三善康信は、保延6年(1140)に明法家(律令制の学問の1つの教授)である三善家に生まれ、早くから朝廷内でその能力を認められた。
しかし、康信の伯母(母の姉)が、源氏の棟梁の息子・頼朝の乳母であったことから、平氏の一族が勢力を伸ばしてくる時期には、昇進も認められず、不遇な立場にあった。だが康信は、そうした頼朝との関係ゆえに親交は深めていて、伊豆に配流された頼朝に対して、1カ月に3度は京都の様子や平家の動静などを知らせ続けた。
治承4年(1180)6月には、平家による源氏追討の危機をいち早く知らせ、それを知った頼朝が平家打倒の挙兵に至るきっかけを作っている。
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