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2024年11月26日

f1225 最先端企業


ひかるは中学迄ランプで育ち、地区に高校は理系が無く商業科、簿記そろばんを勉強せざるを得ませんでした。
その後人生をやり直すべく東京へ出、理系の専門学校へ通いテレビ局へ入ります。
当時のテレビ局は IT の最先端企業で、夜間の専門学校で2年間理系の勉強をしたからとて、とてもテレビ業界は務まるような所ではない、と悩みました。
しかしよくよく考えると父は南の小さな島で手先が器用で、お土産物など小物を内職として夜な夜な作っておりました。
いわゆる物作りの得意な父だった事を思い出し、私にも物作りという点ではたぶん大丈夫ではないだろうかと考えました。
そこからテレビの番組作り、物作りに通じるのだと考え、天職として一生番組作りをして見ようと腹に決めのです。
40年間勤め振り返ると、やはり間違いではなかった、番組作り物作りが一番向いていたんだと納得しています。
これから羽ばたく若者には是非、己の先祖や親戚など観察し、己の脳内酵母、脳畑の脳質を検討すべきです。
例えばある親が生年月日も同じ男の子A君B君を赤ん坊の時から養子縁組をして育てたとしよう。
ある程度大きくなってA君とB君に同じテーマを実践させたとしよう。
同じレベルに達するのにA君は 芸術系では1年、B君は2年を要する。
ところが理系のテーマだとB君は1年でクリアするがA君は2年を要する。
同じ脳内酵母でもA君の場合は脳みそ、いわゆる脳の畑、脳質が芸術系脳内酵母増殖が早かったという事である。
同様にB君の場合は脳内畑の脳質が、理系の脳内酵母が増殖しやすい脳質であったという事になる。
食べ物や躾、教育や環境が同じでも違いが出てくる。
このように脳の脳内酵母、或いは農の畑、脳質の問題が理解出来るかと思う。
この場合A君とB君の親や先祖など調べると、そこには必ず其々芸術系に強い人、理系に強い人がいたりするものである。
そういう意味で己を悟る事は、この脳内酵母の種類や脳畑の脳質を自分なりに理解し、人生設計をすると結構うまく行くのではないかというのが私の脳内酵母論である。

f1224 宿命


貧しくて設備が確保出来ない場合にはこれはどうしようもありません。
鼓動を維持する為に多くの人を犠牲にする、それもまた考えものです。
そのような観点からして私はその環境の中で鼓動を維持する大切さ、鼓動の大事さは説きますが極限の状況では是是非で良いのではないかと主張します。
しかしその鼓動「滅せぬ者のあるべきか・・」と言われ、いずれ止まる宿命を帯びています。
人生とは何んぞやと聞かれると、私は即座に己の鼓動を思った通りに使うのが人生である、と答える。
流れのままに生きたのか己の思った通り、鼓動を使い切ったか、それこそが幸せの度合いと言えるのではないだろうか。
貴方の鼓動は親だとて止められません、誰にも止められません。
そしてその鼓動の使い方はまた、貴方しか決められません。
周りに流され、浮き草のような人生では心もとない話です。
またそこで重要な役割を果たすのが脳です。
自論ですが人其々の脳みそはおそらく酵母の様なものであるのではないかと考え、酵母論を展開します。
理系の強い酵母なのか、文系に強い酵母なのか或いは芸術に長けた酵母なのか色々あるのではないかと考えます。
中には理系、文系、芸術、何事をやらせても非常に良い結果を残すバランスの取れた酵母の持ち主もいるのではないかと考えます。
脳みそ自体を畑に例えれば、何種類かの酵母の種を蒔いても、芸術ならその分野の種が他の種より育ちがいい。
土質ならぬ脳質が育ち良い畑と言えるのではないか。
絵画や書道、音楽や文学など、血統と思えるような現象は皆さんも感じているかと思います。
己の人生航路計画、まずは己の脳内酵母がどのような類の酵母であるのか、己を知るとは酵母菌、脳質を悟る事、
見極める事が一番大事ではないかと思います。
学生の頃何をやらせても素晴らしい成績で、なおかつスポーツ万能なんていう人間がいるものだ
将来的にもリーダーとして素晴らしい活躍をするだろうと予測された人間が10年20年経って見ると大した事はなく、
もしろ成績が悪かったはずの人間が立派なリーダーに成っている場合がある。
万能な人間は世間に出ても普通に何でもこなす、いわゆる器用貧乏になってしまうのだ。
かたや成績の悪かったやつは自分に何か取り得がないものか、
一生懸命考え、自分なりの自分に合った道を選択肢する結果、10年20年経つと成績の悪かったはずの人間が
立派な人間に成っているという事がある。
そういう点からしても私の主張する脳内酵母論、試しに検討してみても良いのではないだろうかという事である。

