2016年07月23日
開けられたバンドラの箱、韓国民族資質の見本
もう明けてしまったものはしょうがないわな、然し、これは韓国・朝鮮人の
民族資質のいい事例だな・・・
デマ、噂に弱く、直情に走りやすい、しかもいつまでも根にもつ・・
この29年ぶり開けられた投票箱も想像、予想したとうり結果だが・・・
反対派の言い分が韓国・朝鮮人の資質のすべて、これが投票箱や、TAHHDや
日本に変わるだけの事〜〜〜〜
29年ぶりに開封された不在者投票箱、得票率は盧泰愚氏72%
1987年12月16日午前11時、韓国で第13代大統領選挙の投票が行われていた
ソウル・九老区庁(選挙区・九老乙)の投票所。区庁をまさに出発しようと
していた1台のトラックの前に、市民たちが押し寄せた。
トラックにパンや菓子の箱に混じって不在者投票箱(郵便投票箱)が
積まれているのが見つかったためだ。市民たちは
「投票箱だ」「不正選挙だ」といきり立った。いわゆる
「九老区庁事件」はこうして始まった。
九老区の選挙管理委員会が投票締め切り(午後6時)前に投票箱を
運び出そうとし、これを不審に思った市民たちが区庁を占拠して
立てこもる事件に発展した。
当時は投票箱を投票締め切り後に運ぶという規定がなかった。
憤った1000人余りの市民たちは「不正選挙の真相究明」を叫んで区庁を
占拠し、これが伝わると数千人(延べ2万人と推定)の市民たちが
占拠デモに加わった。
市民らは「(盧泰愚〈ノ・テウ〉氏らを中心とする)新軍部が投票箱を
組織的にすり替えようとしていた」
「虚偽投票した票が混ざった投票箱だ」などと訴え、不正選挙の証拠だと
主張した。
政府は18日午前6時ごろ、4000人余りの警官を投入して立てこもりを
解散させた。立てこもっていた人のうち1034人が連行され、208人が
選挙法違反、暴力行為などの処罰に関する法律違反、放火などの容疑で
逮捕された。ある人は区庁の屋上から飛び降り、下半身がまひするけがを
負った。
投票箱を取り戻した選管委は、すでに開票が終わっており、当選した与党の
盧泰愚氏と次点の金泳三(キム・ヨンサム)氏の得票数に約194万票の開きがあったことから、九老乙の不在者投票箱に入った
4325票(当時の選管委の推計)は当落に影響を及ぼさないとみて、封印を
決定した。
立てこもりに加わった人の一部は、金大中(キム・デジュン)政権に
なってから民主化運動の有効者とされた。
民主化運動の象徴のようになっていた、その封印された投票箱が、29年を経て今月21日に開封された。
韓国政治学会の提案を受けた中央選管委が、来年で87年の民主化運動から
30年になるのを前に、不正選挙疑惑を解消する意味で開封を決めた。
中央選管委と韓国政治学会の関係者がソウル市鍾路区の選挙研修院で
投票箱を開けたところ、投票用紙の総数は当時の選管委が集計していた
不在者投票4325票と一致した。投票所で虚偽投票をした用紙を混ぜたという
主張は正しくなかったことが、ほぼ明らかになった。
結果は盧泰愚氏が約72%の3133票、
金大中氏が575票、
金泳三氏が404票、
金鍾泌(キム・ジョンピル)氏が130票と集計された。
「野党候補の票が多い投票箱を隠そうとした」という一部の主張も、
正しくなかったことになる。選管委は当時から、不正投票の疑惑に対し
「問題はない」と否定し続けてきた。
87年の大統領選の際には投票が締め切られる午後6時以降に投票箱を
運ぶという決まりがなく、また不在者投票箱はすでに投票の終わった箱の
ため開票所に移しても問題はなかったとの説明だ。
だが、不正投票を主張する側は今なお「疑惑は晴れていない」と
訴え続けている。
選管委が投票箱をパンの箱などと一緒にトラックに載せたことは納得し難く、また投票そのものに手を加えた可能性は残っているとし、その証拠として
今回公表された不在者投票の結果が盧泰愚氏に有利に出たことを挙げた。
当時、ソウルでは野党候補の支持率が与党を上回っている状況だった。
不正投票を主張する人の中には「象徴として残されていた投票箱を
開封してしまえば九老区庁事件の意味が薄れる」として、選管委による
今回の投票箱開封に反対する人もいた。
朴国熙(パク・ククヒ)記者 , ヤン・スンシク記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
