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2017年06月22日
2017年06月20日
攻撃陣の厚さ。レアルがユーベに 大勝でCL2連覇を果たした要因
チャンピオンズリーグ(CL)決勝。戦前の下馬評では接戦が予想されていた。大手ブックメーカーのひとつであるウィリアムヒル社の予想でも、ユベントス勝利が3倍なのに対し、レアル・マドリードは2.7倍と接近。ユーベがバルサに1−3で敗れた2年前の決勝とは、様子が大きく違っていた。
R・マドリードの連覇阻止に燃えるユベントスは、途中までうまく戦った。前半を1−1で折り返したとき、4−1という結末を想像することはまったくできなかった。
R・マドリードのジネディーヌ・ジダン監督は、イスコを先発で起用。従来の3FWではなく、2トップで戦った。彼を2トップ下に据える中盤ダイヤモンド型の4−4−2だ。
対するユーベは、中盤フラット型4−4−2。試合前に配布された資料には、ダニ・アウベスを右ウイングバックに置く3−4−1−2と紹介されていたが、実際の配置は右サイドハーフで、よって、両軍にはギャップが存在することになった。
R・マドリードは左サイドで数的不利を招くことになった。SBマルセロの前方で常時、構える自軍選手がいない。誰かが流れてこないと、ユーベと数的に同数にはならない。つまりマルセロは、ユーベの右サイドハーフ、D・アウベスに行く先を塞がれた状態にあった。
イスコを起用すれば、マルセロは生きない。これは予想されたことでもあるが、ジダン監督はそれでもなおイスコを起用し、2トップ下に置いた。しかし、そのイスコもピッチ上をさまようことになる。どのようにプレーすれば、活躍の糸口を見いだせるか。ゴールに直結したプレーができるか、解答を見出せずにいた。
前半20分、レアルはクリスティアーノ・ロナウドが先制。その7分後、ユーベはマリオ・マンジュキッチの鮮やかな胸トラップ&ボレーで同点。試合は火がついたような撃ち合いになった。両者互角。この状態は後半に入っても続いた。ジダンの選択はうまくいかずにいた。
決勝ゴールが生まれたのは後半16分。カゼミーロのシュートがサミ・ケディラの足に当たり、コースが変わってゴールに飛び込むというユーベにとって不運なゴールだった。
しかし、危なそうなムードはその少し前から漂っていた。ユーベが反発力を鈍らせていたからだ。例えばゴンサロ・イグアインは、前線でボールを保持できず、弱々しい姿をさらけ出していた。前半活躍したマリオ・マンジュキッチも、もはやいっぱいいっぱい。期待のアルゼンチン人FWパウロ・ディバラも、消えることが多くなっていた。
後半19分、試合を3−1とするR・マドリードのダメ押しゴールは、ルカ・モドリッチのアシストから生まれた。そのマイナスの折り返しを、C・ロナウドがニアで合わせたゴールだが、マンジュキッチにはその時、モドリッチにパスを出した右SBダニエル・カルバハルを追いかける元気がなかった。
ユーベは2−1にされると、右SBアンドレア・バルザーリに代え、フアン・クアドラードを投入。より攻撃的に変化させたが、打つ手はこれのみだった。2人目の交代は後半26分。前半活躍したミラレム・ピアニッチに代え、クラウディオ・マルキージオが登場。あとはゴールを奪うのみ、という段で投入されたのが、決して攻撃的とは言えない、バランサーのマルキージオだった。
真っ先に投入すべきは決定力のあるアタッカー。しかしながら、ベンチを見渡しても適任者はいない。ユーベの敗戦はこれをもって確定した。
2点のリードがあるにもかかわらず、ガレス・ベイル、マルコ・アセンシオ、アルバロ・モラタという強力なアタッカーを、次々とピッチに送り込んできたレアル・マドリード。そこがユーベとの最大の違いだった。
ユーベの看板FWイグアインは、R・マドリードをお払い箱になった選手だ。マンジュキッチはバイエルン、アトレティコ・マドリードを渡り歩いた31歳のベテラン。この2人がフル稼働せざるを得ない台所事情に、ユーベの弱みは集約されていた。
90分、R・マドリードに4点目のゴールをもたらしたマルコ・アセンシオは、オランダ人の母親を持つスペイン期待のウイング。この日はベンチ外だったが、ルーカス・バスケスも右ウイングで確実な縦突破の技量を持つスペイン人選手だ。