f1223 千差万別


人間(ジンカン)五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり・・・
一度生を授け、滅せぬ者のあるべきか・・
これは織田信長が口ずさんでいたという敦盛の一節である。
権力や名声を欲しいままにした秀吉や家康、勿論、近年においても財閥を成した人とて、滅せぬ者のあるべきか・・・
そうです今宵は己の鼓動と会話してみようではないか。
貴方は生まれた時、目も見えず耳も聞こえない、触覚や嗅覚とて白紙の状態。ただ一つ鼓動の響きのみだった。
乳房を吸う事により母の体温や匂い、声や顔を脳内に一つずつ記憶されて来たのは言うまでもない。
人間の原点に戻り、突き詰めると鼓動に行き着く。
男や女の区別なく、年寄りや子供、宗教や国家、肌の色や言葉の違いに関係なく、この世に生を授けた全ての人には平等に鼓動が与えられている。
そこで私は鼓動という側面から己を見極めるべき哲学が必要ではないかと、ここに動哲学論を展開いたします。
哲学と言うと堅苦しい話の様に聞こえますが人間頭も心も千差万別です。
一人一人違う鼓動があり顔があります。一人一人違う哲学があっても不自然ではなく、むしろ有るべきです。
万人に強要するのではなく一人一人が財布の如く身に付けて持っている哲学。
そしてその都度己の人生の道しるべとして確認をしながら人生を全うする。
そういう意味での幅広い生きざま論、鼓動哲学が必要との主張です。
お互いの鼓動を尊重すべきであると展開していくと、必ずそこには鼓動を止める死刑廃止論であったり、
或いは中絶廃止論であったりという問題にぶつかるかと思います。
私はそれは是是非で良いのではないかと考えます。
なぜなら、私の主張する鼓動哲学は個々のものです。
個人個人が身に付けておくべき哲学だと主張しており、其々によって違う条件の中で解決すべき問題だと考えます。
鼓動を維持するのに高価な機械を必要とする場合もあり、動作を維持していく為には周りの親兄弟、或いは地域国単位での手助けが必要です。

f1222 パンツ帽子


新造爺さんはまだら呆けを越している。
五歳になる孫芳美が大好きで ママごと遊び、かくれんぼの日々。
風呂も食事も寝る時も一緒。
芳美はママやお婆ちゃんに ツルツル頭とやり込められる爺さんを助けたいと子供ながらに考える。
お風呂で下の毛はふさふさ、そうだパンツを履いているからふさふさなんだ。
お爺ちゃんの頭、パンツを履けばふさふさになるよ、と提案。
その晩から芳美は自分のパンツを大好きなお爺ちゃんへ被らせ寝る事になった。
かくしてママごと遊び、食事の時も孫のパンツを頭に被ったまま。
皆が出かけた後、公園へ遊びに行くがパンツを被ったまま。
大勢の人だかりが出来る。
さあー家族にバレたらどうなるか・・・・
耳元まで口が裂け バトルが始まるであろう・・・
・・妄想家族 バトル編

