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2014年06月02日

ブラジル大会に懸ける本田圭佑と、ブラジルという国のアイデンティティー

サッカーのワールドカップブラジル大会に備え、

米フロリダ州で合宿中の日本代表・本田圭佑が

6月1日、

チーム合流後、

初めて報道陣の前で口を開いた。

ブラジル大会に懸ける強い気持ちを独特の節回しで熱く語った。

W杯への意気込みを語る本田

南アフリカの前回大会を経験、

海外のリーグで鍛えられた選手も増えたことは

チームの強みになっているようだ。


本田自身も「この4年間ずっとやってきましたけど、

今が一番リラックスしている」と余裕の表情。

戦術面ではチーム内で積極的に意見を戦わせ、

精神的には自然体でいることが大切だという。

「衝突というとネガティブに聞こえるけど、

擦り合わせは妥協せずにやりたい。

人間、

開き直るのは大事。

逃げ道はないわけですから。

自分でも想像できない本当の強さがこれから出るのは楽しみ。

そのための準備としては、

より自然体でいきましょうと」

大舞台を前に平常心を保てるのは2つの自信があるからだという。

「自信には根拠の有るものと無いものがある。

根拠の有る自信はこれだけは自分は

誰にも負けずに頑張ってきたという自負が支え。

それは今のチームに有るもの」

「もう1つの方は天性というか、

なぜそんなに自信が有るのか身内や自分にさえ分からない。

そういう自信を持った人が大きな成果を上げるには1人、

2人必要だけれど今のチームはそのポテンシャルもあると思う」

自分の公式サイトでブラジル大会を「集大成」と表現した。

大会後、

代表を退く気なのか。

「W杯は4年に1度。

ここにいる全員が次も出られる保証はない。

だから

ここを節目にする気持ちで今まで臨んできたし、

次は無いくらいのつもりで挑むべきだ」と本田。

あくまで覚悟のありようを語ったものらしい。

W杯で勝つポイントにもう1つ、

雰囲気づくりの大切さを挙げた。

「自分の中でしっかり手応えさえつかめば、

あんまり会話はいらない。

しゃべって仲良くすることだけが雰囲気じゃない」

「本当に普通に自分に自信を持って全員が1つの部屋に集まったときの雰囲気は

人生の中でもなかなか巡り会える瞬間ではないけれど、

そうなれば結果は出ているなと。

前回のW杯は初戦がそういう雰囲気だった」

没我の境地とされる「ゾーン」にチームとして入れるか、

という話なのだろうか。

この4年間、

W杯の優勝を広言し周りをアジテートしてきた。

「強引にね、

勝手にやらせてもらって迷惑をかけた部分もあると思います。

でも、ここからはしっかり実も伴わないといけない

ブラジルのW杯が日本サッカーにとって大きなターニングポイントになることを告げた。

一方、

ブラジルでは、

サッカー・ワールドカップの元ブラジル代表のスター、

ペレ氏の長男で元サッカー選手のエジーニョ被告に対し、

ブラジル・サンパウロ州の裁判所が30日、

麻薬組織の資金洗浄に関わったとして禁錮33年4月の実刑判決を言い渡した。

ブラジル紙・グロボなどが31日伝えた。

エジーニョ被告は自身が麻薬中毒とは認めているが、

麻薬組織への関与は否定しており、

控訴するとみられる。

エジーニョ被告は1990年代、

ペレ氏も在籍したサッカーチーム・サントスでゴールキーパーを務めた。1958年、

まだ10代だったペレをはじめ数人の黒人選手を中心としたブラジル代表は、初めてワールドカップを制した。

優勝を決めた後の光景を、

ブラジルの劇作家ネルソン・ロドリゲスはこう書いた。

「小柄な黒人女性がいた。

どこから見てもスラムの住人だ。

ところがブラジルの勝利が彼女を変えた。

通りを行く彼女は、

ジャンヌ・ダルクのような魅力を振りまいていた。

黒人の男たちも同じだった。

輝くような彼らの姿はエチオピアの王族を思わせた」

ブラジルは──と、

ロドリゲスは書いた。

「もう他の国に引け目を感じる雑種犬ではなくなった」

フットボールはブラジルという国のアイデンティティーをつくるうえで、

大きな役割を果たしてきた。

加えてフットボールは、

なかなか理解されにくいこの国を見つめるレンズとしても機能している。

フットボールを通じて僕たちは、

ブラジルの美しさと醜さ、

そしてふつうなら見過ごされるブラジルの貧しい人々の生活を目にすることができる。

フットボールはブラジルについて、

何を明らかにしているのか。

この問いへの答えを、

今ほど見つけやすいときはない。

ブラジルはワールドカップ史上最多の5度の優勝を果たしているが、

今までこの国のフットボールについて英語で書かれた本は数えるほどしかなかった。

本当に注目すべきものといえば、

アメリカの女性社会学者ジャネット・レバーがブラジルのフットボールを