R・マドリードといえば、C・ロナウド、カリム・ベンゼマ、ベイルの3人が、バルサの3人(メッシ、ネイマール、ルイス・スアレス)同様、看板選手として真っ先に紹介されるが、層の厚さという点ではバルサより上。文字通り世界一だ。チャンピオンズカップ時代88〜89、89〜90のミラン以来27年ぶり、CLとなってからは初の2連覇を達成した、これこそが最大の原因と言える。
97〜98のCLでユーベを倒し欧州一に輝いたR・マドリードは、その時、挑戦者の立場にいた。相手のユーベは3年連続の決勝進出で、ジダンを筆頭にアレッサンドロ・デル・ピエロ、ディディエ・デシャン、フィリッポ・インザーギ、エドガー・ダービッツなど。世に知られた選手が多数いた。前評判で勝るのもユーベだった。だが、5バックになりやすい守備的サッカーだった。
攻撃的な挑戦者(R・マドリード)が、守備的な強者(ユーベ)を下した一戦だ。その4シーズン後、ジダンは守備的な色を濃くしていったユーベから、攻撃的な色を強めていったR・マドリードに移籍。そして01〜02シーズン、欧州一のタイトルに輝いた。以来、R・マドリード人として、サッカーに関わっている。こちらの水の方が合っているのだろう。
イタリアとスペインの関係も逆転した。ミランが2連覇を達成した当時は、まさにイタリアの時代だった。サッカーも攻撃的だった。それが、サッカーが守備的に転じ、97〜98シーズン、ユーベが決勝でR・マドリードに敗れると、スペインに逆転を許す。以来、状況は変わっていない。
ユーベはイタリアの雄。セリエA6連覇中だ。しかしCLでは、14〜15シーズンの決勝でバルサに完敗。今季もR・マドリードに、それ以上のスコアで完敗した。返り討ちに遭うように。相手の監督が元ユーベの選手として活躍したジダンだったというオチもつく。
R・マドリードがリードする欧州の情勢は来季も健在。とすれば、R・マドリードの3連覇達成も現実味を帯びてくる。多彩なプレーが続々ピッチに現れる華々しいサッカー。誰かに止めてほしい気持ちが半分、もう少し見たい気持ち半分、なのである。
R・マドリードの連覇阻止に燃えるユベントスは、途中までうまく戦った。前半を1−1で折り返したとき、4−1という結末を想像することはまったくできなかった。
R・マドリードのジネディーヌ・ジダン監督は、イスコを先発で起用。従来の3FWではなく、2トップで戦った。彼を2トップ下に据える中盤ダイヤモンド型の4−4−2だ。
対するユーベは、中盤フラット型4−4−2。試合前に配布された資料には、ダニ・アウベスを右ウイングバックに置く3−4−1−2と紹介されていたが、実際の配置は右サイドハーフで、よって、両軍にはギャップが存在することになった。
R・マドリードは左サイドで数的不利を招くことになった。SBマルセロの前方で常時、構える自軍選手がいない。誰かが流れてこないと、ユーベと数的に同数にはならない。つまりマルセロは、ユーベの右サイドハーフ、D・アウベスに行く先を塞がれた状態にあった。
イスコを起用すれば、マルセロは生きない。これは予想されたことでもあるが、ジダン監督はそれでもなおイスコを起用し、2トップ下に置いた。しかし、そのイスコもピッチ上をさまようことになる。どのようにプレーすれば、活躍の糸口を見いだせるか。ゴールに直結したプレーができるか、解答を見出せずにいた。
前半20分、レアルはクリスティアーノ・ロナウドが先制。その7分後、ユーベはマリオ・マンジュキッチの鮮やかな胸トラップ&ボレーで同点。試合は火がついたような撃ち合いになった。両者互角。この状態は後半に入っても続いた。ジダンの選択はうまくいかずにいた。
決勝ゴールが生まれたのは後半16分。カゼミーロのシュートがサミ・ケディラの足に当たり、コースが変わってゴールに飛び込むというユーベにとって不運なゴールだった。
しかし、危なそうなムードはその少し前から漂っていた。ユーベが反発力を鈍らせていたからだ。例えばゴンサロ・イグアインは、前線でボールを保持できず、弱々しい姿をさらけ出していた。前半活躍したマリオ・マンジュキッチも、もはやいっぱいいっぱい。期待のアルゼンチン人FWパウロ・ディバラも、消えることが多くなっていた。
後半19分、試合を3−1とするR・マドリードのダメ押しゴールは、ルカ・モドリッチのアシストから生まれた。そのマイナスの折り返しを、C・ロナウドがニアで合わせたゴールだが、マンジュキッチにはその時、モドリッチにパスを出した右SBダニエル・カルバハルを追いかける元気がなかった。
