【雑談】通りゃんせ
2020年10月16日
みなさま、こんにちはー(*´ω`*)ノ
花です(*´ω`*)
一昨日PSO2はメンテナンスがあり、様々なアップデートがありました。
私にとっては、新緊急クエストが楽しみで行きたかったのですが、昨日書いた私のちょっとだけ頑張ってみようかなの目標の準備のために気付いたら、朝方4時になってしまいっていました(´・ω・`)
今日こそは行くぞー!(`・ω・´)
とPSO2のお話はこれくらいにして、今回は雑談的お話です(*´ω`*)
私の会社のすぐそばに信号機があります。
小さな交差点ですが、田舎の方でも少し栄えたところということもあってなのか、歩行者用信号機は青になると音楽が流れます。
曲名は「通りゃんせ」。
みなさんも一度は聞いたことがあるのではないかと思います。
通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細道じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ
さて、こういった童謡のいくつかには、都市伝説というものがあります。
実はこの「通りゃんせ」にも都市伝説があります。
あくまで都市伝説なので、信じるか信じないかは人それですが、せっかくなのでそんな「通りゃんせ」の都市伝説を紹介したいと思います。
この「通りゃんせ」ですが、神様へのいけにえという都市伝説があります。
具体的にどういうことかというと、この歌は神社の門番と、子どもを連れた母親との掛け合いが歌われているといわれています。
具体的に解説すると、子どもを連れた母親は神社の門番に、「お参りするのはいいけど、帰りは夜道で子どももいるし危険だよ」と止められているのです。
子どもを連れた母親はそれに対し、「それでもいいから通して」と言っています。
何故母親がそう答えたかというと、子どもは神様にいけにえとしてささげるから帰りに子どもはいなく、母親一人となるためそれでもいいからと答えたということになるわけです。
昔は、何か悪いことが起きると、神様が怒っているせいだとして、その怒りを鎮めるためにいけにえがあったりしたそうです。
その点から考えると、この曲悲しく切ないですね。
さて、もうちょっと具体的にお話します。
この歌、おそらく夕方ではないかと推測されます。
何故なら「帰りはこわい」と表現があるからです。
ではなぜ、そんな夕方もしくは夜に門番にとめられても神社に行かなければいけなかったのか。
ここでキーになるのは、「7歳」というところ。
昔は、今ほど食べ物も豊かではなかったので、子どもの内に死んでしまうことが多かったのです。
そして、「7歳」というのは、そんな時代にとって神様のおかげ(ご加護)で7歳まで育ち、これからはご加護がなくても大丈夫ですという年齢だったそうです。
これは七五三の風習にもあるとおりです。
でも、7歳になった報告でお参りするなら無理にそんな危険な時間(夕方や夜)に行かずに日を改めて、日中に行けばいいですよね。
じゃあ、どうして門番を説得してまでそんな危険な時間に行かなければいけなかったのか。
考えられるのは、先にも書きましたが、神様のいけにえだったというわけです。
もっといえば、神のご加護(お力)が残る6歳のうちに、神様のいけにえにしなければいけなかったということではないでしょうか。
7歳になってしまえば、神様さまのご加護(お力)がなくなってしまうので、そうなるといけにえとしての意味がなくなるといったような考え方だったのではないかということです。
信じるか信じないかはあなた次第です。
というか私も、こういった考察は半分信じて半分信じないということにしています(笑)
でも、怖い><
怖いのは苦手なのですっ!(´・ω・`)
それでは、今回はこの辺でー(*´ω`*)ノ
~~~ヾ(*'▽'*)o マタネー♪
花です(*´ω`*)
一昨日PSO2はメンテナンスがあり、様々なアップデートがありました。
私にとっては、新緊急クエストが楽しみで行きたかったのですが、昨日書いた私のちょっとだけ頑張ってみようかなの目標の準備のために気付いたら、朝方4時になってしまいっていました(´・ω・`)
今日こそは行くぞー!(`・ω・´)
とPSO2のお話はこれくらいにして、今回は雑談的お話です(*´ω`*)
私の会社のすぐそばに信号機があります。
小さな交差点ですが、田舎の方でも少し栄えたところということもあってなのか、歩行者用信号機は青になると音楽が流れます。
曲名は「通りゃんせ」。
みなさんも一度は聞いたことがあるのではないかと思います。
通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細道じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ
さて、こういった童謡のいくつかには、都市伝説というものがあります。
実はこの「通りゃんせ」にも都市伝説があります。
あくまで都市伝説なので、信じるか信じないかは人それですが、せっかくなのでそんな「通りゃんせ」の都市伝説を紹介したいと思います。
この「通りゃんせ」ですが、神様へのいけにえという都市伝説があります。
具体的にどういうことかというと、この歌は神社の門番と、子どもを連れた母親との掛け合いが歌われているといわれています。
具体的に解説すると、子どもを連れた母親は神社の門番に、「お参りするのはいいけど、帰りは夜道で子どももいるし危険だよ」と止められているのです。
子どもを連れた母親はそれに対し、「それでもいいから通して」と言っています。
何故母親がそう答えたかというと、子どもは神様にいけにえとしてささげるから帰りに子どもはいなく、母親一人となるためそれでもいいからと答えたということになるわけです。
昔は、何か悪いことが起きると、神様が怒っているせいだとして、その怒りを鎮めるためにいけにえがあったりしたそうです。
その点から考えると、この曲悲しく切ないですね。
さて、もうちょっと具体的にお話します。
この歌、おそらく夕方ではないかと推測されます。
何故なら「帰りはこわい」と表現があるからです。
ではなぜ、そんな夕方もしくは夜に門番にとめられても神社に行かなければいけなかったのか。
ここでキーになるのは、「7歳」というところ。
昔は、今ほど食べ物も豊かではなかったので、子どもの内に死んでしまうことが多かったのです。
そして、「7歳」というのは、そんな時代にとって神様のおかげ(ご加護)で7歳まで育ち、これからはご加護がなくても大丈夫ですという年齢だったそうです。
これは七五三の風習にもあるとおりです。
でも、7歳になった報告でお参りするなら無理にそんな危険な時間(夕方や夜)に行かずに日を改めて、日中に行けばいいですよね。
じゃあ、どうして門番を説得してまでそんな危険な時間に行かなければいけなかったのか。
考えられるのは、先にも書きましたが、神様のいけにえだったというわけです。
もっといえば、神のご加護(お力)が残る6歳のうちに、神様のいけにえにしなければいけなかったということではないでしょうか。
7歳になってしまえば、神様さまのご加護(お力)がなくなってしまうので、そうなるといけにえとしての意味がなくなるといったような考え方だったのではないかということです。
信じるか信じないかはあなた次第です。
というか私も、こういった考察は半分信じて半分信じないということにしています(笑)
でも、怖い><
怖いのは苦手なのですっ!(´・ω・`)
それでは、今回はこの辺でー(*´ω`*)ノ
~~~ヾ(*'▽'*)o マタネー♪
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