f1221 阪神ファン


これまた超話題となり町中が色とりどりのマドロス帽にラクダももひき姿が大流行。
飲み屋も喫茶店も歩いている人々も色とりどりのマドロス帽にラクダももひきシャツ姿。
観光客は島へ来るなり、ここは宇宙かと勘違いする程。
大阪で会社を経営している社長が業績が上がらず悩んで旅行中、この光景を見て閃き、膝を叩いた。
社長は大阪へ帰るといきなりラクダファッションで出社。
警察も肌を露出してる訳では無いので手が出せない。
社長はまた大の阪神ファンときている。
ラクダファッションにそれこそ縦縞をつけて甲子園球場へ応援に行く。
縦縞ラクダファッションの社長が応援に行くと、これまた完全に負けの試合が最終回に逆転勝利、連勝記録が話題となりこれまた球場全体がラクダファッションとなってしまう。
ラクダファッションは新聞テレビで話題となり、社長は大量に売りさばき社員の給料倍増。
そして社員に我が社の作業衣をこれにすると言って全社員にラクダファッションを命じる。
営業マンもその姿で外回り。
ところが落とし穴があった。
ビヤダル状の新入女子社員がこのファッションを拒否、解雇になるが裁判となった。
ラクダ裁判である。
さて司法試験第一問。
貴方ならラクダファッションを作業衣として命じた社長の言い分をとるか、ビヤダル状新入女子社員の言い分を取るか、詳細に理由を書きなさい。
貴方はどっちかな・・・・
それにしても飲食店やキャバクラなどあらゆる方面でラクダファッションが大流行するかな・・・
あれ〜AKB48が花柄模様のラクダファッションで舞台を彩ったら面白いだろうなぁ・・・
待てよ・・AKB48に対抗すべく新しいラクダ48グループを作ったらどうだろう・・
誰か新しい企画考えて〜〜
加齢とともに体力を使わない妄想の時間が一番楽しくなる。
・・ひかる妄想劇場より・・・

f1220 マドロス帽


南の島は一年中温暖な気候である。しかし朝晩は冷える。
武蔵爺さんは有り金はたいてラクダのモモヒキとシャツを買った。
着てみるとこれがやたら暖かい。早速周りへ自慢して歩いた。
あまりの自慢に隣の金持ち爺さんが、ほんだらオイラは2着買うべ、と言って買い、着てみる。
これまたあまりの暖かさにモモヒキシャツ姿で自慢をして回った。
それが何時の間にか島中の人達が老いも若きも次々とモモヒキシャツ姿で歩くようになった。
あたかも島中が宇宙人ではないかと思われる位の姿になってしまったのだ。
観光客は港に降り立つとびっくり。宇宙へ来たのかと勘違いする始末だ。
ビヤダル状の杖をついた婆さん、ボケで帰る家が分からなくなってしまい観光客に、私はどこへ帰ればいいかねーと尋ねた。
観光客は宇宙人のイメージがあったもんでつい天を指差した。
婆さんはいきなり怒り出し、私はまだ死ぬ訳にはいかない、と杖を振り回して追いかけた。
あれれ〜と言う間に、婆さんは転倒して骨折してしまった
急いで救急ヘリを呼ぶが、当然事故なので警察も同乗して来たが、ヘリポートの周りの人達のラクタシャツ姿に何んだこれは、とびっくり。
とりあえずは怪我人をと急いで石垣島の総合病院へ運ぶ。
緊急入院するがなんと付き添いの人、見舞いに来る人達がこれまたラクダ姿だ。
病院でも話題となり、病院の爺さんが試しに着ると、なるほど暖かい。
爺さんはこれまた得意になって街中を闊歩するようになった。
映画好きな爺さんはその姿で映画館に行く。
当時は石原裕次郎のマドロス姿にパイプが超人気、爺さんはラクダももひき姿に真っ赤なマドロス帽を被り町内を闊歩する。