ユーベは2−1にされると、右SBアンドレア・バルザーリに代え、フアン・クアドラードを投入。より攻撃的に変化させたが、打つ手はこれのみだった。2人目の交代は後半26分。前半活躍したミラレム・ピアニッチに代え、クラウディオ・マルキージオが登場。あとはゴールを奪うのみ、という段で投入されたのが、決して攻撃的とは言えない、バランサーのマルキージオだった。
真っ先に投入すべきは決定力のあるアタッカー。しかしながら、ベンチを見渡しても適任者はいない。ユーベの敗戦はこれをもって確定した。
2点のリードがあるにもかかわらず、ガレス・ベイル、マルコ・アセンシオ、アルバロ・モラタという強力なアタッカーを、次々とピッチに送り込んできたレアル・マドリード。そこがユーベとの最大の違いだった。
ユーベの看板FWイグアインは、R・マドリードをお払い箱になった選手だ。マンジュキッチはバイエルン、アトレティコ・マドリードを渡り歩いた31歳のベテラン。この2人がフル稼働せざるを得ない台所事情に、ユーベの弱みは集約されていた。
90分、R・マドリードに4点目のゴールをもたらしたマルコ・アセンシオは、オランダ人の母親を持つスペイン期待のウイング。この日はベンチ外だったが、ルーカス・バスケスも右ウイングで確実な縦突破の技量を持つスペイン人選手だ。
R・マドリードといえば、C・ロナウド、カリム・ベンゼマ、ベイルの3人が、バルサの3人(メッシ、ネイマール、ルイス・スアレス)同様、看板選手として真っ先に紹介されるが、層の厚さという点ではバルサより上。文字通り世界一だ。チャンピオンズカップ時代88〜89、89〜90のミラン以来27年ぶり、CLとなってからは初の2連覇を達成した、これこそが最大の原因と言える。
97〜98のCLでユーベを倒し欧州一に輝いたR・マドリードは、その時、挑戦者の立場にいた。相手のユーベは3年連続の決勝進出で、ジダンを筆頭にアレッサンドロ・デル・ピエロ、ディディエ・デシャン、フィリッポ・インザーギ、エドガー・ダービッツなど。世に知られた選手が多数いた。前評判で勝るのもユーベだった。だが、5バックになりやすい守備的サッカーだった。
攻撃的な挑戦者(R・マドリード)が、守備的な強者(ユーベ)を下した一戦だ。その4シーズン後、ジダンは守備的な色を濃くしていったユーベから、攻撃的な色を強めていったR・マドリードに移籍。そして01〜02シーズン、欧州一のタイトルに輝いた。以来、R・マドリード人として、サッカーに関わっている。こちらの水の方が合っているのだろう。
イタリアとスペインの関係も逆転した。ミランが2連覇を達成した当時は、まさにイタリアの時代だった。サッカーも攻撃的だった。それが、サッカーが守備的に転じ、97〜98シーズン、ユーベが決勝でR・マドリードに敗れると、スペインに逆転を許す。以来、状況は変わっていない。
ユーベはイタリアの雄。セリエA6連覇中だ。しかしCLでは、14〜15シーズンの決勝でバルサに完敗。今季もR・マドリードに、それ以上のスコアで完敗した。返り討ちに遭うように。相手の監督が元ユーベの選手として活躍したジダンだったというオチもつく。
R・マドリードがリードする欧州の情勢は来季も健在。とすれば、R・マドリードの3連覇達成も現実味を帯びてくる。多彩なプレーが続々ピッチに現れる華々しいサッカー。誰かに止めてほしい気持ちが半分、もう少し見たい気持ち半分、なのである。
2017年06月17日
J1昇格候補のはずが低迷する松本山雅。 「あっさり失点病」は治るか
6月11日、松本。日差しは初夏だったが、風が火照る肌を冷やした。
「我慢の試合だった」
試合後、J2水戸ホーリーホックの選手はそう洩らしている。我慢して辛抱して、一発を叩き込んだ。どちらが優位かは明白な一戦だったと言えるだろう。
「内容は悪くなかったが、FK一発でやられた」
一方のJ2松本山雅の三島康平は、抑えたトーンでマイクの砲列に向かってそう言った。勝負の結末はしばしば酷薄だ。
試合の主導権を握った松本だが、結果は0−1と膝を屈した。これでリーグ戦は黒星が先行。順位は15位まで後退した。J1昇格レースは長丁場で、まだ猶予は残されているものの、危険水域に近づいている。
では、水戸戦は何がズレ、結果が逆になったのか?
