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2015年09月19日

「恨」だけではない朝鮮陶工400年の命脈,韓国

1590年代、当時の日本は瓦職人が少なかった、拉致したのではなく、
日本に来てほしいと交渉したのだ、その証拠に、1600年代朝鮮通信使が
返してほしいと要求した時、学者や有識者は帰って行ったが、陶工たちは
帰らなかったのだ・・・
身分が保障され、陶工技術が奨励されたからだ、半島に帰っても未来は無いと
悟ったのだろう。
すべては李氏朝鮮王朝にある、1910年までの王朝の歴史をみれば
わかるだろう。


「恨」だけではない朝鮮陶工400年の命脈=15代沈壽官特別講演

「祖先の国・韓国と母の国・日本、両国が対立を克服し、真の友人になる日が
来ることを願っています」

ソウル大学博物館で17日、韓日国交正常化50周年を記念し
「朝鮮陶工400年の命脈」というテーマの特別講演が行われた。

演壇に立ったのは十五代沈壽官さん(56)=本名・沈一輝=。
16世紀末の丁酉倭乱(慶長の役)の際、現在の鹿児島県に連れていかれた
朝鮮人陶工、沈當吉(シム・タンギル)から数えて15代目の子孫だ。1598年、
現在の全羅南道南原市に住んでいた沈當吉は日本軍に捕まり、鹿児島に
連れていかれて、陶磁器を製造するようになった。
その子孫が400年以上もの間、朝鮮人の姓を名乗り続け、家業として陶磁器を
作り続けている。
十一代沈壽官(1835−1906)は1867年、パリ万国博覧会に陶磁器を出品して
名声を得ており、その子孫たちは伝統を受け継ぐという意味で、本名ではなく
「沈壽官」の名で活動している。

十五代沈壽官さんはこの日
「私の先祖は拉致という不幸な出来事によって家族と別れ、人生を
破壊されたが、『恨(ハン=晴らせない無念の思い)』だけでその後の人生を
歩んだわけではない。
悲しみの中でも、400年以上にわたって日本人から愛されて生きてきた私たち
一家は、両国が真の友人になることを願っている」
と話した。

ソウル大博物館は18日から11月半ばまで、沈壽官家に伝えられてきた
陶磁器約60点を展示する。
タグ:韓国
posted by 豊後国主 at 11:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | 記事
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