2024年11月11日
f1096 別れ
昭和63年4月、父危篤の報に、急ぎ帰郷。
しかし、父と会えたのは、息を引き取ってから既に15時間が過ぎていました。
ひかるがきっとテレビを運んで来ると、ひかるの作ったテレビが見られる日を、生涯の楽しみにしていた父は、突然心筋梗塞に襲われ、79歳で帰らぬ人となりました。
ひとつ屋根の下で住みたかったのに・・
許してくれ!
少年の夢を見守ってくれて、
有難う・・
有難う・・
冷たくなった父を抱きしめ、何度も何度も呟きました。
お互い死に水は取れないと、覚悟の上とは言え、何の反応もしなくなった父の姿に、「親不孝な息子だったのか」、最後に一言答えて欲しかった。
15時間も経過しており、ゆっくり対面している間もありません。
喪主としての段取りや、弔問客との応対、時は目まぐるしく過ぎ、仏事での貸切船や船頭への式たり等、長老の皆さんに教わり、石垣島から黒島の墓へ無事納骨。
島の家で、位牌となった父と二人っ切りになった時、親子でありながら、生涯に交わした会話の、余りにも少なかった事を、しみじみ感じさせられました。
振り返ってみると、中学時代は、一家を襲った試練に、両親が必死で立ち向かい、高校は石垣島での下宿生活、卒業と同時に上京。
親子が一緒に生活する期間が、余りにも少なかったのでした。
父は島を離れられず、息子は、夢を追い続けるしかなく、別々の道を歩むしかなかった。
親子の絆のあり方、人生は、これしかなかった、と自分に言い聞かせるしかありませんでした。
もっと、たくさん話し合いたかったのに・・こんな親子関係で終わりたくなかったのに・・今となっては仕方がありません。
父は周りの人達が島を引き上げる中、目の前に広がる海を味方とし、自分には、太平洋という、大きな畑がある。
海がある限り魚は獲れる、決して飢える事は無い、と言っていました。
この海は、息子や娘のいる、東京まで続いているんだ、といつまでも浜に佇み、語りかけていたとの事。
弔問客も途絶えた真夜中の三時、父の愛した海が懐かしく、浜へ出てみました。南国の夜空に、黙黒の大海原。
千古変わらぬ、さざ波の音。遥か彼方より漂う、潮の香りを体一杯吸い込み、別れの杯を交した、父の事を思い浮かべた時、満天の夜空に、白い歯でニッコリ笑う、日焼けした父の顔が、超特大パノラマ画面で映し出されました。
親父! 親父は世界で一番、素晴らしい親父だった。ひかるは、世界で一番幸せな男になったぞ! と言ってやりました。
必ず、両親の眠る墓に、テレビを届けてやる!親子の約束、必ず果たす迄頑張る、と心に誓い、位牌を胸に、島を後にした。
テレビを待つ、島の子供達や、お年寄達がいる。
・・ロマン旅 いつまで続く また歩く・・。
f1094 防風林
太平洋に浮かぶサンゴ礁の島は、リーフに打ち寄せる白いさざ波と、砂浜で、二重に縁どられ、家々は、四角い石垣と、鮮やかな緑の防風林にかこまれ、サンサンと降り注ぐ光と、鮮やかな原色の中、大地を踏み鳴らし、指笛を吹き、拳を握りしめ、力強く、激しい陽気な歌と踊りの世界に、汗あり、人々は、嬉々として、活気づいております。
そして汗ばんだ体を、夕凪が心地よく洗い流していく頃、待ちかねたように現れる一番星。
静寂の夜も深まり、ひときわ心を揺する、潮騒の音。
見上げると、満天に光り輝く星空。
しかし、この夜景は、昼間と様相を一変させてくれます。
星々の光は反射光で、影や色を再現する程強くなく、明るくない。闇でもない。淡い幻想的な、ふわっと浮く明るさのモノクロトーン。
青白い、冷たく透き通る光が、温暖な気候には、見事に溶け合います。
真っ赤なハイビスカスや、エメラルドの海など、原色の世界から色が消え、影のない、おぼろげな星明かり。
潮風は、体を通り抜け、草花は、夜風になびき、砂浜にたむろする恋人達は、影絵そのもの。
白いうなじにそよぐ黒髪は、一段と強調され、目元や鼻筋の陰影、微妙な濃淡の唇からこぼれる、白い歯。
かすかに現れる、モナリザの微笑など、今まで感じた事のない、エキゾチックな墨の世界が発見出来るかと思います。
この星明かりの世界、不思議と身も心も、和ませてくれ、繊細な部分や微妙な変化を見逃す事なく、再現してくれますが、なぜだろうか。