「今シーズンを象徴するようなゲームだった」
松本の反町康治監督は、絞り出すような声音で語っている。
今シーズン、松本はJ1昇格最有力候補として発進した。
昨シーズンは84ポイントを獲得。例年なら優勝しても不思議ではない勝ち点だったが、3位で昇格を逃した。ただ、サッカーの質は確実に向上。ボールプレーの時間を増やし、幅を使った攻撃は迫力十分だった。
「J1から落ちて、同じことをやっても成長がない。時間をかけて、”ボールが流れるルート”を作ってきた。その成果は(プレーオフでも)出せたと思う」
昨シーズン、プレーオフで敗れた反町監督はそう言ったが、それは強がりでも、言い訳でもなかった。プレー精度は上がっていたのだ。
今シーズンも、その戦いを踏襲した。
水戸戦も、松本はイニシアチブを握っている。工藤浩平がエリア内に侵入して左サイドを破り、波状攻撃を食らわす。石原崇兆が右サイドからピンポイントのクロスを折り返し、高崎寛之がヘディングで合わせた。
前半から能動的に攻め、高さでもアドバンテージを取った。相手陣内のFKでは、ヘディングの強いセンターバック、飯田真輝を前線に上げ、同じく高さのある高崎とツインタワーで脅威を与える。前半36分には、GKが蹴ったロングボールを飯田が競り勝って裏に落とし、そこに走り込んだ高崎がGKと1対1になった。
前半だけで10本のシュートを打ち込む。コーナーキックは6本で、対する水戸は0本。どちらも無得点とはいえ、ほぼワンサイドだった。
「チャンスメイクするところまではできている」と、反町監督は展開を振り返った。
「あとは最後のところのキレ、スピード、力強さ、正確さ。あるいは冷静さというのか。結局は自分たちのリズムのときに点が取れるか。取れるチームが勝ち点を取れるし、それに値する。それはどのチームも同じで、その精度を上げていかないと」
結局、松本はシュートを外し続けたツケを払うことになる。後半に入って70分、水戸のFKからのヘディングを防げなかった。
「失点に関しては、”あっさり失点病”というかね。相手のゴールがスーパーなら諦めもつくが……。あまり与えていないセットプレーで1発だから。粘れるところで粘れなくなっちゃった」
反町監督は俯(うつむ)いたまま言った。あっさり失点病の病根を特定するのは難しい。
メンバー編成的には、GKシュミット・ダニエル、左利きDFの喜山康平を放出した穴はあるだろう。失点シーンを切り取れば、ピッチに立つ選手に単純な甘さもあった。まず自陣でのスローインをあっさり敵に渡している。サイドへ流れた選手に対して不用意に後ろから倒し、FKを与えた。そして福井諒司にマークを外され、前に入られている。細かいミスが連続した、必然的失点だった。
しかし、複合的な要因も考えられる。攻めながら得点を奪えないことで、ディフェンスは慎重さから後手を踏み、焦りから判断を鈍らせる。
「サッカーの怖さは知っている」
松本を率いて6年目になる反町監督は言うが、そこに今シーズンのズレの正体はあるかもしれない。
<ブロックを作って守り、耐えて、1発を仕留める>
かつての松本は、この日の水戸に近いサッカーで勝ち点を稼いでいた。しかし能動的にプレーするようになって、皮肉にもリスクも負うようになった。攻めることで裏を取られやすく、油断も生まれた。
「今日は力負けでも、自滅でもない。一時のダメなときよりは、光が見えた」
反町監督は顔を上げて言った。攻守の仕組みは作り上げた。それによって、選手のプレー精度の質が浮き彫りになる、という矛盾した結果にはなった。しかし松本が本当に強くなるには、そこを突き詰めていくしかないのだ。
「昨シーズンも4,5連勝してから負けなしだったので、今シーズンも連勝を(浮上の)きっかけにしたい」
ミックスゾーンに出てきた宮阪政樹はこう語ったが、選手たちは”よすが”を求めているのだろう。自信を失いつつあることによって生じた迷い。巣くった魔物を退治できるか。頂きを目指す”緑の戦士”たちは、岐路に立たされている。
「我慢の試合だった」
試合後、J2水戸ホーリーホックの選手はそう洩らしている。我慢して辛抱して、一発を叩き込んだ。どちらが優位かは明白な一戦だったと言えるだろう。
「内容は悪くなかったが、FK一発でやられた」
一方のJ2松本山雅の三島康平は、抑えたトーンでマイクの砲列に向かってそう言った。勝負の結末はしばしば酷薄だ。
試合の主導権を握った松本だが、結果は0−1と膝を屈した。これでリーグ戦は黒星が先行。順位は15位まで後退した。J1昇格レースは長丁場で、まだ猶予は残されているものの、危険水域に近づいている。
では、水戸戦は何がズレ、結果が逆になったのか?