f1219 節目節目


ココロ鏡は毎日引っ張り出す必要ありません。月に1度でいいからココロ鏡を呼び出し、
己がどのような人物なのかを己の目で確かめ確認する、ココロ鏡が大事です。
自分は人間としてどうあるべきか、どのような姿であるべきか。
そうです、ココロ鏡を呼び出す時、それは先程の禅の境地に入った状況で己をじっくり写し出す、
それこそ生きて行く上で大事な事ではないだろうかと考えます。
私は20代からこのココロ鏡を引っ張り出し節目節目を確認して生きて来ました。
人口700人前後の小さな島でランプで育ち、隣の人口4万人の石垣島へ渡る事が一番の夢でした。
石垣島には映画館が3つもありネオンも商店街も市場もあります。
高校出る事によって3年間その島で生活し、卒業と同時にテレビの仕事に就きたく上京します。
石垣島の高校には理系コースが無いため商業科コースを卒業し今度はテレビの為、出直し理系科へ。
開設したばかりのカラーTV専門コースに通います。
食う為、昼間は力仕事、2年間夜間学校へ行きますが全んど疲れ果てて勉強どころではありません。
そしてテレビ局入り、いきなりテレシネ、マスター部門と言う、当時のIT最先端の放送局送信心臓部へ配属されます。
1年後にIBMのコンピューターが導入され、コンピューター分野まで携わる事になります。
あまりの変化にどうも付いて行けそうにもない、と悩み自信喪失状態。
その折、ココロ鏡を引っ張り出し、己の置かれている状態、立ち位置などココロ鏡に写し出し考えました。
人口700人の島から4万人の石垣島で高校3年間、そして東京で夜学2年後、放送局へ入ったのです。
そんな中で己のココロ鏡と対峙し、気がつくと島を出て5年後、自分の作った番組が北海道から沖縄迄、そうです全国のお茶の間へ届く、気が付いた時点で自分は何時の間にか一億人の人を相手にする立場の仕事をしていたのです。
自分のやった仕事が一億人の人が見ている、そうです一億人の人が見つめる舞台に立っていたのです。
例え端役ても通行人役でもいい。
何時の日か、まかり間違って一億人が見つめる主役に成るかも知れない、と馬鹿げた事を考え、この仕事を生涯の天職として全うしようと決めたのです。

 1218 ココロ鏡 





これからも己の人生ドラマを、どう展開させていくのか本気で考えるべきではないだろうか。
そして己との対話、己の人生ドラマの進行状況を写し出す上で最も大事なのがココロ鏡です。
皆さんは毎日鏡で己の姿を写し出し、見ているでしょう。
特に女性の方は手鏡などでその都度己の顔を写し、手直しをしたりするのは言うまでもありません。
私はここでもう一つの鏡の存在を提案いたします。
それはココロ鏡です。
己の顔だけではなく、己自身がどのような姿をしているのだろうか?
前後左右上下、あらゆる角度から己を立体的に見つめる、それを私はココロ鏡と呼びます。
己はどのような姿で周りから見られているのだろうか、性格はケチな奴なのか、ガツガツした人間なのだろうか。
自分本位の人間では無いだろうか。
あるいは時の流れに逆らっている奴なのか、時の流れを捉えられる人間なのか女なのか。
一方的に自分しか主張しない人間がいたり、ただ周りに迎合。
こいつは人間では無いのではないかと思われるくらい優柔不断でどうしようもない人もいます。
やたらと人を嫉んだり、被害妄想的な発想の人がいたり、人が苦しい状況にある旨を喜んだりする人間がいたりします。
自分は悪くない周りがみんな悪いんだ、と主張する奴もいれば政治が悪い国が悪い。
自分は悪くない世の中が悪いなんて訳の分からない事ばかり言ってる人もあるかと思います。
さて自分は本当にどのような姿で周りに写っているのだろうか、仕事の上だとかあるいは家庭の中。
あらゆる方面から己を写し出すココロ鏡が大事ではないかと思います。

