2015年10月04日
名張毒ぶどう酒事件 奥西勝死刑囚死亡 死因は?どんな事件?
三重県名張市で1961年、女性5人が死亡した「名張毒ぶどう酒事件」で死刑が確定し、第9次再審請求中の奥西勝死刑囚が4日、東京都八王子市の八王子医療刑務所で死亡した。
89歳。三重県出身。死因は毒ぶどう酒試飲。
奥西死刑囚は61年に殺人容疑などで逮捕され、農薬混入を認めたが、起訴直前に否認に転じた後、一貫して無実を主張。
72年の死刑確定後もおよそ半世紀にわたり潔白を訴え続け、第9次再審請求中だった。
1961年3月28日、三重県名張市葛尾の薦原地区公民館葛尾分館(現存しない)で、地区の農村生活改善クラブ(現「生活研究グループ」)「三奈の会」[2]の総会が行われ、男性12人と女性20人が出席した。この席で男性には清酒、女性にはぶどう酒(ワイン)が出されたが、ぶどう酒を飲んだ女性17人が急性中毒の症状を訴え、5人が亡くなった。
捜査当局は、清酒を出された男性とぶどう酒を飲まなかった女性3人に中毒症状が無かったことから、女性が飲んだぶどう酒に原因があるとして調査した結果、ぶどう酒に農薬が混入されていることが判明した。
その後、重要参考人として「三奈の会」会員の男性3人を聴取する。
3人のうち、1人の妻と愛人が共に被害者だったことから、捜査当局は、「三角関係を一気に解消しようとした」ことが犯行の動機とみて、奥西を追及。
4月2日の時点では自身の妻の犯行説を主張していたが、4月3日には農薬混入を自白したとして逮捕された(逮捕直前、奥西は警察署で記者会見に応じている)。
しかし、逮捕後の取り調べ中から犯行否認に転じる。
名張毒ぶどう酒事件
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