「今シーズンを象徴するようなゲームだった」
松本の反町康治監督は、絞り出すような声音で語っている。
今シーズン、松本はJ1昇格最有力候補として発進した。
昨シーズンは84ポイントを獲得。例年なら優勝しても不思議ではない勝ち点だったが、3位で昇格を逃した。ただ、サッカーの質は確実に向上。ボールプレーの時間を増やし、幅を使った攻撃は迫力十分だった。
「J1から落ちて、同じことをやっても成長がない。時間をかけて、”ボールが流れるルート”を作ってきた。その成果は(プレーオフでも)出せたと思う」
昨シーズン、プレーオフで敗れた反町監督はそう言ったが、それは強がりでも、言い訳でもなかった。プレー精度は上がっていたのだ。
今シーズンも、その戦いを踏襲した。
水戸戦も、松本はイニシアチブを握っている。工藤浩平がエリア内に侵入して左サイドを破り、波状攻撃を食らわす。石原崇兆が右サイドからピンポイントのクロスを折り返し、高崎寛之がヘディングで合わせた。
前半から能動的に攻め、高さでもアドバンテージを取った。相手陣内のFKでは、ヘディングの強いセンターバック、飯田真輝を前線に上げ、同じく高さのある高崎とツインタワーで脅威を与える。前半36分には、GKが蹴ったロングボールを飯田が競り勝って裏に落とし、そこに走り込んだ高崎がGKと1対1になった。
前半だけで10本のシュートを打ち込む。コーナーキックは6本で、対する水戸は0本。どちらも無得点とはいえ、ほぼワンサイドだった。
「チャンスメイクするところまではできている」と、反町監督は展開を振り返った。
「あとは最後のところのキレ、スピード、力強さ、正確さ。あるいは冷静さというのか。結局は自分たちのリズムのときに点が取れるか。取れるチームが勝ち点を取れるし、それに値する。それはどのチームも同じで、その精度を上げていかないと」
結局、松本はシュートを外し続けたツケを払うことになる。後半に入って70分、水戸のFKからのヘディングを防げなかった。
「失点に関しては、”あっさり失点病”というかね。相手のゴールがスーパーなら諦めもつくが……。あまり与えていないセットプレーで1発だから。粘れるところで粘れなくなっちゃった」
反町監督は俯(うつむ)いたまま言った。あっさり失点病の病根を特定するのは難しい。
メンバー編成的には、GKシュミット・ダニエル、左利きDFの喜山康平を放出した穴はあるだろう。失点シーンを切り取れば、ピッチに立つ選手に単純な甘さもあった。まず自陣でのスローインをあっさり敵に渡している。サイドへ流れた選手に対して不用意に後ろから倒し、FKを与えた。そして福井諒司にマークを外され、前に入られている。細かいミスが連続した、必然的失点だった。
しかし、複合的な要因も考えられる。攻めながら得点を奪えないことで、ディフェンスは慎重さから後手を踏み、焦りから判断を鈍らせる。
「サッカーの怖さは知っている」
松本を率いて6年目になる反町監督は言うが、そこに今シーズンのズレの正体はあるかもしれない。
<ブロックを作って守り、耐えて、1発を仕留める>
かつての松本は、この日の水戸に近いサッカーで勝ち点を稼いでいた。しかし能動的にプレーするようになって、皮肉にもリスクも負うようになった。攻めることで裏を取られやすく、油断も生まれた。
「今日は力負けでも、自滅でもない。一時のダメなときよりは、光が見えた」
反町監督は顔を上げて言った。攻守の仕組みは作り上げた。それによって、選手のプレー精度の質が浮き彫りになる、という矛盾した結果にはなった。しかし松本が本当に強くなるには、そこを突き詰めていくしかないのだ。
「昨シーズンも4,5連勝してから負けなしだったので、今シーズンも連勝を(浮上の)きっかけにしたい」
ミックスゾーンに出てきた宮阪政樹はこう語ったが、選手たちは”よすが”を求めているのだろう。自信を失いつつあることによって生じた迷い。巣くった魔物を退治できるか。頂きを目指す”緑の戦士”たちは、岐路に立たされている。
2017年06月16日
2017年06月15日
イングランド時代、到来か。U−20W杯に見る世界と日本の勢力図
サッカーにおける世界の勢力図が、また変わるきっかけになるかもしれない。
そんなことを思わずにはいられないほど、イングランドが見せたサッカーは美しく、そして強かった。
韓国で開かれていたU−20W杯は6月11日、水原ワールドカップスタジアムで決勝が行なわれ、ベネズエラを1−0で下したイングランドが初の栄冠を手にした。カテゴリーを問わず、イングランドが世界チャンピオンになるのは、1966年W杯イングランド大会以来、実に51年ぶりのことだ。
U−20イングランド代表のポール・シンプソン監督は、輝く優勝メダルを胸に、誇らしげに語る。
「勝因はシンプル。強いチームだったからだ。いい選手がいいプランに沿って行動し、コーチ陣はもちろん、メディカルなども含めていいスタッフがそれを支え、すべてがまとまってチームとして戦った結果だ」
従来のイングランドというと、無骨なサッカーのイメージが強かった。テクニックよりフィジカル。細かくパスをつなぐよりも、ダイレクトにゴールへ向かう。そんなサッカーである。