おそらく、視界に眩しく光る物がなく、猫の瞳孔が全開する如く、人間の目や心が、共に見開かれるのためではないだろうか。
壮大な夜空を南北に割り、宝石をちりばめた、橋のない川、天の川。
年に一度、川を渡る、男女の逢瀬があると言う。
川幅は、何光年にも及ぶ事でしょう。
数え切れない星の数、砂粒一つが地球に値すると言うのですから、昔の人は、とてつもない、夢を描いたものだと感心させられます。
そして、昼間の原色の世界から、星座を眺め、エキゾチックな潮騒の淡い幻想に浸る時、心が穏やかに澄んで行くのが感じられますが、この大きな心の振幅の中から、人間としての情操が芽生え、育まれて行くのではないだろうか。
子供の頃、清らかな心の、まん丸い満月のような、欠ける所のない、立派な人間になりなさい、という意味の子守歌を聞き、満月を眺め育ちました。
星空を眺め、星の数は数えようと思えば、読めるけど、親の愛は、数えられない、という意味の歌など、今でもこの地方では、唄い続けられています。
誰もが思い出す、七夕祭りの彦星、織姫物語。
かぐや姫物語、月の砂漠の歌、幼い頃、歌い踊った、モーツァルト作曲のキラキラ星等、月や星を眺め、幻想的で、おぼろげな世界。
その昔、日本全国、電気や車はなく、空は澄み、おぼろげな星あかりの世界は、各地で感じられ、人々の心に、大きな影響を与え、情感豊かな人間味が育まれたのではないだろうか。
あなたは、愛する人の瞳に映える星を、見た事がありますか?
人生、昼間と夜は半分っこ、太陽の下で、星は輝きません。
また、我々の人生、陽のあたる時ばっかりとは限りません。
悩みや悲しみに光を求め、迷う時、星は一条の光を与えてくれる事でしょう。
人間として生まれ、月や星と無関係に生きるのは、大きな不幸ではないでしょうか。
星空に縁遠い都会の子供達、星の巡り合わせ、赤い糸で結ばれた親子の絆のあり方、子守歌代わりに、教えてやる必要があるのではないか。
人は、豊かな自然に触れる時、豊かな心が培われて行くのではないだろうか。
f1093 二十歳の夢
いち早くコンピューターを導入、ステンレスを設計図通り自由に曲げる技術を確立し、列車や飛行機の厨房システム、ホテルの大型厨房システムなどの特別注文品を作れる会社を設立し、二十歳の夢を見事に実現して見せのです。
小さな島から着の身、着のまま上京、金やコネ、頼れる人とてなく、自分の夢を追い続け、寸分の狂いない技術を確立するには、どれだけ知恵を絞り徹夜をしたのだろうか。
「この工場の地には、俺の汗が沁み込んでいるんだ」と言った言葉は、忘れられません。
共に少年時代を南の小島で過ごし、体一つで上京、二十歳の夢を語り貫き通した二人。
「夢は実現出来るものだなあ・・」としみじみ。
「いつまでも、老少年で生きよう、旨い酒を飲もう・・」と年に数回酒を酌み交わし、今だに未来を語り合う、弥次喜多道中の男同士。
いつの日も、友は宝だ、ライバルだ!
現在、人口5万人の八重山地区からは、著名な人達が数多く輩出しています。
中でも、昭和39年から12年間、早稲田大学総長を勤めあげた大浜信泉氏は、この地区の誇るべき師として仰ぐ大先輩の一人。
師が声を大にし「人は生まれた所で、価値が決まるものではない!」と言った言葉は、師ならではの、含蓄のある、奥深さを感じさせてくれます。
おそらく上京当時は、若く、命を賭けた決死の時代だった事でしょう。
そして激苦の人生を歩まれ、この言葉に表現されたのではないだろうか。
早大生はもとより、我々も師の言葉を座右の銘とし、後世まで引き継いで行きたいものです。
また、政財界にも多くの知人を持ち、当時の佐藤栄作総理大臣を動かし、「沖縄の本土復帰なくして戦後は終わらない」と言わしめ、実現。
プロ野球コミッショナーや数々の要職を歴任。
更に沖縄海洋博や、復帰後の復興に情熱を傾け、自ら尽力した事はあまり知られておりません。
他にも、カンムリワシと呼ばれ、全国を沸かせた、元ボクシング世界チャンピオンの具志堅用高君も、この地区の誇るべき出身者。
沖縄は戦前、戦中、戦後と波乱万丈の歴史を歩んで来ました。
また、沖縄出身者も一人として恵まれた人はいなかったはずで、上京して、それぞれの人生模様を体験したかと思います。
やはり人間は、ハングリー精神が大事で、ふるさとへ戻るに戻れない。
前へ行くしかない!
