2019年05月10日
韓国人が日本の天皇をなんと呼ぼうと〜〜〜、もはや遅い
朴正熙(パク・チョンヒ)と金鍾泌(キム・ジョンピル)、そして
金大中(キム・デジュン)は日本を知っていた。
当たり前だ、三人とも日本統治下で育ったのだから、むかし、
英国の女流旅行作家イザベラ・バード女史が朝鮮人が朝鮮人を
教育していては何時までたっても改革されないと。
今は朝鮮人が根拠無きプライドで自国内でも通用しない教育をしてる。
今回文大統領も首相も天皇とよんだらしいが、それがどうした。
長々と持論を書き連ねてるが関係改善はまず約束を守ることだ
【コラム】「天皇陛下、皇太子ご夫妻は美しいカップル」(1)
2019年05月09日07時04分 [中央日報/中央日報日本語版]
韓日関係は険悪だ。
断交論まで出ている。
日本の「令和」時代が開幕した。関係回復の機会だ。
それをひっつかんで実践することは大変だ。歴史の記憶に頼る境遇だ。
その中で復元の糸口を探さなければならない。
21年前(1998年10月)の場面だ。
「天皇陛下、皇太子ご夫妻は見ているだけでも美しいカップルです」−−「天皇」は明仁、皇太子は徳仁だ。
形式は外交修辞。構成は極尊称だ。言葉の主人公はその時期、金大中
(キム・デジュン)大統領だ。
発言者が他の人ならどうだっただろうか。今、
「文在寅(ムン・ジェイン)政府の人々」の基準では間違いない。
土着倭寇、親日派のおべっかだ。激しい糾弾があふれただろう。
言葉のバックグラウンドはこうだ。
「日本訪問初日、宮城夕食会で私は天皇に挨拶を伝えた」
(『金大中自叙伝』)。
彼は天皇と日王の違いを考察した。
「外交が相手をよく見ることなら、相手の国民が願うように呼ぶのが
当然だ…
我々が言い換えて呼称し、相手を刺激する必要はない」。
明仁天皇の夕食会の挨拶は百済時代の両国交流で始まった。
植民支配に対する謝罪性の発言が続いた。
金大中のアプローチは「天皇と総理大臣」の分離だ。
それは深謀遠慮だ。回顧録は続く。
「日本国民が天皇を尊敬しているため敏感な過去の問題はしないほうがよさそうだった。
天皇の前での攻撃的言葉は日本国民に侮辱感を与える可能性もあった。…次の日、小渕恵三首相との首脳会談で私は過去の問題を取り上げた」
金大中−小渕会談は決定的な進展を成し遂げる。
「21世紀韓日パートナーシップ共同宣言」だ。小渕の歴史への
言及は明確だった。
「(植民支配に)痛切な反省と心からの謝罪をした」。
決算は大衆文化交流だ。その時の大多数市民団体は反発した。
「倭色文化が氾濫する」。それは韓国人の力量を無視した偏狭さだ。
若者世代は韓流を生産した。両国文化地位は逆転した。
「天皇と首相の分離」は苦悩と知恵の産物だ。
今年は安重根(アン・ジュングン)義挙100周年。
それは伊藤博文に対する撃殺だ。
安重根は尋問過程で伊藤の罪状15個を羅列した。
13番目は興味深い。「現在、韓国と日本の間に競争が休みなく、
殺戮が後を絶たないが、太平無事のように偽りで天皇を欺いている
(上欺 天皇之罪)」。
【コラム】「天皇陛下、皇太子ご夫妻は美しいカップル」(2)
伊藤は帝国日本の最高元老だ。彼に対する明治天皇の信任は厚かった。安重根はそのような間に分け入る。
水原(スウォン)大学のパク・ファン教授はこう評価する。
「日本指導層全体を敵に回さず分散させる戦略的知恵だ」。
安重根は「絶対君主 明治の地位」を把握した。彼の法廷闘争は
日本知識層からの注目を浴びる。
そこには知彼知己の激しさが入っていた。日本と中国、韓国の立場に
対する探求だ。結果が安重根の『東洋平和論』だ。
「日本を知る」という克日の推進力だ。知日が不足すれば
悲憤慷慨だけに依存する。
1960〜70年代、朴正熙(パク・チョンヒ)と金鍾泌(キム・ジョンピル)、そして金大中(キム・デジュン)は日本を知っていた。
その土台で堂々さを備えた用日に進んだ。