現在でこそ、世界中からスター選手が集まるプレミアリーグの影響もあり、そうした印象も薄れてきてはいる。それでも、やはり他のヨーロッパ諸国、特にスペイン、フランス、ドイツあたりと比べれば、繊細さに欠ける大味なサッカーの印象は否めない。
ところが、今回20歳以下のW杯を制したチームは、そんな旧態依然としたイメージとは一線を画す。イングランドのサッカーは明らかに変わっていた。
選手一人ひとりは、フィジカルでもテクニックでも高い能力を兼ね備えている。
大会MVPに選ばれたFWドミニク・ソランケをはじめ、左サイドのアタッカーであるFWアデモラ・ルックマン、キャプテンでボランチのMFルイス・クックなど、名前を挙げ始めたらキリがないほどタレントぞろいで、しかもベストメンバーを固定する必要がないほど選手層は厚かった。
それでいて、個人能力頼みになることなく、チームとしてしっかりとボールを動かしながら、相手の守備を崩していくことができるのだ。
振り返ってみると、グループリーグ初戦のアルゼンチン戦を終え、シンプソン監督が口にしていた言葉が興味深い。
「このチームはフィジカルが強く、ハードワークができる。だが、同じようにテクニックを持っていることも見せたいし、組織的にプレーできるところも見せたい。今日の試合ではそれらは十分ではなかったが、アルゼンチンに対して規律を見せることができた」
実はこの大会初戦、今にして思えば、イングランドの出来はそれほどよくなかった。アルゼンチンに押し込まれ、多くの時間を劣勢のなかで過ごした。効率よくゴールを重ね、3−0で勝利したものの、得点の仕方は従来のイングランドのイメージと大きく変わらないものだった。
しかし、指揮官は試合後、自分たちの武器はこれだけではないと言い切った。事実、その後の試合で、それが単なる強がりではなかったことを証明してみせた。
なかでも圧巻だったのは、イタリアとのヨーロッパ勢対決となった準決勝である。試合は、”ウノゼロ(1−0の勝利)”の美学を持つ試合巧者を相手に、開始わずか2分にして先制を許すという最悪の展開でスタートした。
ところが、イングランドはまったく慌てることがなかった。ボールを保持し続け、丹念にパスをつなぎ、イタリアが敷く鉄壁の守備網に少しずつ綻(ほころ)びを作っていった。
イタリアがイングランドの2ボランチにプレッシャーをかけようと寄せてくれば、2ボランチがサイドバックの位置に落ちてボールを受け、サイドバックを高い位置に押し出すと、イタリアの守備が手薄になった中盤にサイドハーフが落ちてきてタテパスを引き出す。
あるいは、これを警戒して、イタリアがボランチへのプレスを緩めれば、ボランチが楽にボールを受けて前線に配給する。
4−4−1−1の布陣から変幻自在にポジションを変えてボールを動かすイングランドに対し、さしもの試合巧者も誰が誰をどうマークしていいのかがわからなくなり、混乱に陥る。ボールの奪いどころを定められなくなったイタリアは、次第に後退していくしかなかった。その結果が、66分、77分、88分にゴールを重ねての3−1の逆転勝利である。
そこで展開されていたのは、サッカーの母国には失礼ながら、およそイングランドらしからぬ流麗なポゼッションサッカーだった。
U−20イタリア代表のアルベリコ・エヴァーニ監督が、「前半に多くのエネルギーを使ってしまい、後半は動けなくなり、ボールを奪えなくなった」と話していたが、シンプソン監督からすれば、「ボールポゼッションを高め、イタリアの選手を走らせてダメージを与えたことが、ラスト25〜30分に利いた」結果だった。
今大会を見ていて思い出したのは、2009年にスウェーデンで行なわれたU−21ヨーロッパ選手権である。
この大会、GKマヌエル・ノイアー、DFマッツ・フンメルス、DFジェローム・ボアテング、MFメスト・エジル、MFサミ・ケディラらを擁したドイツは、見事にヨーロッパチャンピオンの座に就いた。優勝という結果が称賛に値するのはもちろんだったが、それ以上にインパクトを残したのは、ドイツが展開したサッカーの内容だった。
ドイツもまた、前述したイングランド同様、そのサッカーにはどちらかというとテクニカルなイメージが薄く、フィジカル重視の大味な印象が強かった。
ところが、このチームは違った。ピッチ上の誰もが柔らかなボールコントロールを見せ、パスをつないで攻撃を組み立てることができる。まさにそれは、テクニック重視のポゼッションサッカーだったのだ。
その後、彼らを中心に大きくイメージを変えたドイツのサッカーが、ユーロやW杯でどんな成績を残していったかは言うまでもないだろう。
もちろん、U−21(名称は21歳以下だが、実際の出場資格は23歳以下)とU−20というカテゴリーの違いはある。今大会でのイングランドの成果が、U−21のドイツと同じようにA代表につながるかどうかはわからない。その意味で言えば、現段階でイングランドのサッカーが変わった、とまでは言い切れないのかもしれない。