この気持ちが、強い人間に鍛えあげて行くのだろうか。
ふるさとは、辛き人生、慰める。
ふるさとは、いつも優しき母の顔。
f1092 サンゴの花
親サンゴは、動く事出来ず、自分の産んだ卵が、生き延びているのか、生死すら確認する事叶わず、2度と会う事も出来ず、ただひたすら、子の無事を祈るだけ。
私たちに、生き延びる厳しさを教えてくれ、まかり間違っても、殺めないで欲しい、と叫ぶ、親サンゴの願いが届くはず。
そしてサンゴの産卵、潮の流れが風となる、命の舞。
一度見ると、サンゴに対する愛着と理解が、一層深まるのではないだろうか。
また、黒島のサンゴに囲まれた海面下、1メートル前後の岩に、ある日忽然と、直径十数センチくらいの、岩の付け根が薄い茶色、花自体は、濃赤色のシャクナゲに似た花が咲きます。
薄くて、ゼラチン状の、ぬるっとした肌触りで、あまりにも薄く、潮流があると破れてしまい、咲く事は出来ません。
台風が綺麗に洗い流した後、潮流が殆んどない、直射日光が届く場所。
毎年咲く訳でもなく、同じ岩に咲くのでもなく、ある海域の何処か、一輪咲くだけの不可解な岩花。
サンゴの1種かと思いきや、4、5日後には跡形もなく消滅。
サンゴとは違う、微生物の集合体ではないかと思われ、今だに訳の分らない、幻の岩花。
観光客の多い今、幻の岩花は、見られるのだろうか。
二十歳の夢***昭和39年、小さな島から出て来た青年には、成人式とて、誰も祝ってくれる人はなく、同郷の親友と二人、着飾る同年代を横目に、お金のかからない新宿御苑へ出かけ、二十歳の夢を語り合いました。
ひかるは、テレビの世界で生きて行く事を表明したのは、当然。
親友は、人に使われるのは嫌いなので、人を使う人間になる。すなわち、社長になる事を表明。
当時、沖縄出身者だと、パスポートや身元保証人問題等ハンディキャップもあり、条件の良い会社へは、なかなか就職出来ず、使われる身で、よほど悔しい思いをした事でしょう。
30年後、親友は、立派な大社長になっていました。
f1091 珊瑚の産卵
美しく咲き乱れるサンゴ群、実は厳しい条件で、生き延びているのです。
サンゴの育成には、年間18度以上の海水温度と、ある程度の塩分濃度、透明度が高く、太陽光が届く条件が必要です。
しかし日本の最南端、八重山地区は、地球の母なる大河、黒潮が満たしてくれます。
また、このサンゴは、紛れもなく、口も胃もある、れっきとした動物だとの事ですが、自然界に同じ形は二つとなく、段々花畑のように作られたサンゴ郡の景色を眺めるとき、人間の作り上げた日本庭園や町並み等、比較に値しない事が、歴然と感じられます。
植物の光合成は当然ですが、サンゴは、動物でありながらも光合成をする為、太陽を食べる動物。太陽の子、と呼ばれています。
光合成の結果、カルシウムの結晶で、骨格を形成して行くとの事ですが、実は年に一度、産卵をします。
普段はザラザラとした感触のサンゴが、ある時期になると、ぬるぬる状になり、臨月を迎えます。
8月初旬、満月の夜は、サンゴの産卵日でした。
物音一つしない不気味な海底、陣痛が始まり、見渡す限りのサンゴから、数千億にも及ぶ、朱色の卵が、雪が舞う如く、一斉に放卵。ゆっくり浮上する、命の舞。
動物の誕生に、これ程神秘的な世界があったのだろうか、と感動させられます。
地上の万物は、引力の影響を受けざるを得ません。
生まれたばかりの小さな命、どうやって、引力を振り切り、浮上するのだろうか。
そして、サンゴの群生する、水面2メートル前後の水温は、対流となり、横からの緩やかな潮流と交差し、縞状水温を形成。
