2024年10月20日
f1166 田舎者
当時、沖縄は日本国ではない。米国統治下でパスポートを持っており、ましてやひかるの生まれ育った島など、日本の地図には載っていない。
彼女の実家は、代々手広く卸問屋をしており、嘘かまことかは分からないが、皇族にもつながる由緒ある家だと言っていた。
そんな家柄が、ひかるみたいな見た目も格好も田舎者。ましてや沖縄とパスポートとなると、反対するのは当然だ。
座布団を投げ付けられ、しまいには塩を捲かれるありさまだ。
生まれて初めて他人さまに馬鹿にされ、コケにされる屈辱感は半端じゃない。
当時、沖縄生まれでパスポートを持っている。自分でも劣等感は感じていたが、それをもろに罵られると、人間の感情は火に油を注ぐようなものだ。
こんな人間、生きている価値がない・・ぶっ殺してしまえ!それくらい憤りを感じた。
しかし故郷で、今日もヘラで草取りに汗を流し、爪に火を灯して生きる両親の事を考えると、息子が東京へ出て殺人を犯した、なんて白い目で周りから見られて生きるのは、あまりにも酷だ。悔しくても、侮辱されても、頭を下げ続けたが、結果的に、許してもらえなかった。
彼女が、親兄弟、親戚含め全て縁を切り一緒になる、と言ってくれた時は、涙が止まらなかった。
ひかるは一生、彼女を路頭に迷わす事はすまい、と心に誓って新婚生活をスタートさせた。
新婚当時、女房の友達を含め7、8人、同年代の仲間でよく飲み食いをした。
その中に一人、独身の中山学がいた。
学はとんでもない男で、十数億もの資産を持ち、自由が丘の邸宅住まいだ。
外国製のカマロだとかいう、訳の分からない外車を乗り回していた。
日本の車は、ドアを閉めた時の音が軽すぎる、といって重厚なドアの音のする外車を次から次と乗り回していたのである。
親父を早くに亡くしており、母と2人の生活だ。
邸宅へ誘われていったが、庭には外車を4台収納出来る車庫があり、門の横には鉄格子で囲った、立派な犬小屋だ。
ひかるの三畳一間の生活、犬以下だ。
この犬がまたデッカイ、3匹もおり、人間なぞひと噛みで殺しそうで、それこそ血統書付のいい犬だという。
家の中へ入ると、そこにはまた、青い眼をした、ペルシャ猫だとかなんとか言っていたが、これまた血統書付の高級な猫だというのが3匹ほど、母親が可愛がっていた。
家のなかの家具や調度品は見た事もない、皇族のお宅ではないかと思われるようなしつらえだ。
泊まっていくようにと勧められ、泊まった。そこには全く見た事もない、そのために作らせたのかと、思われるような本棚があり、そこには、とんでもない百科事典等が、びっしり収まっている。
母親は上品な女性で、何人かのお手伝いを雇い、家の中や庭等、綺麗に作り上げていた。
なんで金があるのかと聞くと、学の祖父は次男ではあったが、長男を手伝い、その昔造園業をやっていたという。
貯木のため、原っぱだった土地をかなり持っていたので、兄貴に分けてもらったとの事だ。
その土地は自由が丘、あれよあれよという間に値上がりし、手が付けられない程の大金が転がり込んできたという。
本家の姪達は、20歳前だと言うのに二十億もの資産を相続、渋谷駅近くに億ションを購入し、優雅に遊び呆けているとの事だ。
f1165 軽い男
食事を済ませ8時過ぎ、庭のテーブルで、泡盛を飲んでいると、民宿の20代半ばのカップルが2組散策がてら、ぶらりと入って来た。
東京と島を年間半々生活してる私を見て、うらやましい。自分の両親にもそのような生活をしてもらいたいと、話していた。
親父は定年になるの楽しみにしていたが、いざ定年になると、朝から晩まで夫婦角突き合わせで、些細な事で、口争いが絶えないという。