社会学の視点から考察した『サッカーの狂気』や、

イギリス人ジャーナリストのアレックス・ベロスの傑作『フチボウ──美しきブラジルの蹴球』、

くらいだった。

しかし,

ブラジルでまもなくワールドカップが開かれる今、

気がつけば、

この国のフットボールを掘り下げた本があふれはじめた。

アンドレアス・カンポマルの『ゴラゾ!(ゴール!)──ラテンアメリカ・フットボールの歴史』は、

なかでも最も広がりのある本だ。

広がりがありすぎると言えなくもない。

ロンドンの出版界で仕事をしているウルグアイ人のカンポマルは、

おそらく図書館で長い時間を過ごし、

今まで忘れられていた試合やシーズン、

大会を細かく掘り起こしている。

それでもカンポマルの著書は、

ブラジルという国の物語にわかりやすい視点を与えてくれる。

19世紀の南アメリカ経済で大きな存在だったイギリス人がブラジルにフットボールを広めるペースは、

もっと開けていたアルゼンチンやウルグアイに比べてゆっくりしたものだった。

ブラジルが追い着いたのは1920年代後半になってからだ。

しかし虐殺と奴隷制の上に築かれたこの国では、

当時でさえ白人は黒人にフットボールをさせたがらなかった。

とりわけセレソンはほとんどが白人選手だった。

1950年にリオデジャネイロのマラカナン・スタジアムで行なわれた

ワールドカップの事実上の決勝でブラジルがウルグアイに

悲劇的な敗北を喫すると、

黒人のGKモアシール・バルボーザがスケープゴートにされた。

大きな屈辱を味わったブラジルは、

ロドリゲスの言う「迷い犬症候群」を払拭できずにいた。

それでも1962年に、

ブラジルは「フットボールの国」になっていた。

世界で最も優れたフットボールの国というだけではなく、

国の自画像や国際的なイメージもほとんどがフットボールによるものになっていた。

この話をもっともうまく書いているのは、

イギリス人ライターでフットボールの歴史をつづった『ボールは丸い』の著者である

デイビッド・ゴールドブラットだ。

今回、

彼はブラジルのフットボール史をたどる『フチボウの国──フットボールから見たブラジル史』を出版した。

「誰かが書かなくてはならなかった」からだと、

ゴールドブラットは説明している。

これに似た本はほかにない。

もしかすると、

ポルトガル語の本にもないかもしれない。

ゴールドブラットは正直にこう書いている。

「この本は、ほかの誰かの手で書かれるべきだった。

できればブラジル人が、

少なくともポルトガル語に精通している人が書くべきだった」。

確かに英語の資料に頼っている点は弱みではある。

それでもゴールドブラットには、

フットボールを社会・経済的な文脈に落とし込み、

まとめ上げる才能と、

驚くほどの雄弁さがある。

静かな出だしの後、

物語は1950年から一気に進んでいく。

ゴールドブラットは、

ブラジルが「雑種の国」という自画像を受け入れるうえでフットボールが果たした役割を描く。

1930年代に社会学者のジルベルト・フレイレが、

ブラジルの「混血」文化は誇りであって恥ではないという国民の物語を描きはじめた。

北西部のサトウキビ農園について書いた著書で、

フレイレは白人の農園主と黒人奴隷が性的な関係を持ったことを肯定的に書いている。

これによって「ブラジル人」という特別な人種が生まれたと、

彼は言う。

さらにフレイレは、

ブラジルの「混血主義」がこの国のフットボールにリズムと芸術性と、

狡さをもたらしたと説く。

これによってブラジルには、

イングランドやアルゼンチンといった

白人の国より強く美しいフットボールの国になる素地が生まれた。

「混血」文化にまつわるフレイレの理論は、

ついにペレやガリンシャといった選手によって証明される。

1958年のワールドカップ決勝でブラジルが開催国のスウェーデンを破ると、

「スウェーデン国王が歓喜の輪に加わるために、

ピッチまで降りてきた」と、

ゴールドブラットは書いている。

世界はブラジルのフットボールに魅了されていった。

そしてブラジルは1962年のワールドカップで連覇を遂げる。

振り返れば、

この時代がブラジルの黄金期だった。

フットボールだけではない。

当時のブラジルはもっと暴力とは縁遠く、

経済も急速に発展していた。

1964年の軍事クーデターはまだ起きていなかった。

優れた選手はヨーロッパへ行くわけではなく、

まだブラジルのクラブでプレイしていた。

子供たちがフットボールをする場所もたくさんあった。

1960年のブラジルの人口は約7000万人にすぎなかった。

現在はざっと2億人だ。

貧しい家庭の子どもはビーチで遊んだことがないばかりか、

海を目にしたこともない子がほとんどだ・・・・・。

サッカー王国が、發展するといいな。

ecat


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