「ぶらんこ」だとちゃんとわかるように描写しようとしていると。
正直言って、まさか二階堂さんが「ぶらんこと書かずにぶらんこを表現する!?」
そんな挑戦してくれるなんて思ってないから!今何か親のような気分になりましたね。
季語は「初虹(はつにじ)」ですよね。「初虹や」と詠嘆します。
初めての虹だよ、という風にね。
で、この後、中七下五の描写で、ほとんどの人は普通に読めばぶらんこを思うじゃないですか。
それが、どういう工夫で出来ているかっていうと、「押され」っていうのと、「漕ぐ」っていう。この2つの動詞によって、ほとんどの人は「ぶらんこ」を思うんです。
浜田さん これ、先生。その点数が一緒(3位近藤千尋さん70点、2位二階堂さん70点)なんですけど、こっちが上だっていうのは、そういうことなんですか?
夏井先生 それが一つですね。そして、さっきの3位の句は、ぶらんこと書きたいのか、心情的なものを添えたいのか、っていうのが、文字面だけだと判断しにくい。そういう所ですね。
浜田さん なるほど。
夏井先生 二人とも良い感じですよ。
完璧な書き起こしではないかもしれませんが、夏井先生の言葉を書き起こすことで言葉や季語の持つニュアンスを理解できたらと思っています。自分の勉強のつもりです。
才能アリ2位70点二階堂高嗣さんの作品
初虹(はつにじ)や背中を押され漕(こ)ぐ子供
季語 初虹(はつにじ)
春の季語 春雨の後に現れる虹のこと。単なる虹は夏の季語
二階堂さんの解説
僕、甥っ子いるんですよ。甥っ子がようやく公園に遊びに行けるような年になって、僕と一緒に公園に行って、僕が背中を押していることを詠みました。
夏井先生の解説
これはね、どこに挑戦があるかっていうと、「ぶらんこ」って書かないで「ぶらんこ」だとちゃんとわかるように描写しようとしていると。
正直言って、まさか二階堂さんが「ぶらんこと書かずにぶらんこを表現する!?」
そんな挑戦してくれるなんて思ってないから!今何か親のような気分になりましたね。
季語は「初虹(はつにじ)」ですよね。「初虹や」と詠嘆します。
初めての虹だよ、という風にね。
で、この後、中七下五の描写で、ほとんどの人は普通に読めばぶらんこを思うじゃないですか。
それが、どういう工夫で出来ているかっていうと、「押され」っていうのと、「漕ぐ」っていう。この2つの動詞によって、ほとんどの人は「ぶらんこ」を思うんです。
浜田さん これ、先生。その点数が一緒(3位近藤千尋さん70点、2位二階堂さん70点)なんですけど、こっちが上だっていうのは、そういうことなんですか?
夏井先生 それが一つですね。そして、さっきの3位の句は、ぶらんこと書きたいのか、心情的なものを添えたいのか、っていうのが、文字面だけだと判断しにくい。そういう所ですね。
浜田さん なるほど。
夏井先生 二人とも良い感じですよ。
2024年04月19日
さわちゃん泣かないで【大河ドラマ感想】【光る君へ(15)おごれる者たち】
注意!)歴史や古典に詳しくない人間の感想です。
「私には才気もなく、殿御を惹きつけるほどの魅力もなく、家にも居場所がなく・・・もう死んでしまいたい!」
今回のラストのさわちゃんの台詞です。気持ちがわかりすぎて胸が痛くなりました。
主人公まひろの父親の妾の女性が、元夫の元に残してきた女の子、さわちゃん。
はじめて会った時から、まひろに懐く明るい女の子です。
でも、そのまひろへの懐き方や、まひろの家に来る頻度。
それは、さわちゃん本人のいう「父や継母から邪魔者扱いされていて家に居場所がない。」というのが本当だと示しています。
それでも、さわちゃんは自分の居場所を作ろうと、まひろという友達を作ったり、まひろと共に石山寺へ「自分をさらってくれる殿御が現れるように」お参りの旅に出たり。
自分ができることをして、懸命に生きています。
旅の途中でまひろと「このままずっと結婚しないまま年を取ってしまったら、家族になって一緒に暮らそう。」と約束した時は本当に楽しそうでした。
でも、まひろには自分にはない才気があり、恐らく誰かに辛い恋をした経験もあると悟ります。
さらに旅で出会った素敵な男性が選んだのは、自分ではなく友達の方だった。
そして冒頭の台詞です。
気持ち悪い事を言いますが、私は若い頃、恋がしたくてたまらない時期がありました。
