2016年05月22日
日本・万年筆、中華・鋼筆、韓国・万年筆・日本語そのまま〜〜今日の歴史
その昔、確か「菊池寛」だと思うが、小説「恩讐のかなたへ」を呼んだ事があり
この、青の洞門は創作の世界だと思っていた、それが地元の豊後・大分の
耶馬渓に実在すると知り驚いた記憶が・・・
日本の海軍戦闘機「ゼロ戦」はあまりにも有名だが、この陸軍戦闘機「隼」も
名機だ
加藤隼戦闘機隊は映画にもなり、歌まで存在する・・・
日本は「万年筆」、中華は「鋼筆」ですか・・?、韓国では、
「万年筆(マンニョンピル)」、日本語そのままですか〜〜〜〜
なにしろ、韓国は集団忘却社会ですから〜〜〜〜wara wara
1763年(宝暦13年4月10日) - 耶馬渓に、禅海が30年以上かけて手掘りした
青の洞門が開通。
1942年大日本帝国陸軍の航空隊中佐、陸軍飛行第64戦隊長である
加藤建夫がアキャブ基地に飛来したブリストル ブレニムを
一式戦闘機5機で迎撃に当たる最中で戦死。
今日の歴史(5月22日)
2016/05/22 00:00文字拡大 文字縮小 印刷 twitter facebook
1882年:朝鮮が米国と修好通商条約締結
1907年:李完用(イ・ワンヨン)内閣が成立
1954年:ジュネーブ政治会議で韓国代表の
卞栄泰(ピョン・ヨンテ)外務部長官が
14の朝鮮半島統一案を提示
1963年:オーストリアと国交樹立
1984年:ソウル地下鉄2号線が開通
2004年:パク・チャヌク監督の「オールド・ボーイ」が
カンヌ国際映画祭で審査員特別グランプリ
2007年:南北で軽工業・地下資源合意書が発効
2008年:李明博(イ・ミョンバク)大統領が米国産牛肉輸入問題に関し
国民向け謝罪
相次いで世を去る日本に世話になった韓国の創業者たち
【外信コラム】
万年筆のことを英語ではファウンテン・ペンという。直訳すると
「泉のペン」である。「インクが泉のようにわき出るペン」というのが名前の
由来だ。
モノの本によると、現在の形となったのは1883年で、その翌年には日本に
輸入され、その後間もなくして国内で初めて製造された。
その際に「万年筆」と日本語に訳されたわけだが、この命名も絶妙である。
ちなみに同じく元は毛筆だけだった中国では何といっているかというと
「鋼筆」である。この翻訳は即物的で味わいがない。
日本の影響を強く受けた韓国は「万年筆(マンニョンピル)」だが、韓国での
国産は1962年からという。
91歳になるその創業者が今週、亡くなったというニュースに接して知った。
ところが創業者は「韓国パイロット万年筆」の高洪明(コホンミョン)会長で、
日本の老舗メーカー「パイロット」の協力を得ていたのだ。
昨年以来、日本にお世話になって即席ラーメンや化学調味料を初めて生産した
韓国の創業者が相次いで世を去っている。
こうして日本との深い関係や日本の協力を知る人たちが消えていく。今回、
韓国の新聞は「パイロット」が日本の銘柄であることを伝えていない。そして
「マンニョンピル」の由来も当然、誰も知らない。
(黒田勝弘)
この、青の洞門は創作の世界だと思っていた、それが地元の豊後・大分の
耶馬渓に実在すると知り驚いた記憶が・・・
日本の海軍戦闘機「ゼロ戦」はあまりにも有名だが、この陸軍戦闘機「隼」も
名機だ
加藤隼戦闘機隊は映画にもなり、歌まで存在する・・・
日本は「万年筆」、中華は「鋼筆」ですか・・?、韓国では、
「万年筆(マンニョンピル)」、日本語そのままですか〜〜〜〜
なにしろ、韓国は集団忘却社会ですから〜〜〜〜wara wara
1763年(宝暦13年4月10日) - 耶馬渓に、禅海が30年以上かけて手掘りした
青の洞門が開通。
1942年大日本帝国陸軍の航空隊中佐、陸軍飛行第64戦隊長である
加藤建夫がアキャブ基地に飛来したブリストル ブレニムを
一式戦闘機5機で迎撃に当たる最中で戦死。
今日の歴史(5月22日)
2016/05/22 00:00文字拡大 文字縮小 印刷 twitter facebook
1882年:朝鮮が米国と修好通商条約締結
1907年:李完用(イ・ワンヨン)内閣が成立
1954年:ジュネーブ政治会議で韓国代表の
卞栄泰(ピョン・ヨンテ)外務部長官が
14の朝鮮半島統一案を提示
1963年:オーストリアと国交樹立
1984年:ソウル地下鉄2号線が開通
2004年:パク・チャヌク監督の「オールド・ボーイ」が
カンヌ国際映画祭で審査員特別グランプリ
2007年:南北で軽工業・地下資源合意書が発効
2008年:李明博(イ・ミョンバク)大統領が米国産牛肉輸入問題に関し
国民向け謝罪
相次いで世を去る日本に世話になった韓国の創業者たち
【外信コラム】
万年筆のことを英語ではファウンテン・ペンという。直訳すると
「泉のペン」である。「インクが泉のようにわき出るペン」というのが名前の
由来だ。
モノの本によると、現在の形となったのは1883年で、その翌年には日本に
輸入され、その後間もなくして国内で初めて製造された。
その際に「万年筆」と日本語に訳されたわけだが、この命名も絶妙である。
ちなみに同じく元は毛筆だけだった中国では何といっているかというと
「鋼筆」である。この翻訳は即物的で味わいがない。
日本の影響を強く受けた韓国は「万年筆(マンニョンピル)」だが、韓国での
国産は1962年からという。
91歳になるその創業者が今週、亡くなったというニュースに接して知った。
ところが創業者は「韓国パイロット万年筆」の高洪明(コホンミョン)会長で、
日本の老舗メーカー「パイロット」の協力を得ていたのだ。
昨年以来、日本にお世話になって即席ラーメンや化学調味料を初めて生産した
韓国の創業者が相次いで世を去っている。
こうして日本との深い関係や日本の協力を知る人たちが消えていく。今回、
韓国の新聞は「パイロット」が日本の銘柄であることを伝えていない。そして
「マンニョンピル」の由来も当然、誰も知らない。
(黒田勝弘)
タグ:韓国
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