優しく体を舐め、放卵された、無数の卵が、潮の流れになびく時、ふっと、水中に吹く風を感じさせてくれます。
暖かい南海で水着のまま感じる吹雪、生涯一度体感するのもいいのでは・・
生まれたばかりの小さな命は、浮上と同時に大空へ産声を上げ、さざ波のゆり籠に揺られての、旅立ち。
漂う卵は、殆んどが、魚の餌食になる中、万分の一個が、別な場所に辿り着き、そこを生涯の棲家とし、立派なサンゴへと成長して行く。
f1089 島ザル
ひかるがVTR問題で仮眠の連続、死闘を繰り広げていた頃、家計は火の車であった。
食事は殆んど外食、疲れるので、たまにはビジネスホテルに泊まる事もある。
全てが会社の伝票で落とせる訳ではなく、小遣いが足りなくなると、女房が爪に火を灯して蓄えたお金を、むしり盗るように持って行く。
団地住まいで、奥様族は、週に1、2度しか帰って来ないひかるを見、
「あの男、顔に似合わず、やるわね!」
「間違いなく女がいるのよ!」と井戸端会議だ。
当然、女房の耳にもそれは届いてしまった。
そして、二人の子供を抱え、貯金は底をついていたのである。
疲れ果てて帰って来たひかるの顔を見ると、女房は爆発した。
「母子家庭なら覚悟のしようもある!」
「しかし、もうこの貧乏生活、我慢出来ない!!」とテーブルをひっくり返し、怒鳴り付けたのである。
角が出る、なんてものではない。
針千本、いや、角千本だ!
さんまもびっくり、前歯をとんがらし、今にも噛み付かんばかり、恐ろしい形相だ。
次から次、出てくる言葉は、ひかるの脳に、あらゆる角度からブス、ブスと突き刺さる。
「もう、あんたの顔を見るのも嫌だ!」
「もう、これ以上の貧乏は、嫌だ!」
「出て行け!」
「あんたなんぞ、地球の裏にあるという、貧乏王国へ行けばいい!」
「即、大統領、間違いなし!」と。
がなるだけがなって、まだ足りないのか、周りにあるものすべて叩き割り、子供を連れて実家へ帰って行ってしまった。
ひかるは、なすすべもなく、一人酒を飲むしかなかった。
翌日、どう対応すべきか、ひかるは早めに仕事を切り上げ帰ると、女房と子供達が舞い戻っていた。
どうしたのだ、と聞くと、結婚当時、猛反対した親は、手ぐすね待っていたかの如く、あの沖縄の島ザルは、最初からものにならない、躾けはなっていないし、どうしようもない男だと、ありとあらゆる悪口雑言を並べ、すぐにでも離婚すべし! と急きたてる。
人間として扱われない悪口雑言に、今度は、女房が切れた。
冗談じゃない! 曲がりなりにもコツコツ洗濯機、冷蔵庫を買い、子供達まで出来た。
何んの援助もしなかった親ではないか!
こんな所で、父親の悪口雑言を子供達に教え込まれたら、まともな子に育たない、と舞い戻って来たのである。
ひかるは、土下座をして謝った。
そして、ほんのちょっと、もう少しだけ時間をくれ。
今の放送業界、誰も気がつかない。自分がやるしかない。
などと、大言壮語、まくし立てたのである。
業界がどうのこうの・・・女房にとっては、へったくれもクソもない事だが、聞くだけ聞いてやった。
女房は、どうも貧乏神から逃がれられそうにもない、どうせなら、とことん貧乏を舐め尽くそう、と開き直ったのである。
お酒が飲みたい、と言うので、注いでやると、気持ちがほぐれたのか。
「今後は、あんたの事、貧乏王国大統領閣下と呼ばせてもらいますわ・・」
閣下様、私も、立派な大統領夫人になって見せるは! と笑顔を見せてくれたのである。
めでたし・・・めでたし・・・
勿論、ひかるは深く反省、その後、家庭を大事にしたのである。
それにしても、貧乏王国大統領、クーデターを起こすような人は、なさそうだ。
無期限任期は、辛いよう・・
野党の皆さん、お願いだ!
