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2020年05月04日

GODZILLA Are GO GO

管理人のゆうすけです。エアコミケの企画として、同人誌の試し読みをご提供させていただきます。
「銀河大計画2020 Assemble」から、「GODZILLA Are GO GO」(全ゴジラ映画のレビュウ)の一部転載です。本編は2019年の「キング・オブ・モンスターズ」まで書いています。
ライターは、管理人ではなく、主筆のO君です。
なお、「銀河大計画」は縦組みレイアウトのため、一部の数字等が漢字表記になっています。ご了承ください。


GODZILLA Are GO GO(ゴジラ・アー・ゴー・ゴー)

 アマゾン・プライム・ビデオにゴジラ映画が全部来た。
 この夏(二〇一九年)に公開された「キング・オブ・モンスターズ」の宣伝のためだろう。
 いい機会なので、全部見た。
 好きなものは何度も見るが、そうでもないのは、昔一度見ただけなので、記憶もぼやけている。
 そのあたりを一気に修正だ。


ゴジラ 一九五四年公開 動員数 九六一万人

 一作目であり、発端にして頂点である。
 初めてこの映画を見たのは、高校三年生の時だった。なにしろ、それまでビデオはないし、ぼくが生活していた静岡では名画座の類もろくにない。モノクロの映画を見られる環境ではなかった。おそらく、このころのオタク少年はみんなそんなもんだったと思う。
 ウルトラQだって、モノクロなので、再放送はない。ウルトラマンやウルトラセブンは、時々やる再放送で記憶に残っているが、ゴジラやウルトラQに関しては、噂は聞いているし、凄かったという雑誌にのっている先輩たちの感想を頼りに、渇きを潤すことが精々だった。あと、小さい版のゴジラ映画のストーリーブックがあって、子供の頃にむさぼるように読んでいたのを覚えている。そのシリーズはゴジラとガメラの両方があり、子供だったぼくはガメラのほうが好きだった。怪獣のデザインが面白いからだろう。
 そんな中でビデオが登場した。レンタル店にいけば、二〇〇〇円ぐらいで借りられる(今から見ればべらぼうに高いがソフト自体も数万円して、いまよりもべらぼうに高い。しかも、完全版じゃなくてテープの録画時間の長さに合わせて編集されているのだから、隔世の感がある)。さらに、もう二〇〇〇円ぐらい出せば、レンタル屋でコピーもしてくれたのだ。
 今にして思えば、とんでもない話だけど、その時は神の福音に思えたものだ。
 で、ゴジラを見た。
 家のテレビだったけど、腰が抜けた。
 そこに展開したのは、東京という一つの都市が徹底的に焼き尽くされる、破壊と殺戮のショーだった。おそらく、戦争の記憶が色濃く残る当時の現場ではそのイメージの再現というのは、ごく自然の成り行きだったのだろう。
 この映画に関してはいろいろな人が、色々なことを言っているが、それらはすべて正しく、同時に正鵠を外している。時代の空気なのか、スタッフの才能なのか、膨大なエネルギーがみなぎっている。
 そういう力が宿ったのが「ゴジラ」という稀有な映画なのだと思う。
 ぼくは、この映画を見る時、どうにも居住まいを正さざるをえない。
 そして、これは怪獣映画でも、一般映画でもない。
 一つの事件なのだと実感することになる。


ゴジラの逆襲 一九五五年公開 動員八三四万人

 大ヒットをうけてわずか数カ月で公開された、第二弾。
 映画会社の節操のなさは、なかなかに見習うべきところがある。
 だから、ぼくは、この節操のない映画会社が映画館で流している「映画泥棒」のCMだか、お願いだかを、しゃらくさく感じる。
 お前らは、さんざん、パクリ、企画の盗用、二番煎じ、スタッフの抱え込みをやってきた、やくざな稼業だろうに、なにをまともなことを言っているんだ。だから、最近の映画は面白くないのだ。

 で、この二作目は製作期間の短さによるものか、前作で憑き物がおちたのか、まったく緊張感がない。
 改めて見て面白かったのが、ゴジラとアンギラスの対決が野獣の戦いを想起させるものだったというところ。後でも言うが、このあとの怪獣同士の戦いは、石を投げあったり、光線を撃ったりで、あまり血なまぐさいバトルはしない。
 だが、この「ゴジラの逆襲」においては、アンギラスとゴジラは噛みつきあう。牙を立て、爪で相手を切り裂こうとする。なんとも、野性的である。
 また、その戦いが、フィルムの回転を下げているので、ちゃかちゃかと軽い動きになっている。昔から、なんでかなあと思っていたが、今回見て初めて気づいた。噛みつきあいも、ちゃかちゃかした軽い動きも、ハリー・ハウゼンの恐竜の描写にそっくりだったのだ。
 前作の「ゴジラ」で円谷英二が人形アニメーションでゴジラを作りたがったのは有名な話だ。時間と手間の問題から着ぐるみという世界でも珍しい手法での撮影となった。
 その復活戦だったのかあと思うと、少し、劣化して見える「ゴジラの逆襲」の対決シーンも味わい深いものがある。
「やりたかったのねー。わかるわー」と偉大なる先人の挑戦が、微笑ましい。