その後の国家リーダーシップはそのような戦略的観点に未熟だった。
李明博(イ・ミョンバク)政権時期だ。彼の独島
(トクト、日本名・竹島)訪問があった。
天皇の訪韓に対する彼の言及もあった。謝罪を条件に
掲げたようだった。
日本社会全体がその発言に反発した。
朴槿恵(パク・クネ)外交は慰安婦問題に集中した。終盤の作品が
「韓日慰安婦合意」だ。だが、歴史は協定で終わることはできない。
記憶は再生産される。
生前に金鍾泌は「合意」を批判した。
「対日請求権の資金で屈指のポスコが生まれた。ポスコが率先して
(慰安婦おばあさんのための)募金をするべきだ。
なぜ日本に手を広げるのか」。その観点は有効だ。
強制徴用者の補償問題の解決法に適用する価値はある。
その時期、安倍の歴史逆走が本格化した。
軍事大国化と憲法改正側に走って行った。明仁天皇は違った。
天皇は「象徴」的存在だ。だが「お言葉」の権威は圧倒的だ。
彼は過去の侵略戦争に反省の考えを示した。その言葉は充分でない。だが、価値は明らかだ。彼のイメージは
平和憲法の擁護だ。彼の百済の歴史への愛着は鮮明だ。
「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に
記されている」。
明仁天皇は安倍首相と分かれていた。だが、
韓国外交はそのような間隔に着眼できなかった。外交は人間関係の
合算だ。
知韓派で安倍を逆包囲するには十分だった。彼の平成時代は終了した。だが、上皇として彼の存在感は相変わらずだ。
「文在寅外交」の優先順位は南北問題だ。4強外交は未熟で
めちゃくちゃだ。韓日米3角共助がもつれ合っている。
韓米同盟も揺れている。これにより困惑した風景が広がる。中国は韓国を無視する。
北朝鮮は文在寅政府を踏み潰す。韓日関係の再構成が急がれる。
リーダーシップの勇気と判断力が必要だ。
その力量は温故知新で練磨される。歴史の想像力が切実だ。
パク・ポギュン/中央日報論説委員・コラムニスト
金大中(キム・デジュン)は日本を知っていた。
当たり前だ、三人とも日本統治下で育ったのだから、むかし、
英国の女流旅行作家イザベラ・バード女史が朝鮮人が朝鮮人を
教育していては何時までたっても改革されないと。
今は朝鮮人が根拠無きプライドで自国内でも通用しない教育をしてる。
今回文大統領も首相も天皇とよんだらしいが、それがどうした。
長々と持論を書き連ねてるが関係改善はまず約束を守ることだ
【コラム】「天皇陛下、皇太子ご夫妻は美しいカップル」(1)
2019年05月09日07時04分 [中央日報/中央日報日本語版]
韓日関係は険悪だ。
断交論まで出ている。
日本の「令和」時代が開幕した。関係回復の機会だ。
それをひっつかんで実践することは大変だ。歴史の記憶に頼る境遇だ。
その中で復元の糸口を探さなければならない。
21年前(1998年10月)の場面だ。
「天皇陛下、皇太子ご夫妻は見ているだけでも美しいカップルです」−−「天皇」は明仁、皇太子は徳仁だ。
形式は外交修辞。構成は極尊称だ。言葉の主人公はその時期、金大中
(キム・デジュン)大統領だ。
発言者が他の人ならどうだっただろうか。今、
「文在寅(ムン・ジェイン)政府の人々」の基準では間違いない。
土着倭寇、親日派のおべっかだ。激しい糾弾があふれただろう。
言葉のバックグラウンドはこうだ。
「日本訪問初日、宮城夕食会で私は天皇に挨拶を伝えた」
(『金大中自叙伝』)。
彼は天皇と日王の違いを考察した。
「外交が相手をよく見ることなら、相手の国民が願うように呼ぶのが
当然だ…
我々が言い換えて呼称し、相手を刺激する必要はない」。
明仁天皇の夕食会の挨拶は百済時代の両国交流で始まった。
植民支配に対する謝罪性の発言が続いた。
金大中のアプローチは「天皇と総理大臣」の分離だ。
それは深謀遠慮だ。回顧録は続く。
「日本国民が天皇を尊敬しているため敏感な過去の問題はしないほうがよさそうだった。