若い内は朝昼晩喧嘩するが、朝昼晩セックスをすれば、仲直りができる。
歳をとるとセックスの数が追いつかず、なかなか仲直り出来ないというと、おじさんのいう事は的を得ていると、おおはしゃぎだ。
世間話をしていると、同じ民宿の泊まり男客が2人、話につられ、ぶらりと入ってきた。
一番年上だと思われる、30歳くらいの男の言動がどうも気になる。
自分は1度も仕事をした事がない、フリーターである事を自慢している。
態度や言動から見て、どうも軽過ぎる。
スタイル格好そのものは普通の十人並みだが、男として結婚をしようとか、そういう感覚は全く無いようだ。
東京の文京区に親と同居しており、どうも生活するのには困らないようだ。
文京区あたりは東京のど真ん中で、そこに親の代から生活しているという事は、土地なり資産があるだろう。
当然あくせく働く必要もなく、十分食べるくらいの収入があるだろう。
が、しかし男として考えると軽すぎる。
ティッシュペーパーがふらふらしているようなもので、ちょっと風が吹けば舞い上がり、己をコントロール出来ないような、あまりにも軽い幼い感じすら受けるのである。
ひかるの息子は40才、子会社、下請会社を数社使いこなしバリバリ働いている。
今の時代はどうだのこうだのと、親父に説教するくらいのバリバリ、毎日が充実しているようだ。
軽い男に言い聞かせる気などさらさらないが、つい経験した犬の糞物語を話してやった。
ひかるは高校卒業と同時に、周囲12キロ海抜12メータという、日本の南端の小さな島から、着のみ着のままで上京した。
昼間は必死で働き、夜学の後テレビ界へ就職した。
その時知り合った東京生まれの東京育ち、江戸っ子の彼女と出会う事が出来た。
結婚の約束をし、相手の親の所へ挨拶に行くと猛反対だ。
f1164 ヤギの乳
子供が生まれても、昔は栄養が行き届かず母親の乳が出ない場合が結構あった。
勿論、ミルクは無く、冷蔵庫も無い時代。
そこで、ヤギの乳を頂く事になる。そうやって島の子供達は育ったのである。
ひかるも母に3軒の家からヤギの乳を頂いたという。
だから、3軒の家のヤギ様には感謝しなさいよといわれた。
よって恩返しの為、物心ついた時からヤギを飼わされ、一生懸命ヤギの草を刈ったもんだ。
そしてその3軒の家に子供が誕生した時には、私の飼っていたヤギの乳を恩返しするという事だ。
ひかるがこうやって生きていられるのも、ヤギ様のおかげで神様だ。
ひかるの神様は、ヤギ様である。
領土で中国と揉めている魚釣島、野生のヤギが生息しているがこの地区の人が昔住んでいた。
だから女性が居てヤギを同伴させた証である。
皆さん無人島で住む場合、女房とヤギはセットだぞ。
必ずヤギ様もオス、メス同伴が条件。不滅の鼓動だ!
牛乳が一番だ、と思いがちだが孤島や無人島は川がない。
日照りが二週間も続くと水がなくなる。牛は人間の数倍も水を飲む。
しかしヤギは水を飲まない。まったく水が無くても生きられる。飲ませるといきなり下痢だ。
人間が子供を育てる上でヤギは本当の神様なのだ。
ある小雨の日、牧場をやっている青年が我が家へ来、のんびり喋っている。
牛の草は刈ったのか、と聞くと牛は濡れた草は、食べないという。
???
それでは雨が降った日はどうするんだと聞くと、干し草を食べさせるとの事だ。
初めて聞いたが、牛は苅った草、どんな新鮮な草でも、雨に濡れていると食べないという。
枯らした草、干し草なら、雨に濡れても食べるとの事だ。
勿論、生えている草なら、雨に濡れていても食べるが、苅って雨に濡れた草は刈りたて、新鮮な草でも食べないという。
本当なのだろうか?
この島の牛だけが贅沢な生活をしているのか?
なんで新鮮な草でも、雨に濡れたら食べないのだろうか?