そこまでの学生生活で、どうやら自分は同性からも異性からも、あまり好かれない人間だという事は痛いほどわかっていました。
さらにさわちゃんと一緒で家庭環境も悪く、家でも辛い思いをしていました。
居場所がない場所にいる事は、毎日「お前は誰からも求められていない価値が無い人間だ。」と突き付けられているようなものです。
だからこそ一度でいいから誰かに愛されて必要とされたかった。そうしたら自分に価値があると思えるから。
道綱がさわちゃんよりまひろに惹かれたのは、ただの個人の好みです。
さわちゃんがまひろより絶対的に劣っているわけではない。
でも、そう思えるのは愛された経験がないと難しいですよね。
このまま、まひろとの友情が続き、一緒に楽しい時間をたくさん過ごせれば、家族から必要とされていなくても、自分には価値があると思える日が来るかもしれない。
だからさわちゃんが最後にまひろに八つ当たりをしないで「死にたい!」って叫ぶ事に留められて良かったです。
泣かないで、さわちゃん。さわちゃんは、明るくて素直で魅力的な女の子。私は大好きです。
「私には才気もなく、殿御を惹きつけるほどの魅力もなく、家にも居場所がなく・・・もう死んでしまいたい!」
今回のラストのさわちゃんの台詞です。気持ちがわかりすぎて胸が痛くなりました。
主人公まひろの父親の妾の女性が、元夫の元に残してきた女の子、さわちゃん。
はじめて会った時から、まひろに懐く明るい女の子です。
でも、そのまひろへの懐き方や、まひろの家に来る頻度。
それは、さわちゃん本人のいう「父や継母から邪魔者扱いされていて家に居場所がない。」というのが本当だと示しています。
それでも、さわちゃんは自分の居場所を作ろうと、まひろという友達を作ったり、まひろと共に石山寺へ「自分をさらってくれる殿御が現れるように」お参りの旅に出たり。
自分ができることをして、懸命に生きています。
旅の途中でまひろと「このままずっと結婚しないまま年を取ってしまったら、家族になって一緒に暮らそう。」と約束した時は本当に楽しそうでした。
でも、まひろには自分にはない才気があり、恐らく誰かに辛い恋をした経験もあると悟ります。
さらに旅で出会った素敵な男性が選んだのは、自分ではなく友達の方だった。
そして冒頭の台詞です。
気持ち悪い事を言いますが、私は若い頃、恋がしたくてたまらない時期がありました。
そこまでの学生生活で、どうやら自分は同性からも異性からも、あまり好かれない人間だという事は痛いほどわかっていました。
さらにさわちゃんと一緒で家庭環境も悪く、家でも辛い思いをしていました。
居場所がない場所にいる事は、毎日「お前は誰からも求められていない価値が無い人間だ。」と突き付けられているようなものです。
だからこそ一度でいいから誰かに愛されて必要とされたかった。そうしたら自分に価値があると思えるから。
道綱がさわちゃんよりまひろに惹かれたのは、ただの個人の好みです。
さわちゃんがまひろより絶対的に劣っているわけではない。
でも、そう思えるのは愛された経験がないと難しいですよね。
このまま、まひろとの友情が続き、一緒に楽しい時間をたくさん過ごせれば、家族から必要とされていなくても、自分には価値があると思える日が来るかもしれない。
だからさわちゃんが最後にまひろに八つ当たりをしないで「死にたい!」って叫ぶ事に留められて良かったです。
泣かないで、さわちゃん。さわちゃんは、明るくて素直で魅力的な女の子。私は大好きです。
タグ:光る君へ
2024年04月18日
誰にも必要とされないって辛いよね【大河ドラマ感想】【光る君へ(15)おごれる者たち】
誰にも必要とされない、居場所がないって辛いよね。そう強く思わされた回でした。
道兼とさわちゃんの話です。人を殺し、人を裏切り生きてきた道兼と心優しい明るいさわちゃんは全く違う人間です。
でも、二人は同じ状態に苦しんでいます。居場所がない、誰からも必要とされないという苦しみです。
今週、道兼は落ちるところまで落ちています。
いつか自分が一番大事だと認めてくれると信じていた父親に「お前のような人殺し」と言われ、これからも「汚れ仕事」をするためにだけ生きろ、それが嫌なら消えろと吐き捨てられました。そして父親は自分を見捨てたまま亡くなりました。
