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2024年10月06日

1050 障害者自立


しっかり自信をつけ、笑顔が戻った妹に、1番辛かったのは、何んだったんだと聞くと、体育の時間が1番辛かった。何度体育の時間がなくなればいい、と思ったことか、と小さな声での呟き。
島の広い運動場、友達が木登りをし、飛び回る姿、一人で見ているのは辛かった事だろう。
手術の傷跡が多く残る足を「よくも私の足、魚の腹わたを取るように、あっちこっち切り開いてくれたもんだ」と笑って言っていました。
東京での生活、銭湯へ行くしかありません。
傷跡の多く残る、麻痺した足を人前にさらす事は、辛かっただろうに・・・
耐えるしかなかったのです。
あれから何年か経った後、今度は、一級国家試験の更に上級、特級に挑戦するとの事で、ルートやパイ、微積分などの入り組んだ、ややこしい計算式を、どうしたら解けるのか教えて欲しい、と持ち込まれた。
特殊な電卓をプレゼントする。
問題は、どう考えても、大学卒業の学力を必要とした難問ばかりで、妹には不可能としか思えませんでした。
しかし、見事に合格、「電卓のおかげだった」と、お礼の連絡に、心から祝ってやりました。
あえて妹の事を記したのは、障害の有無に関係なく、平等に与えられた、この元気に打ち続ける鼓動がある限り、自身の置かれている立場や状況を正面から見つめ、
鼓動に負けない、強い心、唯一最良の道を選択して行けば、素晴らしい人生が送れるものと確信し、体の不自由な人達が、一人でも多く障害を乗り越え、社会の一員として胸を張り、堂々と生きて行って欲しい、と願うからである。
おそらく我が家は、福祉の光の届かない、日本南端の、最も貧しい家庭だったでしょう。
障害者と両親が、貧しさゆえ、2千キロという壁を乗り越えられず、会う事叶わぬ状況下、幸せを求め続けた、家族の絆、障害者の励みになれば、と・・・
最近、自分で決断し、実行する妹の姿を見る時、「この妹に幸多かれ・・」と祈る毎日。
妹は生涯、片足補装具で生きるしかありません。
補装具でも仕方ない、しっかり自分の人生を歩んで欲しい・・・
決っして忘れない、あの時の笑顔を。
「兄ちゃん! 私、給料袋、二つ貰えるように成ったのよ・・・」

1049 神さま・・・


片方の足でペダルをこぐ乗り方を必死に練習。
遊び盛りの姿を見、何んでこんな目に会うのか。
完全にマヒした足、妹は、いつも男の子のように、ズボンを履くしかありません。
他の女の子同様、スカートを履かせてやりたい・・
何んで、スカートが履けない体になったんだ!
何んで3歳の女の子が、杖をついて歩かなければならないんだ!
何んの罪も犯していないのに・・・
何んで幼い女の子に、過酷な試練を背負わせるんだ・・・
何んで、不公平な扱いをされなければならないのか・・・
神様がいるなら助けて欲しい・・・
妹のマヒした足を見るたび、動作を見るたび、涙が止まりませんでした。
ひかるより妹のほうが、悔しい思いを数千、数万倍した事でしょう。
不自由な体での行動範囲はわずが、車を自由に乗り回し、本当の足代わり、見聞きする喜びは、人生最大の喜びだった事でしょう。
免許取得から数年後、妹の友人から連絡があり、電話は通じるけど、部屋には来ないで欲しい。
来ても、絶対に、中に入れない、との事。
ひかるが電話をしても、同じ返事。
でも大事な時は、必ず相談をしてきたので、こんどのことは、たいした事はないだろう、とあまり心配はしませんでした。
数ヶ月経過後、妹が、縫製技能検定試験、国家試験に合格したので、祝ってやって欲しいと、友人からの連絡。
受験のため、部屋中問題を張り、教材などで、足の踏み場もなく、人を部屋に入れる状況でなかったとの事でした。
その内、母校の東京都身体障害者職業訓練校から、後輩達のため、週二日の実技指導と講義を引き受けて欲しい、と言われている、との相談。
10年以上もお世話になっている縫製制会社だけど、最悪の場合は、やめる事を覚悟し、講師の仕事を受けるべきだ、とアドバイス。
学校側からも縫製会社に口添えがあり、会社勤めと講師の仕事を両立。
一級縫製技能者、という事で、会社や得意先からも信頼され、サンプル品や高級品の縫製からサイズ直し、後輩達の指導、と忙しい日々を送っております。
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