生えた、雨に濡れた草は食べるのに?
不思議である。
他の島の牛飼いさ〜ん、教えて・・・
島のじいさんが、おしゃべりにきた。
泡盛とサバの缶詰で飲んでいると、ハエがうるさい。
このハエ何とかならないのかなぁというと、8時半まで待てよという。
訳を聞くと、ハエは8時半になると就寝の時間だという。
言われてみて初めて気がついたが本当に8時半になると、ありゃりゃ、ハエがピタリといなくなった。
島のハエは夜8時半就寝だそうだ。
島の人達は行動時間が夜型だ。
9時10時から平気で飲み歩く。
ハエの時間を考え行動をずらしているのだろうか?
島での生活、色々と頭を使う。
南の島の夜は開放的だ。
f1163 ヤギ様
南の島々には、ヤギを飼育しており、ヤギ汁は生活に欠かせない。
そして必ずと言っていいくらい、そこにはヨモギが入っている。
ヤギ汁は血圧を上げる、ヨモギは血圧を下げる効果があるとの事。
だからこの組み合わせは、どこの家庭でも行われている。
古老に聞くと、ヨモギは、サギグスイ、下げ薬と呼んでいる。
昔の人はよくぞ血圧計もなかっただろうに、どうやってそのような組み合わせを考えたのだろうか。
南の島には、色々な不思議が一杯だ。
この島の人達は昔、牛肉は食する風習は無かったが最近では牛肉を食べる機会が多い。
やはり、その時も牛汁にはヨモギを入れて食べる。
島の人達は知らないところで、健康管理が出来ているようだ。
ちなみに、ヨモギは野生でどこにでも生えている。
東北人はおしんこを多く食べ、塩分を取り過ぎ、高血圧で寿命が短いと聞く。
庭先にヨモギを植え、利用するといいかも。沖縄の長寿はヨモギのせいかも?
南の島でヤギは重要な存在である。
人間をはじめ全んどの動物は、生きていくのに水を必要とする。
しかし、ヤギは川がなくても水の無い所でも何ら問題なく生きられる。
八丈島の手前に、周りは崖で人が住めない無人島があるが、(鬼界島?)そこには、かなりのヤギが野生化して育っている。
勿論無人島で、川も無く水溜まりや雨水を溜める容器も無く大雨が降ってもサンゴ礁の島は即地下水に成りヤギの飲み水は無い。
生涯水を飲まなくても草を食べるだけで問題無し。ヤギの生き延びる力は半端じゃない。
この黒島では昔、妊娠すると出産日を計算。
まず妊娠してるヤギをどう確保するかが、大きな問題だ。
f1162 トウージ
この島の方言を見ていると、突然変異みたいな訳の分からない方言が時々出てくる。
豊年際にハーリー競争が昔からある。その船のかじ取り役は重要である。
かじ取り役のことを島の方言では、トウージーという。
なぜかじ取りが、トウージーなのか?
日本の言葉でいうと、統括、統治に当たり、つながるのではないかと思う。
統治が、トウージーになったのではないだろうか。
その昔、この島には、あまりものを書くという習慣がなかったのに不思議である。
昔から続くこの島のハーリー競争は、かじ取りが絶対の権限を持っており、完全に統括している。
言うなれば統治者が、トウージーになっているのだろう。
また女房、妻を、なんと言うかというと、トウージーのハイホンを2つとった、「トゥジ」と呼ぶ。
トゥジ(妻)は、家庭を賄い、やりくりする、言うなれば、家庭の統治者だ。
よって、トゥジと言われるのは、当たり前である。
友人のことを、島の方言では、ドゥシ、と言う。
友達という、複数、総称する場合は、普通、島の方言では、ERがつくが、この友人には、それが付かない。
友達は、ドゥシンキ、という。
この友達という、ドゥシンキは、他の方言と共通しない、変わり種だ。
この言葉がどこから来たのかわからないが、もしかすると、アフリカの山奥で、友達のことをドゥシンキ、というような所があるかもしれない。
渡り鳥が、その言葉をくわえ、島へポコリと落としていったかも?
