宇和島城が海に面していた事はご存じだろうか。
「宇和島御城下絵図」(宇和島伊達文化保存会蔵)。
注目すべきは城山の周辺である。
城の外形は不等辺五角形で、北西の二辺が海に面しており、堀には海水が流れ込んでいる。
現在は陸地に囲まれている宇和島城は、海城の要素があったのである。
現在の地図と見比べると、道の駅(きさいや広場)や市役所の場所も海だった事が分かる。
その後、新田開発等により城山周辺が徐々に埋め立てられ、現在の宇和島が形成された。
江戸時代までに建てられ、現在まで保全されている現存天守は国内に12城しかなく、四国には丸亀城・高知城・松山城・宇和島城の4城が存在する。
今も残っている建物は天守だけではない。
天守の右下に位置する山麓の門を「上り立ち門」と言い、武家の正門とされる「薬医門」に分類される。
伊達博物館学芸員・渡辺佑輝
愛媛新聞 城 X 宇和島から
海岸近くの城は海に面していたものが多い。
海に面していなくても、川を通じて海に出れる城も多い。
万が一の時は逃げ延びれる様にしていたと思われる。
絵図や屏風は、過去と現在を連動させて楽しむ事もできるらしい。
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