民族資質のいい事例だな・・・
デマ、噂に弱く、直情に走りやすい、しかもいつまでも根にもつ・・
この29年ぶり開けられた投票箱も想像、予想したとうり結果だが・・・
反対派の言い分が韓国・朝鮮人の資質のすべて、これが投票箱や、TAHHDや
日本に変わるだけの事〜〜〜〜
29年ぶりに開封された不在者投票箱、得票率は盧泰愚氏72%
1987年12月16日午前11時、韓国で第13代大統領選挙の投票が行われていた
ソウル・九老区庁(選挙区・九老乙)の投票所。区庁をまさに出発しようと
していた1台のトラックの前に、市民たちが押し寄せた。
トラックにパンや菓子の箱に混じって不在者投票箱(郵便投票箱)が
積まれているのが見つかったためだ。市民たちは
「投票箱だ」「不正選挙だ」といきり立った。いわゆる
「九老区庁事件」はこうして始まった。
九老区の選挙管理委員会が投票締め切り(午後6時)前に投票箱を
運び出そうとし、これを不審に思った市民たちが区庁を占拠して
立てこもる事件に発展した。
当時は投票箱を投票締め切り後に運ぶという規定がなかった。
憤った1000人余りの市民たちは「不正選挙の真相究明」を叫んで区庁を
占拠し、これが伝わると数千人(延べ2万人と推定)の市民たちが
占拠デモに加わった。
市民らは「(盧泰愚〈ノ・テウ〉氏らを中心とする)新軍部が投票箱を
組織的にすり替えようとしていた」
「虚偽投票した票が混ざった投票箱だ」などと訴え、不正選挙の証拠だと
主張した。
政府は18日午前6時ごろ、4000人余りの警官を投入して立てこもりを
解散させた。立てこもっていた人のうち1034人が連行され、208人が
選挙法違反、暴力行為などの処罰に関する法律違反、放火などの容疑で
逮捕された。ある人は区庁の屋上から飛び降り、下半身がまひするけがを
負った。
投票箱を取り戻した選管委は、すでに開票が終わっており、当選した与党の
盧泰愚氏と次点の金泳三(キム・ヨンサム)氏の得票数に約194万票の開きがあったことから、九老乙の不在者投票箱に入った
4325票(当時の選管委の推計)は当落に影響を及ぼさないとみて、封印を
決定した。
立てこもりに加わった人の一部は、金大中(キム・デジュン)政権に
なってから民主化運動の有効者とされた。
民主化運動の象徴のようになっていた、その封印された投票箱が、29年を経て今月21日に開封された。
韓国政治学会の提案を受けた中央選管委が、来年で87年の民主化運動から
30年になるのを前に、不正選挙疑惑を解消する意味で開封を決めた。
中央選管委と韓国政治学会の関係者がソウル市鍾路区の選挙研修院で
投票箱を開けたところ、投票用紙の総数は当時の選管委が集計していた
不在者投票4325票と一致した。投票所で虚偽投票をした用紙を混ぜたという
主張は正しくなかったことが、ほぼ明らかになった。
結果は盧泰愚氏が約72%の3133票、
金大中氏が575票、
金泳三氏が404票、
金鍾泌(キム・ジョンピル)氏が130票と集計された。
「野党候補の票が多い投票箱を隠そうとした」という一部の主張も、
正しくなかったことになる。選管委は当時から、不正投票の疑惑に対し
「問題はない」と否定し続けてきた。
87年の大統領選の際には投票が締め切られる午後6時以降に投票箱を
運ぶという決まりがなく、また不在者投票箱はすでに投票の終わった箱の
ため開票所に移しても問題はなかったとの説明だ。
だが、不正投票を主張する側は今なお「疑惑は晴れていない」と
訴え続けている。
選管委が投票箱をパンの箱などと一緒にトラックに載せたことは納得し難く、また投票そのものに手を加えた可能性は残っているとし、その証拠として
今回公表された不在者投票の結果が盧泰愚氏に有利に出たことを挙げた。
当時、ソウルでは野党候補の支持率が与党を上回っている状況だった。
不正投票を主張する人の中には「象徴として残されていた投票箱を
開封してしまえば九老区庁事件の意味が薄れる」として、選管委による
今回の投票箱開封に反対する人もいた。
朴国熙(パク・ククヒ)記者 , ヤン・スンシク記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
タグ:韓国
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