種子が島で根付き、しっかり島の言葉になったような気がする。
友達の、友達は、みな友達だ。
ドゥシンキの、ドゥシンキは、みなドゥシンキだ。
1161 人生のスタート
ひかるが、なぜテレビ業界を目指したのか。
昭和30年代、TVは緒についたばかりだ。
遥か南端の小島、映画館は無いが、子供心に映画を見たかった。
石垣島まで渡れば映画は見れたが、家が貧しく船賃もなく出来なかった。
南端小島、当時飛行機は無く船輸送、マンが本等は半年以上遅れて着く。
そのマンガ本の片隅に、4コマでコタツに入りながら映画が見られる。それが四角いテレビだと書いてあった。
それだ! 家に居ながら映画が見られるという、訳のわからないテレビというものの解明に人生をかけよう。
そこから人生がスタート、親兄弟を捨て、故郷も捨て、着のみ着のままで上京、夜学へ通いながら必死に勉強した。
ブログをやっている人ならウイルコム(現AUの前身)と言う会社、知っているだろう。
ホームページに誇らしく、人口カバー率99パーセントと出ているが、ひかるの育った島はまだカバーされていない、日本最後の情報過疎地だ。
半年遅れに漫画本が流れ着くが、それが唯一の情報源だ。
昭和40年、第一回東京オリンピック39年開催の翌年、勿論テレビは白黒時代で、朝と夜の放送で、昼間はフィルムのメロドママ放送。
やっとの思いでテレビ業界へ入った。
本当に人生の辛酸をなめ尽くしたと言われる状況だった。
それでも、しがみ付き夢をまっとうした。
勿論長男ではあるが、両親の死に目にも会えなかった。
そんな経験の中から、今の若者達には是非、勇気を持って己の道を貫いて欲しい。
親が何を言おうと関係ない!
親は、己の人生を既に歩んで来ている。これからは、自分の人生は自分で決断する、でいい。
この世にポコンと動き出した貴方の鼓動、100パーセント間違いなく、いずれは止まる。
何の為に今まで動いて来たのか?
今、何のために動いているのか?
これから先、どう動かせるか?
己の可能性に立ち向かおうではないか!
人生の 喜怒哀楽に ロマンあり
若者よ 思い残すな 明日は華
貴方には 誰にも盗られない 知恵がある
貴方には 誰にも止められない 鼓動がある
これしかない!
己の人生ドラマ ロマンを持て!
そして
命を張れ!
命を張れ!
1160 帰るな
だから沖縄出身者だけは採用したくないとまで、言い切る社長もいる。
ひかるを見てくれ、一徹に何が何でも仕事一点張りでやりとげる沖縄人だっているんだよというと、あなたはパスポートを持って本土に乗り込んだ人だ。
今の沖縄の若者はそんな覚悟も何もない、と言われてしまう。
原因は何かと考えたら、沖縄の母親は子供が旅立つ時、辛い事があったら、何かあったら、何時でも帰って来い。親の元へ戻ればいいと言って、旅立たせる。
それだ、と考え、ひかるは沖縄の母親に子供を崖から突き放す、ニ度と帰って来るな、例え乞食をしても帰って来るな、と言って旅立たせよ、と説いているが、どんなに言い聞かせても、それは無理だった。
昨日も東京の大学にいる娘から電話があり、辛かったら何時でも帰って来なさい、と母親は伝えたそうだ。
沖縄の女性は、あまりにも情が深すぎ、子供を崖から突き放せない。
結果的に親の面倒を見る、と格好をつけホームシックに負け、厳しい大人の世界へ踏み込めない。
それがいい事なのか、悪い事なのか、悩んでしまう・・・
20代、その人の人生を大きく左右する一番大事な時期である。
Y君のように地元へ帰ると、同窓生は地元企業でそれなりに活躍しだしている。
東京から帰った人間は、キャパシティが狭いからすぐ噂になる。
同窓生の下で、あるいは自分の後輩の下で、顎で使われる身となると頭へ来る。
それで喧嘩をし、また上京する。
20代で、そのような事をしていると、あっという間に30代だ。
好きな恋人がいたとしても、女は生活力をまず先に見る。
何時の間にか他の男と結婚してしまうという結果だ。
そうなると、彼女を恨みつらみ、場合によっては、彼女を奪った男にまで逆恨みをし、心が荒れる。
30代になって、余程謙虚な気持ちで、一心不乱に、人生を立て直せばいいのだが、それもまた難しい。