だが、すでに変わりつつあることは、今大会を見れば明らかだ。シンプソン監督が語る。
「私の口から、彼らが特別な世代だと言うことは難しい。だが、この21名のグループは才能ある選手たちがそろい、素晴らしいサッカーをしたことは間違いない。もちろん、将来のことはどうなるかわからないが、これからが楽しみだ。この優勝がイングランドのサッカーにとってポジティブな要因になることを望んでいる」
大きくスタイルチェンジして成功を収めたドイツのように、イングランドもまた、1966年以来となる本当のW杯を手にする日が、近い将来やってくる。そんなことを想像させるに十分な大会だったのではないだろうか。
最後に、決勝トーナメント1回戦(ベスト16)で敗れた日本についても少し触れておきたい。
グループリーグで日本と同組になったウルグアイ、イタリアがそろってベスト4に進出したことを考えると、日本はかなり厳しいグループに入ったと言っていい。そのなかで3位とはいえ、最大目標であった決勝トーナメント進出を果たしたことは評価に値する。
ただし、過大評価は禁物だ。日本が2−2で引き分けたイタリアが3位に、延長の末に0−1で敗れたベネズエラが準優勝したことで、日本もベスト4進出と紙一重の力があったかのように思いたくなるが、そうした見方はあまりにも短絡的だ。
実際、イタリアが優勝候補と目された(それだけの実力もあった)フランスを2−1で下した決勝トーナメント1回戦は、残念ながら日本戦とはまったく次元の異なる試合だった。強度の高いプレーの連続のなか、相手の長所を消しながらスキを突く。そのレベルの高さは、20歳以下の試合とは思えないほどだった。
ベネズエラにしても、準決勝ではウルグアイを、決勝ではイングランドをジワジワと追いつめていく攻撃に、日本戦では感じなかった迫力があった。最大7試合を戦えるだけの体力的余力があったかという疑問もあり、日本が決勝まで行っていても不思議はなかったと考えるのは、贔屓(ひいき)目が過ぎる。
本気で東京五輪でのメダル獲得を目指すなら、わずか3年間で詰めなければならない差は相当に大きい。そう認識しておくべきである。
そんなことを思わずにはいられないほど、イングランドが見せたサッカーは美しく、そして強かった。
韓国で開かれていたU−20W杯は6月11日、水原ワールドカップスタジアムで決勝が行なわれ、ベネズエラを1−0で下したイングランドが初の栄冠を手にした。カテゴリーを問わず、イングランドが世界チャンピオンになるのは、1966年W杯イングランド大会以来、実に51年ぶりのことだ。
U−20イングランド代表のポール・シンプソン監督は、輝く優勝メダルを胸に、誇らしげに語る。
「勝因はシンプル。強いチームだったからだ。いい選手がいいプランに沿って行動し、コーチ陣はもちろん、メディカルなども含めていいスタッフがそれを支え、すべてがまとまってチームとして戦った結果だ」
従来のイングランドというと、無骨なサッカーのイメージが強かった。テクニックよりフィジカル。細かくパスをつなぐよりも、ダイレクトにゴールへ向かう。そんなサッカーである。
現在でこそ、世界中からスター選手が集まるプレミアリーグの影響もあり、そうした印象も薄れてきてはいる。それでも、やはり他のヨーロッパ諸国、特にスペイン、フランス、ドイツあたりと比べれば、繊細さに欠ける大味なサッカーの印象は否めない。
ところが、今回20歳以下のW杯を制したチームは、そんな旧態依然としたイメージとは一線を画す。イングランドのサッカーは明らかに変わっていた。
選手一人ひとりは、フィジカルでもテクニックでも高い能力を兼ね備えている。
大会MVPに選ばれたFWドミニク・ソランケをはじめ、左サイドのアタッカーであるFWアデモラ・ルックマン、キャプテンでボランチのMFルイス・クックなど、名前を挙げ始めたらキリがないほどタレントぞろいで、しかもベストメンバーを固定する必要がないほど選手層は厚かった。
それでいて、個人能力頼みになることなく、チームとしてしっかりとボールを動かしながら、相手の守備を崩していくことができるのだ。
振り返ってみると、グループリーグ初戦のアルゼンチン戦を終え、シンプソン監督が口にしていた言葉が興味深い。
「このチームはフィジカルが強く、ハードワークができる。だが、同じようにテクニックを持っていることも見せたいし、組織的にプレーできるところも見せたい。今日の試合ではそれらは十分ではなかったが、アルゼンチンに対して規律を見せることができた」
実はこの大会初戦、今にして思えば、イングランドの出来はそれほどよくなかった。アルゼンチンに押し込まれ、多くの時間を劣勢のなかで過ごした。効率よくゴールを重ね、3−0で勝利したものの、得点の仕方は従来のイングランドのイメージと大きく変わらないものだった。
しかし、指揮官は試合後、自分たちの武器はこれだけではないと言い切った。事実、その後の試合で、それが単なる強がりではなかったことを証明してみせた。
なかでも圧巻だったのは、イタリアとのヨーロッパ勢対決となった準決勝である。試合は、”ウノゼロ(1−0の勝利)”の美学を持つ試合巧者を相手に、開始わずか2分にして先制を許すという最悪の展開でスタートした。