総理大臣を引き擦り下ろす前に、この大統領、引き擦り下ろしてくれ!!!!
1088 NASA
当時、可搬型VTRとして、あのNASAが軍事偵察機用に開発した、VRー3000なる機種が、国内では4,5台導入されていた。
どういう訳か、その機種が、ひかるの会社にあった。
設立時、TBSとフジテレビが折半出資、別々に確保するよりは、子会社に持たせ、両局で使用出来る、という事で、導入されたらしい。
当時は、カラーテレビが飛ぶように売れ、大企業はフィルムCMから、色再現の良い、VCM作りに軸足を移しており、このVRー3000が威力を発揮していたのである。
オペレーター一人付で、日だて15万円でも、飛ぶように注文があった。
ひかるは売れれば売れる程、早く可搬型国産機開発の必要性、反米感情が日に日に増していった。
当然、ソニーも可搬型、Hー500という機種を開発しておりフィールドテスト中だが、どうにも訳の分からない回転エラーが出る。
チェックをするとOKで、エラーの原因が、全く掴めないのだ。
事故日報をピックアップし、気になる事があったので部下にその日の天候を調べさせた。
やはり雨が降っており、それが原因だが、室内での使用でなぜ?
その事をソニーへ連絡、しばらくして原因解明OKの連絡。
湿気でテープのツルツル裏面の貼り付き現象が出ているとの事。
湿度による微妙な事でエラーが出ていたのだ。
さすがソニーで、世界中の支店へ打電し調べ上げ、湿度の一番高いのはボルネオとの事。
それ以上の湿度でも稼動するよう設計変更。Hー500は全世界へ輸出され制覇していったのである。
VRー3000と並べて使うと、桁違いの性能。これでアメリカ製VTRを抹消出来た、と。
VTRは平坦な所で、そっと置いて使う精密機械、しかしひかるはトラックの荷台に紐で結え付け移動使用、どんな地震でも稼動する事を求めたのである。ひかるが立ち上がり、オメガ方式へ切り替える事が出来た。
出来なかったらと考えると、オートスレーディング、カセット化は難しく、途中から方式変更、と言う事態になれば、莫大な費用が掛り、番組内容にも影響したであろう。
そして、一番大事な事は、日本のVTRが全世界で認められた事だ。
南端の小さな島で、ランプの灯りで育った少年の目、どこかで垣間見たカセット、いずれ放送現場でも使われるだろう、と10年先を夢に描いたのである。
1087 オメガ方式発進
この昼メロが放送されるとソニーから電話、キー局がオメガ方式、大量の発注があったと歓喜の連絡が来た。
以後、あっと言う間にオメガ方式に切り変わっていったのである。
それどころか、ソニーは、海外でもその一インチを売り捲り、世界中でこのオメガ方式が統一方式となったのである。
編集システムを担当させた、ひかるの部下K君は、三越とフジテレビが折半出資、アルタスタジオを設立するとの事で、そこへ移籍させた。
今も元気で頑張っているようである。
また、K君は昼メロのヒロインと結婚。
ひかるは、上司として大勢の前で主賓挨拶。
しどろもどろで汗をかき、恥をかいて大きく成って行ったのである。
今なら書ける。***ソニーと方式問題で画策している時、フジテレビの予算執行、発注出来る立場にある、お偉さんから呼び出しを食った。
「君は、親会社、キー局にタテついて、あらぬ動きをしているようだけど、やめろ!
親会社から、一言いけば、君のクビなんぞ、すぐ飛ぶぞ!」と、脅しというよりは、脅迫だ。
ひかるは、承知しましたと、そこを出ると、すぐさま「開発に拍車をかけるべし!」とソニーへ電話したのである。
夜は一人でいつもと違う焼き鳥へ行き、じっくり考えた。
業界全体を考えるべき立場の人が、自分のメンツばかり考えやがって、なんてケツの穴のちっちゃい奴だろうと、情けなくなった。
「ひかるの首を、袈裟掛け、みじん切りにしたとて、一文の得にもならない、やるんならやって見ろ!」と怒りが込み上げて来た。
ひかるは、今まで以上に、意地でもなんとかしてやろう、と固く誓ったのである。