経験した人でなければ分からないが、30代、あっという間に10年が過ぎてしまう。人生で一番時間が短く感じられる年代だ。
所帯を持つ事もなかなか難しい状況になり、40代に突入すると、人生を立て直すのは、かなり困難である。
フリーターやニートと呼ばれる人達、本気で20代をどう過ごすか考えて欲しい。
まずは親や周りが親身になって、立て直しを支援する必要があるだろう。
生活力の基盤のない男、どんなに男まえが良くても女は逃げていくぞ・・・
2024年10月19日
f1159 帰郷病
東京の放送局、キーステーションに沖縄出身者はひかる一人しかいなかった。
どこで聞きつけたのか、沖縄の若者がキー局で番組制作したいけど、どうしたら良いかという相談、いわゆる就職相談が結構あった。
ひかるの知人に、人格良好すばらしい男がいたので、技術プロダクションを作らせ、毎月一定量の仕事を出し、バックアップ体制をとっていた会社が数社あったので、一人の沖縄出身者、Y君を紹介した。
社長は、貴方の紹介なら100%間違いないと、即座に採用が決まった。
Y君の仕事ぶり評判もよく、そろそろレギュラー番組を持たせてもいいかなと、思っていた矢先、社長からの電話。
Y君が仕事を辞め、親の面倒を見る為、田舎へ帰るというので説得して欲しいとの事だ。
親の事も有るかも知れないが、自分の年を考え仕事を大事を選べ、なかなか自分のやりたい仕事、簡単に手には入らないぞと説得をし、何とか思い止まらする事が出来た。
Y君の評判も良かったので、そろそろチーフとして番組を仕切らせ、テロップで画面に名前が出れば責任感も出、やる気も出すだろう、と思っていた矢先、また社長から電話だ。
また帰郷病が出たという。
今度は何度説得しても田舎へ帰るの一点張りだ。
仕事はどうするのかと聞くと、タクシーでも何でもかまわない、とぬかす。
何でこいつのために仕事を紹介してしまったのか、ましてやこちらの顔に泥を塗るような事までされて、腹が立って往復ビンタをはりたくなった。
とうとう、沖縄へ帰ってしまった。
更に数年後、上京し社長に仕事をさせて欲しいと頼み込んだという。
呆れ果て世の中甘く見るんじゃないぞ、と言いたくなったが勝手にしろ、と言ってやった。
ひかるの知る限りの会社経営者、社長が口を揃えて言うのは、沖縄出身者は田舎へ帰るという病気が2、3年おきに必ず出てくる。
f1158 ハローワーク
この島の方言を聞いていると、訳の分からない事が沢山出てくる。
足の事をパンと呼び、ハブの事もパンという。
畑に使うクワの事をパーイと呼ぶ。
このパーイはペルーの山奥の原住民が使う言葉だと言われている。
インドネシアを旅行したおり、ところどころ車窓に、MAKANというローマ字の看板が出てきたのでガイドに聞いてみると、レストランの意味だという。
島の方言で、旨いは、まーはんと言うが、インドネシアのマカンと発音イントネーションがぴったりだったのには驚いた。
ちなみに島では、食器のちゃわんもマハンと言う。
また島の方言で、殆んど当てはまる事だか、複称、総称の場合、単称の単語に、ERをつければ事が済む。
その点は、どうも英語と同じだ。
例えば、バカな奴、阿保な奴を方言でいうと、プリムン、になる。
複称、あるいは総称して言うと、それはERを付けて、プラーにり、プリムン達という意味だ。
わんぱく小僧の事を、ヤマング、と言う。
複称、ないしは総称すると、ERをつけてヤマンガアー、になり、やマング達との意味だ。
太る、というのは、パンタル、と表現する。
太った人達、と総称すると、やはりERをつけて、パンタラーになる。
逃げるは、ピンギルだが、逃げ足の速い奴、ピンギヤーだ。
極めつけ方言は、働くだ。
働く事は、石器時代の昔からあっただろう。その言葉が、ものの見事、英語のワークと同じだ。
働く、それは、方言でも「ワーク」である。
屁理屈こく前に「働けば」の方言は
屁理屈こく前に「ワーキバ」になる。
日本南端の島は、ERだらけだ。
日本国内に、理解しがたい日本人がいた。
しかし、日本人のルーツかもしれない・・・
島の爺ジーに、なんで働くが、ワークなんだと聞いたら、お前は、ヤマトウへ行って、屁理屈屋になった。
そんな事、ワシに聞いても分からない。昔からそうなっているのだから、しかたないさ!