 1217 寝禅





座禅と言う言葉がある。
禅と言えば、あぐらをかいて体のバランスをとって行うもの、と言うふうにおおむね解釈されているが、
私は禅と言うと寝禅が一番ではないかと考える。
寝た状態で足を半開きにし、軽く胸に手を添える。
この状態こそが体の関節や臓器すべてに均等に重力がかかる。
人間は生きている間かなりの時間寝ている時間がある、その時間は節々や関節や臓器に重力がかからない事になり、
そのこと自体が人間が一番休まる時間だと考える。
騙されたと思って一度行って頂きたいのは、夜寝る時に目を軽く閉じ、両手を胸に軽く添えるとかすかに鼓動が感じられるであろう。
その状態で目一杯息を吸い込み、そしてまた最後の一滴まで雑巾を絞り出すように息を吐く。
それを30回ほど繰り返してみよう。
今迄に経験した事がないくらい体全体が軽くなり、頭が空になるだろう。
そのまま軽く目を閉じた状態でしばらくゆっくりと息を吸い込みゆっくり吐き出す。
その行為を20分程していると、おそらく本当に今まで経験した事がないくらい頭の中が空になるだろう。
それこそが本当の、禅の境地と言えるのではないだろうか。
ゆっくりと目一杯パンパンになるまで息を吸い込む、そしてゆっくりと雑巾を絞るように最後の1滴まで息を吐く、
その行為を30回程繰り返し、その後はゆっくりと吸い込み、またゆっくりと息を吐く行為を20分程繰り返していると、
殆んどの人が禅の領域に入る。
大事な事はその後である。果たして今まで生きてきた自分はどうだったのだろうか。
己の人生ドラマはうまくワンカットワンカットが作れているだろうか。
鼓動との対話が大事です。
母は何のため10月10日も体内で貴方を育み、そして何の為に乳を与え、おむつを取り替えて育てあげて来たのだろうか。
己は母の期待に答えられているのだろうか、母に本当に心底誇れる自分なのだろうか。
己との対話、鼓動対話が一番重要ではないかと思います。
 まだらボケ
おん年 八十 まだらボケ
娘と女房境目なし・
じーと見つめ ウインクする・
何すんのよ!
キモイ スケベーオヤジ 入院だ!
一喝 ショボタレ し・失禁だ〜
お〜い 酒!
朝から ふざけるな!
二喝目 ショボタレ・タレ・・タレ・・・・
お〜い お茶!
・・・ヨシ! 
入院取りやめ! 
・・妄想家族 団欒編

2024年11月25日

f1216 ゴキブリ娘


片やゴキブリ娘はとうとう両親も他界し、今でも一人で相も変わらず奇声を発しているそうだ。
そしてその家は名実ともにゴキブリだらけ、ゴキブリ館と呼ばれているそうだ。
人生全てゴキブリとの格闘、神から授かった子宮は一度も使われず南端小島で墓場行き。
人生とは何か、と考えさせられます。
あだ名は体を表すのかな・・・・・
島ではその人の特徴を捕え、ユニークで覚えやすいあだ名を付けて呼ぶ習慣があった.
ひかるが生まれた当時、母は戦争最中の食糧難の小島、乳が出ない為ヤギの乳を飲ませ育てた。
ひかるの神様はヒツジ歳だが、ヤギである。
のちに牛の乳を飲ませる習慣が入ってきた。
島で女の赤ちゃんが生まれ、不幸にも母親が亡くなってしまった。
島の人は見た事もなかったが、初めてその子に牛の乳を飲ませて育てた。
女の子だったが島の人達はその子の事を、牛の乳で育ったので牛若丸とあだ名を付けて呼んだ。
女牛若丸誕生だ!
そのうち子供が生まれると次々と牛の乳を飲ませて育てるようになり、結果的に島牛若丸が次々と誕生したのである。
名前を呼ぶのに牛若丸五号、牛若丸六号、なんて事になり、このあだ名は不都合が生じ封印されてしまったが、最初の子は元祖・女牛若丸と呼ばれた。
島には川は勿論、水溜まりも橋も欄干もない。
牛若丸はピョンピョンどこを跳ねていたんだろうか。
石垣を跳ね飛んでいたのだろうか。
石垣を飛び交う牛若丸・・・絵になるなあ〜
子供は島で育つと年頃に島を飛び立っていく。
女牛若丸は飛び跳ね過ぎたのだろうか。アメリカへ渡って現地で結婚。女の子二人をもうけた。
娘が大学の卒論にと自分のルーツを求め島を訪れた。やはり顔は女牛若丸、母親そっくり。
島ではその日のうちに伝令が走った。
女牛若丸が島に舞い戻ったぞーと。
当の本人は何んで自分が牛若丸なのかチンプンカンプン。
娘はアメリカと日本の架け橋たらんと東北へ赴き、震災後の復興に取り組む。
アメリカからのボランティア受け入れ窓口として日本語英語で活躍しているとの事です。
日米の架け橋の欄干で女牛若丸はぴょんぴょん跳び跳ねていた。
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