2016年01月19日
日本の天皇制を真似る〜〜?、北朝鮮
私もこういう話をずいぶん前だが聞いたことがある、北朝鮮が日本の天皇制を
真似るとは・・ 、日本の天皇制は一朝一夕にできたものではない。
2600有余年日本人が誇りと尊厳をかけて築き上げたもの、その証拠に先の
大戦において米軍も天皇制には手を出さなかった、日本人を統率するために
天皇陛下を利用したのだ。
現在世界において、古代継続国家、唯一の皇帝、世界の最高権威たる天皇を
真似ることなど不可能というもの・・・
あの共産主義国、世界の嫌われ者、中華さえも日本の天皇制には手も、口も
ださないというもの・・・・
「金正日、当初は3代世襲考えず…天皇制方式を考慮」(1)
2016年01月18日11時41分 [中央日報/中央日報日本語版]
2010年10月26日、
金正日(キム・ジョンイル)総書記(右から4人目)が後継者の
金正恩(キム・ジョンウン、右から3人目)、当時の張成沢(チャン・ソンテク)党政治局候補委員(左から3人目)とともに平安南道桧倉郡にある
中国人民志援軍烈士の墓地を訪れた。その後、
国防委員会第1委員長となった金正恩は2013年12月、叔母の夫の
張成沢国防委副委員長を処刑した。(中央フォト)
北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記(2011年死去)は当初、
3代まで権力を世襲する考えがなく、金日成(キム・イルソン)主席
(1994年死去)は自分の死後に後継者が主体路線から離脱する場合は拳銃で
射殺するよう側近に命令を出していたという主張が出てきた。
国家情報院海外・北朝鮮担当第1次長と大統領国家安保補佐官を務めた
羅鍾一(ラ・ジョンイル)漢陽大国際学部客員教授(75)は近く出版される
著書『張成沢の道:神政の不穏な境界人』(仮題)でこのように明らかにした。
『月刊中央』が入手したこの本の原稿によると、金正日は後継構図に関し、
周囲に「次は世襲による権力継承はない。金氏一族は今後、国家の正統性と
アイデンティティーを担保する象徴として、人民の忠誠の対象としてのみ残す」と話していたという。
この発言をした時期は特定されていないが、金正日は最も信頼できる側近
10人に「国家の運営は今日ここに来たあなたたちが担わなければいけない。
いかなる形であれ『一緒に』国を運営する案を考えてほしい」と述べ、
このように強調したという。
これに関し羅教授は『月刊中央』のインタビューで、
「金正日としても悩みが多かったはず」とし
「自分の息子に権力を譲るというには無理があり、かといって他の方法は
見えなかったのだろう」と述べた。
羅教授は「悩んで時間に追われることになり、3代世襲へ進む道のほかに
方法を探せなかったようだ」と分析した。
羅教授の取材源は、金正日が「一緒に考えてほしい」と述べた権力方式が日本の
天皇制に近いと説明したという。
金正日が日本の天皇制に似た制度を考慮したという報告を聞いた
金大中(キム・デジュン)元大統領が羅教授に
「そんなことが可能だろうか」と懐疑的な反応を見せたという内容もある。
羅教授の著書は金正日・金正恩世襲体制移行過程の秘史が書かれた
一種の証言録だ。
北朝鮮の権力委譲、国家路線に関する北朝鮮指導者の考えや発言が登場し、
ナンバー2で悲惨な最期を迎えた張成沢元労働党行政部長の行跡と発言もある。
羅教授は北朝鮮内部事情に詳しい中国・日本・韓国の専門家40余人を取材した。ほとんど公的・私的な人間関係を通じて北朝鮮権力側の機密に接することが
できる人物であり、匿名のインタビューをしたという。
「金正日、当初は3代世襲考えず…天皇制方式を考慮」(2)
この著書によると、金日成主席は健康が悪化した頃、自分が最も信頼する
側近10人を密かに呼び集めた。そして側近にグリップが銀の拳銃を
1丁ずつ渡した。金主席は自分が死亡した後に後継者の息子(金正日)が自分の
路線から逸脱してむやみに体制改革に手をつける場合、
「誰でもこの銃で彼を射殺しなさい」と命令したという。
条件を付けたとはいえ極端な措置を指示したのだ。
金日成のこの発言について羅教授は「改革・開放をするというのは結局、韓国が
歩んだ道を一歩遅れて追うということ」とし
「半世紀近い体制競争で敗北を認めることはできなかったという意味」と
解釈した。
中国式改革・開放を追求して最終的に殺された張成沢の運命も、こうした
側面ですでに予定されていたと、この本は書いている。
特に80年代半ばに黄長ヨプ(ファン・ジャンヨプ)北朝鮮労働党書記と
金日成主席の婿の張成沢は次のような対話をしたという。
「このままだと我々の経済は破綻しないだろうか。これをどうするべきか」
(黄長ヨプ)
「そんなことは絶対にありません」(張成沢)
「何か良い方策でもあるのか」(黄長ヨプ)
「我々の経済はすでに破綻しているのに、またどうやって破綻するのですか」
(張成沢)
北朝鮮は80年代末から90年代後半まで穀物生産量が急減し、配給制度が
崩壊し始めた。
こうした事態を予想していた黄長ヨプが金日成総合大学の弟子の張成沢に
危機感を吐露すると、張成沢はこのように受け返したのだ。
