みなもと太郎氏といえば「風雲児たち」というのが世間的な評価だと思いますが、じつは管理人はこの作品を通して読んだことがありません。「隠居したら読む本」のリストには入っているのですが、完結がかなり先になるはずだから、まあしばらく温めておこうと思っていた矢先にこの訃報です。
三浦建太郎氏もそうですが、畢生の大作が未完となることは、ままあることなのです。
管理人がみなもと太郎氏を知ったのは、おそらく学年誌のギャグマンガだと思います。
「こちらダイヤル100交番」などの作品が最初のコンタクトで、その後週刊誌の「冗談新選組」などを愛読していました。まだ子供だったので、一部で高名な「ホモホモ7」は、リアルタイムでは読んだことがなくて、復刊ドットコムから出された復刻版で読ませていただきました。
「お楽しみはこれもなのじゃ」 みなもと太郎 著 河出文庫 1997年初版 |
みなもと氏のマンガは絵柄も含めて大好きだったのですが、管理人がスゴイと思っているのは、漫画研究家としての功績の方です。
皆さんはみなもと太郎氏の「お楽しみはこれもなのじゃ」という著書をご存知でしょうか。
朝日ソノラマが「月刊マンガ少年」という雑誌を出していたころ、1976年から3年にわたって連載されたものです。当時、漫画評論があまり面白くなかった時代に、和田誠氏の映画評論「映画の名セリフ―お楽しみはこれからだ」をそっくりパロディにして、漫画の名セリフを題材にて「面白い漫画評論」をやってしまったのです。
「漫画の名セリフ」ということで、俎上に上がった漫画家や読者から苦情が来るかと思いきや、予想外に好評を博し、そのため毎月4頁という枠ながらも、3年間も続いたわけです。
管理人が漫画についていろいろと知るようになったのも、この連載のおかげです。
ちなみに管理人は「マンガ少年」を、創刊号から休刊号まですべて揃えていました。今思うと、やけに豪華な雑誌でした。
また、みなもと氏は漫画家・漫画研究家であると同時に、同人活動の草分けでもあります。
「作画グループ」という漫画同人グループがありました。2016年に解散するまで50年の歴史を持つ文字通り伝説の同人グループでした。みなもと氏はここの主力メンバーとして精力的に活躍されました。本当に漫画が大好きな人だったと思います。
その作画グループで繋がりがあるのが、「超人ロック」で知られる聖悠紀先生です。
年代もほぼ同じで(みなもと氏が3歳上かな)、たいへん親交が深かったと聞いています。
その聖先生も現在闘病中であり、みなもと氏の訃報もお耳に入っているかと思います。
お二人の関係を考えると、心中察するに余りあると思 います。
みなもと先生、ありがとうございました。
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