ごちゃごちゃ屁理屈ばかりこいてないで、「ワーキバ !」、(働けば !)、と怒られた。
まあ まあと言って、泡盛をつぐと、全て円満解決。
飛び交う方言を聞いていたら、いにしえの昔へタイムスリップ。
島の年寄りは、性根が正直で優しい。
私は島の年寄りが大好きだ。
f1157 死なすぞ!
島で生活してると時々、言葉遣いや表現に、あれれ?、と感じる事がある。
話の中で冗談に、殺すぞ! 、あるいは殺されるぞ!、 という言葉が出てくるはずだ。
島の人の表現では、それは、死なすぞ!、死なされるぞ!、と言う表現になっている。
何んでそんな表現になるのだろうかとよく考えると、殺すぞ!、殺されるぞ!という表現には、頭をブチ割られ、非常に残忍で残酷なシーンが先に浮かぶ。
その点、島の表現では、そのような残忍残酷さは抑えられる。
島の人達がもともと心根が優しい、穏やかであるから、残忍なシーンを連想するその言葉は使い辛いので、自然に言葉が変換されて出てくるのである。
島の人は素晴らしい、とつくづく感じる日々である。
マスコミでは子供が親を、あるいは兄弟、家族を残忍な残酷な殺人報道が多い。
皆さん、夫婦喧嘩、親子や家族喧嘩の中で、知らずに、殺すぞ!とか、殺してやりたい!とか、そのような言葉が日常、ポロリと出ているのではないだろうか。
子供は親の背中を見て育つ、何時の間にか親や周りに、そのような残酷な言葉が飛び交うのを聞き、精神的に残酷なシーンが受け入れられているのではないだろうか。
喧嘩等、興奮してる時に、周りへの配慮は難しいだろうけど、普段から言葉の使い方、表現の仕方に心配りが必要ではないだろうか。
子供は親の背中を見て育つ! 親の言葉を聞いて育つ!
気をつけよう・・・
以前、民宿のヘルパーをしていた27歳前後の女がいた。
父親は公務員だと言う。
南の島へ行った切りで、心配だっただろう。迎えに来た。
今日は子牛のセリで、見に行くと帰ったはずのその子が牧場へ泊り込み、牛飼いをやっていると言う。
親が許さないだろう、と言うと、ミーラ取りがミーラに成ったのか、父親はこんな良い島は無い、とたびたび訪れると言う。
よく聞くと、他にも牧場に泊り込み、牛飼い女が3人もいると言う。
彼女は大学も出ており、丸の内でキラキラ輝くキャリヤウーマンとしても通用する頭脳明晰、牛飼いがそんなに魅力的なのだろうか、訳が分からなくなった。
160頭もの子牛がセリに出され、70万円前後の値が付いていた。
あすは神戸牛か松坂牛か。
子牛と別れる牛飼い女の目に涙、印象的だった。