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2016年04月19日

韓国の日本克服論

今日この朝鮮日報と中央日報かって想像もしえなかった記事だわ、いったい
どうしたことか。
もう十数年も前の阪神・淡路大震災の折、神戸の街のあちこちで火の手が
上がり町が悲惨を極めていたとき、韓国メディアの報道で、
「日本人も泣くんだ」とか報道していたが、あの折カメラの前で泣いて
いたのは皆あなたたちの国の在日の人間だ、・・・・・・
それほど日本を克服したければ日本を忘れることだ、そして、
「あのう、日本がどうかしました〜〜か」の心境になることだ。


【記者手帳】熊本地震、韓国人に問われる「真の克日の道」

それでも隣国・日本を助けるのが先だ
ネット記事の下には中傷コメント
政府は迅速対応チーム4人派遣しただけ
隣国のため最小限の措置は取らねば

毎日新聞の米村耕一ソウル支局長は17日、故郷の熊本に急いで行き、
戻ってきた。
両親に水と生活必需品を渡すためだった。米村支局長の父親は信徒約100人を
抱える教会の牧師で、教会の建物で暮らしている。
幸いなことに建物は崩れなかったが、飲み水さえまともに手に入らない
状況だ。
福岡空港に到着した米村支局長はスーパーで生活必需品を買い、車に積んだ。

通常なら1時間半ほどの距離だという熊本まで、4時間以上もかかって
到着した。
道路上は自衛隊車両・消防車・救急車でいっぱいだった。
父親は地震発生から数日間、建物が崩壊するのではと心配で車中で
寝起きしたという。息子に
「大きな地震が夜来るのではと思うと怖い。これから1週間は、大きな地震が
また来る可能性があるというから、みんな不安がっている」と語った。

今回の一連の熊本地震は農村部で発生、地震後に津波が伴わないため、
人命被害は東日本大震災よりも少なかった。しかし、
被災者は20万人に達するなど、生活の基盤があちこちで崩れている。
残念なのは、大きな不幸に見舞われた隣国の人々に対し、韓国人の温かさが
今回はあまり感じられないということだ。
熊本地震のインターネット記事の下に付いているコメントには、目を
背けたくなるほどの中傷やひどい内容が多い。

「皆さんが送ってくださった1杯のスープ、1枚の毛布が凍える体や心を
溶かしてくれました。
皆さんが示してくださった
絆(きずな=人と人の間の情やつながりを意味する日本語)に深く
感謝いたします」。
2011年4月11日、朝鮮日報に掲載された全面広告の言葉だ。
広告を掲載したのは当時の菅直人首相だった。
1カ月前に2万人の命を奪った東日本大震災の際、韓国が真っ先に救助隊を
派遣し、寄付を募ってくれたことに対する感謝の言葉だった。
ありがたかったという記憶は簡単には消えないようだ。
日本のテレビ番組で昨年、韓日国交正常化50周年について解説した
著名ジャーナリストの池上彰氏は
「韓国は東日本大震災時に真っ先に救助隊を派遣した国だった。
『反日、反日』だというが、有事の際には『私たちは隣人だから』という
気持ちで駆け付けてくれる関係だということを忘れないようにしよう」と
言った。

安倍政権の発足以降、韓日関係が悪かったのは事実だが、だからといって
人類愛まで放棄することはない。
韓国政府が17日、在外韓国人の安全を図るため、たった
4人の迅速対応チームを派遣したのも何だか狭量に見える。
地震の現場には被災して苦しんでいる多くの人々がいる。こうした人々の
支援のため、最小限の措置が必要なのではないだろうか。
今回の熊本地震を見ながら、真の克日の道とは何なのか、あらためて考える。

国際部=崔元碩(チェウォンソク)記者 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

極限状況で目を引く日本の市民意識
2016年04月19日08時03分 [中央日報/中央日報日本語版]


熊本地震3日目の17日午後、熊本国府高校。熊本市の避難所の一つ、
ここの運動場に住民が助けを求めるメッセージを作った。
学生の椅子180個を利用してだ。「カミ、パン、SOS、水」。
食べ物が配給されず、断水が続く中、救助隊と報道機関のヘリコプターに
状況を知らせるためだった。このメッセージはニュースで伝えられ、
この日夜、水とトイレットペーパー、コメが学校に届いた。
住民は救護品を付近の避難所の住民と分け合った。

熊本県を襲った連鎖直下型地震の震源地周辺は孤立した。
電気と水道水の供給が中断した。
主要道路と橋も崩壊した。コンビニの商品はあっという間に品切れになった。

インフラ被害で救護物資の配給が円滑に進まないところが少なくなかった。
住民は安心して家に帰ることもできない。14日以降、約500回の地震が
続いている。
建物の揺れが大きいマグニチュード3.5以上の地震が165回にのぼった。

住民が公共機関中心の避難所にあふれるしかなかった。

マグニチュード6.5の地震で大きな被害が発生した益城町の
避難所10カ所には17日、約1万6000人も集まった。
2日前に比べて8倍も増えた。
建物の中は足の踏み場もなく、外に毛布を敷いたりもした。
小・中学校は体育館のほか教室まで開放したが、それでも足りず一部の
住民は廊下で過ごしたた。
17日夜まで熊本・大分県では約11万人が避難生活をした。
車で数日間過ごした住民も少なくなかった。
2011年に日本の東北部を襲った東日本大震災とは違い局部型地震だが、
被害の強度が高く、ライフラインが断絶して生じた状況だ。

それでも避難所では乱暴な声は聞こえない。
救護品の遅れに対して政府や地方自治体を恨むこともなかった。
現地取材チームは、学校や公園の避難所で住民が長ければ2時間ほど列を
つくって水と食べ物の配給を受けたと伝えている。
昼食時間に食堂の前に並ぶ普段の姿と変わらなかった。
ある避難所では「食べ物がなくなった」という男性の高齢者に中年の
女性2人が自分の食べ物を渡し、家族8人に粥2杯を配給しても
もっと欲しいという人はいなかったという。
極限状況の中でも秩序意識と配慮の精神はそのままだった。

日本特有の結束力も発揮されている。
東日本大震災をはじめとする過去の地震被害地域は生活必需品を送り、
救護班を派遣した。
過去の恩を返し、地震のノウハウを伝授するという。成熟した市民意識、
全国的な連帯で自然の挑戦を乗り越えている。
タグ:韓国
posted by 豊後国主 at 13:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 記事
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