天皇の前での攻撃的言葉は日本国民に侮辱感を与える可能性もあった。…次の日、小渕恵三首相との首脳会談で私は過去の問題を取り上げた」
金大中−小渕会談は決定的な進展を成し遂げる。
「21世紀韓日パートナーシップ共同宣言」だ。小渕の歴史への
言及は明確だった。
「(植民支配に)痛切な反省と心からの謝罪をした」。
決算は大衆文化交流だ。その時の大多数市民団体は反発した。
「倭色文化が氾濫する」。それは韓国人の力量を無視した偏狭さだ。
若者世代は韓流を生産した。両国文化地位は逆転した。
「天皇と首相の分離」は苦悩と知恵の産物だ。
今年は安重根(アン・ジュングン)義挙100周年。
それは伊藤博文に対する撃殺だ。
安重根は尋問過程で伊藤の罪状15個を羅列した。
13番目は興味深い。「現在、韓国と日本の間に競争が休みなく、
殺戮が後を絶たないが、太平無事のように偽りで天皇を欺いている
(上欺 天皇之罪)」。
【コラム】「天皇陛下、皇太子ご夫妻は美しいカップル」(2)
伊藤は帝国日本の最高元老だ。彼に対する明治天皇の信任は厚かった。安重根はそのような間に分け入る。
水原(スウォン)大学のパク・ファン教授はこう評価する。
「日本指導層全体を敵に回さず分散させる戦略的知恵だ」。
安重根は「絶対君主 明治の地位」を把握した。彼の法廷闘争は
日本知識層からの注目を浴びる。
そこには知彼知己の激しさが入っていた。日本と中国、韓国の立場に
対する探求だ。結果が安重根の『東洋平和論』だ。
「日本を知る」という克日の推進力だ。知日が不足すれば
悲憤慷慨だけに依存する。
1960〜70年代、朴正熙(パク・チョンヒ)と金鍾泌(キム・ジョンピル)、そして金大中(キム・デジュン)は日本を知っていた。
その土台で堂々さを備えた用日に進んだ。
その後の国家リーダーシップはそのような戦略的観点に未熟だった。
李明博(イ・ミョンバク)政権時期だ。彼の独島
(トクト、日本名・竹島)訪問があった。
天皇の訪韓に対する彼の言及もあった。謝罪を条件に
掲げたようだった。
日本社会全体がその発言に反発した。
朴槿恵(パク・クネ)外交は慰安婦問題に集中した。終盤の作品が
「韓日慰安婦合意」だ。だが、歴史は協定で終わることはできない。
記憶は再生産される。
生前に金鍾泌は「合意」を批判した。
「対日請求権の資金で屈指のポスコが生まれた。ポスコが率先して
(慰安婦おばあさんのための)募金をするべきだ。
なぜ日本に手を広げるのか」。その観点は有効だ。
強制徴用者の補償問題の解決法に適用する価値はある。
その時期、安倍の歴史逆走が本格化した。
軍事大国化と憲法改正側に走って行った。明仁天皇は違った。
天皇は「象徴」的存在だ。だが「お言葉」の権威は圧倒的だ。
彼は過去の侵略戦争に反省の考えを示した。その言葉は充分でない。だが、価値は明らかだ。彼のイメージは
平和憲法の擁護だ。彼の百済の歴史への愛着は鮮明だ。
「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に
記されている」。
明仁天皇は安倍首相と分かれていた。だが、
韓国外交はそのような間隔に着眼できなかった。外交は人間関係の
合算だ。
知韓派で安倍を逆包囲するには十分だった。彼の平成時代は終了した。だが、上皇として彼の存在感は相変わらずだ。
「文在寅外交」の優先順位は南北問題だ。4強外交は未熟で
めちゃくちゃだ。韓日米3角共助がもつれ合っている。
韓米同盟も揺れている。これにより困惑した風景が広がる。中国は韓国を無視する。
北朝鮮は文在寅政府を踏み潰す。韓日関係の再構成が急がれる。
リーダーシップの勇気と判断力が必要だ。
その力量は温故知新で練磨される。歴史の想像力が切実だ。
パク・ポギュン/中央日報論説委員・コラムニスト
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