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2016年04月21日

日本統治下のソウル、経常支出の半分はふん尿処理費だった

京城府とは日本の総督府の事かな、1910年代は日本は日本国内の血税を
使い、朝鮮半島の衛生化に努めた。・・・・・・・・・
この記事、朝鮮人が衛生化に努めた、風にかんちがいしているのでは・・
それまでの半島は牛馬はおろか、豚から人糞までも其処らへんに、
垂れ流しの、まきちらしの糞の世界だ、それはイザベラ・バード女史の
「朝鮮紀行」で証明されているわ〜〜な!!・・・・・・・


日本統治下のソウル、経常支出の半分はふん尿処理費だった

2016年のソウル市の財政で最も額が大きいものは何か。答えは、
予算全体の34.7%、8兆3893億ウォン(約8065億円)に達する福祉費だ。

 ならば、時計を戻して、植民地時代の1910年代ではどうだろうか。

ソウル歴史編さん院が『ソウルと歴史』第93号に収録した研究論文を見ると、このような答えが載っている。

当時、京城府(現在のソウル市)の最大の業務は「ふん尿の処理」だった。
京城府の経常支出のうち、81%を占めていた。

1910年代を通して、ふん尿の処理費用は経常支出の半分以上を占め続けた。
現在で言えば、ソウル市の最大の予算が「ふん尿くみ取り費」に
なったようなものだ。

その後、別の項目が大幅に増額されたことで処理費の割合は10%台まで
低下した。しかし処理費は、
水道費・事務費と並んで支出の上位3項目に入るほど、財政のかなりの
部分を占めた。

京城府は衛生事業を拡大するため、35年からふん尿回収の手数料を導入し、
36年には市の清掃義務を定めた「朝鮮汚物掃除令」が公布された。

回収されたふん尿は、光化門外の新堂里と麻浦の処分場に集められ、
肥料メーカーや農場、個別の農家などに販売された。

しかし全般的に、肥料としてのふん尿の需要は日本の大都市ほど高くはなく、処分場のふん尿滞積は常に問題となっていた。
化学肥料の導入、コレラ・寄生虫など衛生問題のため、後期になると
肥料としての価値は下落した。

 ふん尿処理は、植民地時代を通して京城府を苦しめた問題だった。

京城府は、回収がきちんと行われず、処分場があるせいで付近の住民が
受ける被害、また肥料メーカーに対する特別待遇や贈収賄問題、さらに
35年には回収手数料の導入などで頭を悩ませた。

NEWSIS/朝鮮日報日本語版
タグ:韓国
posted by 豊後国主 at 13:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 記事
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