これは、むしろ兼家パパが老いて耄碌していて良かった。全盛期の兼家パパなら死後も汚れ仕事をさせるために道兼を言いくるめることもできたでしょう。
それくらい、道兼は騙されやすい。何故なら寂しいから。寂しい人間は騙されやすいのです。
この道兼は主人公まひろの母を殺しています。さらに父のために花山天皇や為時を騙しています。「悪い」人間です。
でも、何だか哀れに思ってしまうのは、絶対に手に入らない父親の愛を求めて、自分を愛してくれる者を次々に自ら捨てていく、その様をずっと見せてきたからです。
長男ほど大切にはされない、末っ子ほど愛されもしない彼は、父に愛されたくて仕方がないのです。
妻も子も、兄への嫉妬、父への不満をぶつけずに、ただ一緒にいる時を大切に楽しく過ごしていれば道兼を見捨てなかったでしょう。
花山天皇も、まひろの父・為時も、父のために騙したりしなければ、居場所や優しさを道兼に与えてくれる人たちでした。
自分もそうだったからわかりますが、寂しい人間は、自分を利用しいじめる人間の愛を欲しがり、自分を大切にしてくれる人の愛を捨ててしまいます。
大切にする人間の順番を間違えてしまうのです。
そんな道兼に最後に手を差し伸べたのは、小さいころ散々いじめた道長でした。
「私は兄上にこの世で幸せになっていただきとうございます。」
「まだ、これからではありませぬか!」
「兄上は変われます。変わって生き抜いてください。」
「この道長がお支えいたします。」
この言葉をもらえるのがどれだけ幸運か。今の道兼なら理解できるはず。
寂しい人間が騙されず利用されずに生きていくには、自分が寂しい人間であるということを認め、自分の運命を受け入れて生きていくしかないのです。
道兼には、今度こそ自分の運命を受け入れ、生きなおしてほしいですね。
道兼とさわちゃんの話です。人を殺し、人を裏切り生きてきた道兼と心優しい明るいさわちゃんは全く違う人間です。
でも、二人は同じ状態に苦しんでいます。居場所がない、誰からも必要とされないという苦しみです。
今週、道兼は落ちるところまで落ちています。
いつか自分が一番大事だと認めてくれると信じていた父親に「お前のような人殺し」と言われ、これからも「汚れ仕事」をするためにだけ生きろ、それが嫌なら消えろと吐き捨てられました。そして父親は自分を見捨てたまま亡くなりました。
これは、むしろ兼家パパが老いて耄碌していて良かった。全盛期の兼家パパなら死後も汚れ仕事をさせるために道兼を言いくるめることもできたでしょう。
それくらい、道兼は騙されやすい。何故なら寂しいから。寂しい人間は騙されやすいのです。
この道兼は主人公まひろの母を殺しています。さらに父のために花山天皇や為時を騙しています。「悪い」人間です。
でも、何だか哀れに思ってしまうのは、絶対に手に入らない父親の愛を求めて、自分を愛してくれる者を次々に自ら捨てていく、その様をずっと見せてきたからです。
長男ほど大切にはされない、末っ子ほど愛されもしない彼は、父に愛されたくて仕方がないのです。
妻も子も、兄への嫉妬、父への不満をぶつけずに、ただ一緒にいる時を大切に楽しく過ごしていれば道兼を見捨てなかったでしょう。
花山天皇も、まひろの父・為時も、父のために騙したりしなければ、居場所や優しさを道兼に与えてくれる人たちでした。
自分もそうだったからわかりますが、寂しい人間は、自分を利用しいじめる人間の愛を欲しがり、自分を大切にしてくれる人の愛を捨ててしまいます。
大切にする人間の順番を間違えてしまうのです。
そんな道兼に最後に手を差し伸べたのは、小さいころ散々いじめた道長でした。
「私は兄上にこの世で幸せになっていただきとうございます。」
「まだ、これからではありませぬか!」
「兄上は変われます。変わって生き抜いてください。」
「この道長がお支えいたします。」
この言葉をもらえるのがどれだけ幸運か。今の道兼なら理解できるはず。
寂しい人間が騙されず利用されずに生きていくには、自分が寂しい人間であるということを認め、自分の運命を受け入れて生きていくしかないのです。
道兼には、今度こそ自分の運命を受け入れ、生きなおしてほしいですね。
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