新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
2016年12月29日
2016年12月25日
2016年10月29日
レアルとバルサの危機的課題を紐解くA
ビッグクラブが機能性を確立するのは困難
レアル・マドリーもドルトムント戦ではチームとしての機能性を欠いた
レアル・マドリーについては、選手たちに自由を与え、ラファエル・ベニテス前監督の下で迷走していたチームを復調に導いたジネディーヌ・ジダン監督の人心掌握術、選手たちに対するメンタルコントロール、的を得た選手交代やシステム変更を可能にする洞察力などは評価すべき要素だと言える。
だがチャンピオンズリーグで対戦したボルシア・ドルトムントのように組織力の高い強豪の前では、個の力だけでは通用しない状況が生じ得る。そして先週末にバルセロナが露呈したように、レアル・マドリーもまだそのような状況下で必要となるチームとしての機能性を確立できていない。
とはいえ、これはバルセロナとレアル・マドリーだけが抱える課題ではない。グアルディオラが率いた08〜12年のバルセロナや13〜16年のバイエルン・ミュンヘンを除き、チームとして高い機能性を確立することは世界中のビッグクラブにとって困難な課題となっているからだ。現在で言えば、それを成し得ているのはディエゴ・シメオネのアトレティコ・マドリーやベリーソのセルタ、マウリシオ・ポチェッティーノのトッテナム・ホットスパー、トーマス・トゥヘルのドルトムントくらいしかない。
世界中のメディアやファンの注目が集まる現状、ビッグクラブではチーム作りにかけられる時間が十分に与えられなくなった。しかも選手たちは過剰なまでの不安とプレッシャーにさらされながらのプレーを強いられている。
そんな中、アトレティコは5シーズン以上もシメオネの指揮下で継続してチームを熟成させてきた結果、レアル・マドリーやバルセロナと肩を並べるまでに力をつけてきた。
しかし、ここであらためて問い掛けたい。トップレベルのスター選手を擁していないチームに可能ならば、なぜ世界最高の選手たちをそろえたビッグクラブに同じことができないのか。普通に考えて、彼らは日々のトレーニングで準備されたプレーを並の選手より容易に実行できる能力があるはずだというのに。
レアル・マドリーもドルトムント戦ではチームとしての機能性を欠いた
レアル・マドリーについては、選手たちに自由を与え、ラファエル・ベニテス前監督の下で迷走していたチームを復調に導いたジネディーヌ・ジダン監督の人心掌握術、選手たちに対するメンタルコントロール、的を得た選手交代やシステム変更を可能にする洞察力などは評価すべき要素だと言える。
だがチャンピオンズリーグで対戦したボルシア・ドルトムントのように組織力の高い強豪の前では、個の力だけでは通用しない状況が生じ得る。そして先週末にバルセロナが露呈したように、レアル・マドリーもまだそのような状況下で必要となるチームとしての機能性を確立できていない。
とはいえ、これはバルセロナとレアル・マドリーだけが抱える課題ではない。グアルディオラが率いた08〜12年のバルセロナや13〜16年のバイエルン・ミュンヘンを除き、チームとして高い機能性を確立することは世界中のビッグクラブにとって困難な課題となっているからだ。現在で言えば、それを成し得ているのはディエゴ・シメオネのアトレティコ・マドリーやベリーソのセルタ、マウリシオ・ポチェッティーノのトッテナム・ホットスパー、トーマス・トゥヘルのドルトムントくらいしかない。
世界中のメディアやファンの注目が集まる現状、ビッグクラブではチーム作りにかけられる時間が十分に与えられなくなった。しかも選手たちは過剰なまでの不安とプレッシャーにさらされながらのプレーを強いられている。
そんな中、アトレティコは5シーズン以上もシメオネの指揮下で継続してチームを熟成させてきた結果、レアル・マドリーやバルセロナと肩を並べるまでに力をつけてきた。
しかし、ここであらためて問い掛けたい。トップレベルのスター選手を擁していないチームに可能ならば、なぜ世界最高の選手たちをそろえたビッグクラブに同じことができないのか。普通に考えて、彼らは日々のトレーニングで準備されたプレーを並の選手より容易に実行できる能力があるはずだというのに。
2016年10月26日
バルサ・レアルの危機的課題を紐解く
バルセロナは10月2日(現地時間)、セルタ・デ・ビーゴの本拠地バライードスで驚くべき大敗を喫した。3−4で敗れたこの一戦では終了間際に同点に追いつくチャンスがあったものの、早い段階でさらなる大差をつけられていた可能性もあった。その数時間前、サンティアゴ・ベルナベウではレアル・マドリーもエイバルを相手にまさかの1−1のドローに終わっている。
同日に番狂わせを許したリーガ・エスパニョーラの2大メガクラブは、いずれも共通の課題を抱えている。いまだにチームとして円滑な機能性を確立できておらず、個々の能力に依存する傾向が年々強まっていることだ。
個々が最高のパフォーマンスを発揮できず、チームをけん引する選手が出てこない試合では、チームの連動性や組織力が打開策となるものだ。にもかかわらず、バルセロナもレアル・マドリーもなぜチームとしての機能性を確立することができないのだろうか。
とりわけバルセロナは10年以上も前から4−3−3のシステムをベースに、華麗なプレースタイルに慣れ親しんできたチームである。ジョセップ・グアルディオラとティト・ビラノバの指揮下(2008〜13年)、もっと言えば現チームの土台を築いたフランク・ライカールトの時代(03〜08年)から、選手たちがシステムの一部としての役割を担っていることははっきりと見てとれた。リオネル・メッシ、シャビ・エルナンデス、アンドレス・イニエスタがFIFA(国際サッカー連盟)バロンドールの最終ノミネートを独占した10年ごろまではそのことに疑いの余地はなかったのだ。
それがここ数年は、かつてスター選手たちの力を引き出していたシステムの機能美が明らかに失われてきている。
メッシの不在によりチーム力が低下
個の力への依存度が高まっており、メッシ(左)を欠くとチーム力が低下してしまう
個の力への依存度が高まっており、メッシ(左)を欠くとチーム力が低下してしまう【写真:ロイター/アフロ】
セルタ戦では決定的な4失点目をもたらしたマルク=アンドレ・テアシュテーゲンの致命的ミス以上に、果敢な攻撃参加によって2ゴールを上げ、3点目まで手にしかけたジェラール・ピケの気迫溢れるプレー、そして遅すぎたとはいえ効果抜群だったイニエスタの投入に伴う後半の追い上げが際立った。
その傍ら、相手のレベルが上がれば上がるほど、メッシの不在によるチーム力の低下が露呈されることもまた、この試合で明らかになった事実だった。
バルセロナとは裏腹に、セルタは選手個々の能力以上にチームとしての強さが際立った。エドゥアルド・ベリーソ率いるセルタには、バルセロナやレアル・マドリー級のスーパースターも、アトレティコ・マドリーが擁するようなエクセレントな選手もいない。それでもチームとして明確な機能性を確立している彼らは、この試合の前半を通してバルセロナが耐え難いほどのハイプレスをかけ続けた。