真似るとは・・ 、日本の天皇制は一朝一夕にできたものではない。
2600有余年日本人が誇りと尊厳をかけて築き上げたもの、その証拠に先の
大戦において米軍も天皇制には手を出さなかった、日本人を統率するために
天皇陛下を利用したのだ。
現在世界において、古代継続国家、唯一の皇帝、世界の最高権威たる天皇を
真似ることなど不可能というもの・・・
あの共産主義国、世界の嫌われ者、中華さえも日本の天皇制には手も、口も
ださないというもの・・・・
「金正日、当初は3代世襲考えず…天皇制方式を考慮」(1)
2016年01月18日11時41分 [中央日報/中央日報日本語版]
2010年10月26日、
金正日(キム・ジョンイル)総書記(右から4人目)が後継者の
金正恩(キム・ジョンウン、右から3人目)、当時の張成沢(チャン・ソンテク)党政治局候補委員(左から3人目)とともに平安南道桧倉郡にある
中国人民志援軍烈士の墓地を訪れた。その後、
国防委員会第1委員長となった金正恩は2013年12月、叔母の夫の
張成沢国防委副委員長を処刑した。(中央フォト)
北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記(2011年死去)は当初、
3代まで権力を世襲する考えがなく、金日成(キム・イルソン)主席
(1994年死去)は自分の死後に後継者が主体路線から離脱する場合は拳銃で
射殺するよう側近に命令を出していたという主張が出てきた。
国家情報院海外・北朝鮮担当第1次長と大統領国家安保補佐官を務めた
羅鍾一(ラ・ジョンイル)漢陽大国際学部客員教授(75)は近く出版される
著書『張成沢の道:神政の不穏な境界人』(仮題)でこのように明らかにした。
『月刊中央』が入手したこの本の原稿によると、金正日は後継構図に関し、
周囲に「次は世襲による権力継承はない。金氏一族は今後、国家の正統性と
アイデンティティーを担保する象徴として、人民の忠誠の対象としてのみ残す」と話していたという。
この発言をした時期は特定されていないが、金正日は最も信頼できる側近
10人に「国家の運営は今日ここに来たあなたたちが担わなければいけない。
いかなる形であれ『一緒に』国を運営する案を考えてほしい」と述べ、
このように強調したという。
これに関し羅教授は『月刊中央』のインタビューで、
「金正日としても悩みが多かったはず」とし
「自分の息子に権力を譲るというには無理があり、かといって他の方法は
見えなかったのだろう」と述べた。
羅教授は「悩んで時間に追われることになり、3代世襲へ進む道のほかに
方法を探せなかったようだ」と分析した。
羅教授の取材源は、金正日が「一緒に考えてほしい」と述べた権力方式が日本の
天皇制に近いと説明したという。
金正日が日本の天皇制に似た制度を考慮したという報告を聞いた
金大中(キム・デジュン)元大統領が羅教授に
「そんなことが可能だろうか」と懐疑的な反応を見せたという内容もある。
羅教授の著書は金正日・金正恩世襲体制移行過程の秘史が書かれた
一種の証言録だ。
北朝鮮の権力委譲、国家路線に関する北朝鮮指導者の考えや発言が登場し、
ナンバー2で悲惨な最期を迎えた張成沢元労働党行政部長の行跡と発言もある。
羅教授は北朝鮮内部事情に詳しい中国・日本・韓国の専門家40余人を取材した。ほとんど公的・私的な人間関係を通じて北朝鮮権力側の機密に接することが
できる人物であり、匿名のインタビューをしたという。
「金正日、当初は3代世襲考えず…天皇制方式を考慮」(2)
この著書によると、金日成主席は健康が悪化した頃、自分が最も信頼する
側近10人を密かに呼び集めた。そして側近にグリップが銀の拳銃を
1丁ずつ渡した。金主席は自分が死亡した後に後継者の息子(金正日)が自分の
路線から逸脱してむやみに体制改革に手をつける場合、
「誰でもこの銃で彼を射殺しなさい」と命令したという。
条件を付けたとはいえ極端な措置を指示したのだ。
金日成のこの発言について羅教授は「改革・開放をするというのは結局、韓国が
歩んだ道を一歩遅れて追うということ」とし
「半世紀近い体制競争で敗北を認めることはできなかったという意味」と
解釈した。
中国式改革・開放を追求して最終的に殺された張成沢の運命も、こうした
側面ですでに予定されていたと、この本は書いている。
特に80年代半ばに黄長ヨプ(ファン・ジャンヨプ)北朝鮮労働党書記と
金日成主席の婿の張成沢は次のような対話をしたという。
「このままだと我々の経済は破綻しないだろうか。これをどうするべきか」
(黄長ヨプ)
「そんなことは絶対にありません」(張成沢)
「何か良い方策でもあるのか」(黄長ヨプ)
「我々の経済はすでに破綻しているのに、またどうやって破綻するのですか」
(張成沢)
北朝鮮は80年代末から90年代後半まで穀物生産量が急減し、配給制度が
崩壊し始めた。
こうした事態を予想していた黄長ヨプが金日成総合大学の弟子の張成沢に
危機感を吐露すると、張成沢はこのように受け返したのだ。
タグ:韓国
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