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2022年04月04日

三善康信〜不遇だった頼朝に京の情報を伝え続けた「情報機関員」だった。

大江広元とともに、鎌倉幕府初期における主要ブレーンの1人であった三善康信(みよし やすのぶ)。僧侶出身の学識を活かし、誕生間もない幕府基盤の構築に尽力した。その智略と活躍を解き明かす。

 三善康信は、保延6年(1140)に明法家(律令制の学問の1つの教授)である三善家に生まれ、早くから朝廷内でその能力を認められた。

 しかし、康信の伯母(母の姉)が、源氏の棟梁の息子・頼朝の乳母であったことから、平氏の一族が勢力を伸ばしてくる時期には、昇進も認められず、不遇な立場にあった。だが康信は、そうした頼朝との関係ゆえに親交は深めていて、伊豆に配流された頼朝に対して、1カ月に3度は京都の様子や平家の動静などを知らせ続けた。

 治承4年(1180)6月には、平家による源氏追討の危機をいち早く知らせ、それを知った頼朝が平家打倒の挙兵に至るきっかけを作っている。
その後のついて詳しくは下記をチェックしてご覧になってください。


https://news.yahoo.co.jp/articles/cfe0a7f6fceee91a868da3dc1236ae06422e64b1
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74歳の現役老人です。 マンション管理の清掃と一部管理業務を兼ねて 作業をしています。
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