キングコング対ゴジラ 一九六二年 動員一二五五万人

 前作から七年の後に作られた。
 一二五五万人という動員数がまずもって恐ろしい。
 言い方は悪いが、怪獣がどつきあうだけの映画にここまでの人がやってきたのだ。
 国民的な映画と言える。
 でもって、中身がまたこれが楽しい。
 東宝サラリーマンものと怪獣ものの幸せな融合であり、恐るべき大怪獣であるキングコングとゴジラを食い物にしようとするのは、一筋縄ではいかない人間たちのしたたかな強さである。パシフィック製薬の宣伝部長に代表される、極端に誇張されたサラリーマンの立ち振る舞いが、一作目にあった黙示録的閉塞感を吹き飛ばし、あきれ返るほどのメジャー映画へ転換している。
 本作がなかったらゴジラ映画は、映画史に残る一発屋として役割を終えたであろうことは容易に想像できる。
 本作で注目すべきは、ゴジラとキングコングの対決シーン。
 どうにも単調であるが、その理由が攻撃パターンの少なさにある。石を投げあうことに終始している感がある。「ゴジラの逆襲」のように噛みついたり、かきむしったりするハードな描写にすると、明るい健全な雰囲気が崩れるし、後期の平成シリーズのように光線を打ち合うにはキングコングに歩が悪くなる。
 で、結局、岩を投げあって、戦うことになる。
 今見ると、緊張感がないことこの上ないが、まあ、許してやろうという、おおらかさに救われた作品。


モスラ対ゴジラ 一九六四年 動員七二二万人

 動員が半減している。
 まあ、一九六四年となれば怪獣映画は、メジャーなものではなく子供のものという認識になったのでろう。
 モスラというと人気怪獣に思われるが、本当だろうか?
 少なくとも、ぼくはモスラにあまり魅力を感じない。所詮、芋虫と蛾なので、見た目にもあまりぱっとしない。
 本作では、前作と同じようにストーリーの主軸を握るのは人間である。「ハッピー興行(この名前もなかなかいい)」がモスラの卵を買い取り、一大レジャーランドの建設をもくろむのだから、昔の日本人はガッツがあった。さらに、「ハッピー興行」のバックには、大興行師がついていて、金庫にため込んだ現金で周囲を押さえつけていくという描写がなかなかに爽快である。
 キングコングとモスラの二作は、人間が主導権を握り、怪獣を食い物にするという路線である。
 しかし、このように、人間とゴジラとが真っ向から対峙し、その両者の間の緊張感が映画を支配する作り方は、この映画で終わる。
 次回作からは、ゴジラはストーリーの添え物になり、もっと大きな物語が映画を支配するようになる。


三大怪獣 地球最大の決戦 
一九六四年 動員五四一万人

 SF的なストーリーやゴジラの善玉化など、ゴジラ映画が大きく子供向けとして舵を切った作品である。
 過去には東京を破壊する戦争の象徴としてのゴジラが、完全に消費されて映画のネタにされたわけだ。一九五四年の第一作からわずか一〇年のことである。
 映画は金星人の登場から始まる。そして、金星人は地球の破滅を予言する。
 しょっぱなから全開で飛ばすストーリー展開である。誰でも一度は夢想しないだろうか? 自分の目の前に世界の破滅を叫ぶ予言者が出現するのを。
 なかなかいい感じであるが、その後、某国の王女と刑事の交流など「ローマの休日」的な展開へ流れると、緊張感が失われるのが残念であるが、同時に普通の大人への目配せを忘れないのは、娯楽映画としては好ましい。
 で、ゴジラシリーズ最恐最悪のライバルであるキングギドラの登場となる。引力光線をまき散らしながらすべてを破壊する様は、まさに破壊神であり、この怪獣を主役にした映画を作ってもいいのではないかと思うが、キングギドラに対抗するゴジラ、モスラ、ラドンが、迫力がなく情けない。
 岩を投げるゴジラ、糸を吐くモスラ、飛んでいるラドンは圧倒的な存在感を示すキングギドラと比べると、正直、見劣りがする。
 このゴジラのキャラクターとしての劣化も、その後のシリーズ展開の中で、明確な弱点となる。


怪獣大戦争 一九六五年 動員五一三万人

 前作から動員は微減。一年後の製作となり完全に量産体制に入ったことになる。
 前作でローマの休日をやろうとした雰囲気を継続し、X星人と地球人の悲恋を入れ込んでいるが、ゴジラが「シェー」をした有名なシーンに代表される子供向けの雰囲気とちぐはぐになっている。
 キングギドラに地表を破壊されて、地下に逃げ込んだX星人がゴジラとラドンを借りて反撃をするという、あまりに無茶な発端と、結局、キングギドラもX星人に操られていて、全怪獣が地球人に牙をむくという話になると、「そういえば、初めは全部の怪獣が人間の敵だったなあ」と妙な違和感を感じるようになる。
 いつの間にか、ゴジラとラドンは人間の味方で、キングギドラだけが、それに対抗するという、日本人レスラー対外人レスラーという古き良きプロレスの様相を呈してくる。
 そう思えば、たった一頭で敵役を引き受け、まったく引けを取らないキングギドラというのは、見事な名悪役なのだなあ。


ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘 
一九六六年 動員四二一万人

 また一年後、動員はじりじりと下がっているが、快調な製作体制と言える。
 今までの二作品において、恋愛をストーリーの背景に持ってきており、怪獣+恋愛という食い合わせの悪い献立できたが、今回は怪獣+南海冒険物ときた。
 兄を探す青年、無責任な大学生、金庫やぶりが、ひょんなことからヨットで漂流してたどり着いた孤島には核兵器を製造する秘密結社がいて、さらにエビラという怪獣が……、という筋書きは、なかなか悪くない。
 しかも、主人公たちはエビラを退治するために眠っていたゴジラをたたき起こして、対決させるというのだから、おそれいる。
 冒険物と怪獣の組み合わせは悪くないのかもしれない。
 もともと、この映画の脚本はキングコング物として開発されたものをゴジラへ流用したそうなので、画面に流れる軽快さもそれに由来するものなのかもしれない。


posted by ゆうすけ at 11:09 | TrackBack(0) | 同人誌

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