ところが、イングランドはまったく慌てることがなかった。ボールを保持し続け、丹念にパスをつなぎ、イタリアが敷く鉄壁の守備網に少しずつ綻(ほころ)びを作っていった。
イタリアがイングランドの2ボランチにプレッシャーをかけようと寄せてくれば、2ボランチがサイドバックの位置に落ちてボールを受け、サイドバックを高い位置に押し出すと、イタリアの守備が手薄になった中盤にサイドハーフが落ちてきてタテパスを引き出す。
あるいは、これを警戒して、イタリアがボランチへのプレスを緩めれば、ボランチが楽にボールを受けて前線に配給する。
4−4−1−1の布陣から変幻自在にポジションを変えてボールを動かすイングランドに対し、さしもの試合巧者も誰が誰をどうマークしていいのかがわからなくなり、混乱に陥る。ボールの奪いどころを定められなくなったイタリアは、次第に後退していくしかなかった。その結果が、66分、77分、88分にゴールを重ねての3−1の逆転勝利である。
そこで展開されていたのは、サッカーの母国には失礼ながら、およそイングランドらしからぬ流麗なポゼッションサッカーだった。
U−20イタリア代表のアルベリコ・エヴァーニ監督が、「前半に多くのエネルギーを使ってしまい、後半は動けなくなり、ボールを奪えなくなった」と話していたが、シンプソン監督からすれば、「ボールポゼッションを高め、イタリアの選手を走らせてダメージを与えたことが、ラスト25〜30分に利いた」結果だった。
今大会を見ていて思い出したのは、2009年にスウェーデンで行なわれたU−21ヨーロッパ選手権である。
この大会、GKマヌエル・ノイアー、DFマッツ・フンメルス、DFジェローム・ボアテング、MFメスト・エジル、MFサミ・ケディラらを擁したドイツは、見事にヨーロッパチャンピオンの座に就いた。優勝という結果が称賛に値するのはもちろんだったが、それ以上にインパクトを残したのは、ドイツが展開したサッカーの内容だった。
ドイツもまた、前述したイングランド同様、そのサッカーにはどちらかというとテクニカルなイメージが薄く、フィジカル重視の大味な印象が強かった。
ところが、このチームは違った。ピッチ上の誰もが柔らかなボールコントロールを見せ、パスをつないで攻撃を組み立てることができる。まさにそれは、テクニック重視のポゼッションサッカーだったのだ。
その後、彼らを中心に大きくイメージを変えたドイツのサッカーが、ユーロやW杯でどんな成績を残していったかは言うまでもないだろう。
もちろん、U−21(名称は21歳以下だが、実際の出場資格は23歳以下)とU−20というカテゴリーの違いはある。今大会でのイングランドの成果が、U−21のドイツと同じようにA代表につながるかどうかはわからない。その意味で言えば、現段階でイングランドのサッカーが変わった、とまでは言い切れないのかもしれない。
だが、すでに変わりつつあることは、今大会を見れば明らかだ。シンプソン監督が語る。
「私の口から、彼らが特別な世代だと言うことは難しい。だが、この21名のグループは才能ある選手たちがそろい、素晴らしいサッカーをしたことは間違いない。もちろん、将来のことはどうなるかわからないが、これからが楽しみだ。この優勝がイングランドのサッカーにとってポジティブな要因になることを望んでいる」
大きくスタイルチェンジして成功を収めたドイツのように、イングランドもまた、1966年以来となる本当のW杯を手にする日が、近い将来やってくる。そんなことを想像させるに十分な大会だったのではないだろうか。
最後に、決勝トーナメント1回戦(ベスト16)で敗れた日本についても少し触れておきたい。
グループリーグで日本と同組になったウルグアイ、イタリアがそろってベスト4に進出したことを考えると、日本はかなり厳しいグループに入ったと言っていい。そのなかで3位とはいえ、最大目標であった決勝トーナメント進出を果たしたことは評価に値する。
ただし、過大評価は禁物だ。日本が2−2で引き分けたイタリアが3位に、延長の末に0−1で敗れたベネズエラが準優勝したことで、日本もベスト4進出と紙一重の力があったかのように思いたくなるが、そうした見方はあまりにも短絡的だ。
実際、イタリアが優勝候補と目された(それだけの実力もあった)フランスを2−1で下した決勝トーナメント1回戦は、残念ながら日本戦とはまったく次元の異なる試合だった。強度の高いプレーの連続のなか、相手の長所を消しながらスキを突く。そのレベルの高さは、20歳以下の試合とは思えないほどだった。
ベネズエラにしても、準決勝ではウルグアイを、決勝ではイングランドをジワジワと追いつめていく攻撃に、日本戦では感じなかった迫力があった。最大7試合を戦えるだけの体力的余力があったかという疑問もあり、日本が決勝まで行っていても不思議はなかったと考えるのは、贔屓(ひいき)目が過ぎる。
本気で東京五輪でのメダル獲得を目指すなら、わずか3年間で詰めなければならない差は相当に大きい。そう認識しておくべきである。