2015年05月06日
ワシントンに桜が咲く、韓国
조선을 위해 조선인들이 저지른 최악의 일은 이토를 암살하고 나의 후임자인 스티븐스 (Durham W. Stevens) 를 죽인 것이다. 내가 조선의 뛰어난 인물들과 민영환과 같은 열렬한 애국자들 그리고 황제와 그의 수다스런 내시들로부터 들은 것들을 종합햐 보면, 일본 천황이 용인한 이토 경의 제안은 일본, 중국, 조선 간에 긴밀한 동맹 관계를 맺도록 하는 방향임을 보여 주었다. (p. 234)
朝鮮人が朝鮮のためにやらかした最悪のことは、伊藤博文を暗殺し、私の後任者であるスティーヴンス (Durham W. Stevens) を殺したことである。私が朝鮮の際立った人物たちと閔泳煥のような熱烈な愛国者たち、そして皇帝とそのお喋りな内待たちから聞いたことを総合すると、日本の天皇が容認した伊藤卿の提案とは、日本・中国・朝鮮間に緊密な同盟関係を結ぶ方向だったことを示していた。
【コラム】ワシントンに桜が咲く
2015年05月05日16時20分 [中央日報/中央日報日本語版]
桜の花が散る風景は夢幻のようだ。
生と死の境界が曇る。カミカゼは桜の花が刻まれた零戦に乗って死と衝突した。
4月末、安倍首相が戦後初めて米上下院合同議会で演説をした日にも、
10万本の桜の花が一斉に降り、ワシントンDCを覆ったはずだ。そのためか
起立拍手を10回も受けた。米議会があれほど薄情に思えることはなかった。
「不動の軍事同盟」を担保に日本右翼の念願だった「平和憲法改正」に目を
つぶったオバマ大統領もそうだった。
世界最強の軍事同盟になったというのに感激しないはずはない。さらに
「軍隊のない国」の70年の歳月に終止符を打ったのだから。安倍首相は感慨に
浸り、賛辞を惜しまなかった。米国は日本民主主義の恩師であり、
西側世界の一員になったことは正しい選択だったと語った。
原爆被爆国であり敗戦国の心情を十分に理解するというように、戦勝国の米国は
日本を抱擁した。
真珠湾空襲、レイテ湾海戦は遠のき、あたかも両国が仲良く太平洋を分けていた
1919年以前に戻ったようだ。
そこまでは第3国として何も言えない。
しかし植民地国の血がにじむ歴史はどこへ行ったのか。過去の帝国の新しい
結合なら、少なくとも帝国主義が犯した人類史的犯罪に言及してこそ正しい。
米国の植民地は官僚間接統治で、日本は軍部直接統治だったことは誰もが知って
いる。
直接統治も天皇にのみ従属する形態だった。
牽制のない暴圧政治がそのために可能だった。
日本は善良な近隣諸国を銃刀で踏みにじった罪を一つ一つ告げてこそ、民主国家の資格を取得する。戦後、西側世界の一員になったのなら、なぜ韓国を
「西側との聖戦」に追いやったのか理解と許しを求めなければならない。
米国戦没将兵だけを哀悼するのではなく、徴兵、徴用された数十万人の韓国人と
虐殺された中国人がいる。終戦70年目に初めて招請された米議会演説で
あるだけに、「アジア諸国民に苦しみを与えた」「痛切な反省」などの包括的な
表現でごまかすべきではなかった。
慰安婦問題が「韓国疲労症」を生んでいるのかは知らないが、それは帝国的犯罪の象徴であり雷管だ。
ところが安倍首相は「人身売買」という商業的用語で本質を糊塗し、
南京虐殺には言及もしなかった。なぜか。
日本精神史の盲点を突いた東京大の丸山真男教授の痛恨の概念が思い浮かぶ。
日本の精神空間には過去の記憶の欠片と異質的要素が混在する。
それらの倫理的緊張を管轄する中枢的論理がない。すべての行為を正当化する
源泉である天皇は、支配集団の「共同謀議」に対する責任回避の公用安全弁だ。
現実の擁護と未来の出口のためなら、過去の記憶を再配置し、時には忘却の
倉庫に送る。過去が自覚的に現実と向き合わないこうした構造を、丸山教授は
「無責任の伝統」と呼んだ。「過去を押しのけて新しいものにいちはやく
取り替える」日本精神史の病理的症状だ。それで「過去の歴史を十分に謝罪した」とか「韓国・台湾・中国の発展に寄与した」という没歴史的発言が可能になる。
このような特質が遺憾なく発揮された安倍外交のワシントン決裁式が
「大アジア主義」
被害国には帝国侵略に対する一括的免罪符のように見える理由だ。
こうした中、米連邦議会議員25人が一斉に非難声明を出した。
実用主義の波にも米国的良識は光る。過去を回避する日本の態度と被害国の心情を理解する元老議員の歴史意識には、終戦後に開かれた東京戦犯裁判のドラマが
生々しいはずだ。真珠湾空襲決定を下した東条英機首相に「誰の責任か」と尋ねたところ、回答はこうだった。
「私は臣下にすぎない…私は総理大臣という職責を与えられただけであり…」。
これが八紘一宇の秩序を建設し、皇道を世界万国に植えようと戦争を辞さなかった日本ファシズムの総責の弁明だった。
ノーラン(B.Nolan)検察官が上海総司令官の松井石根隊長に南京虐殺の
責任を尋問したところ、「軍司令官でなくその地域の師団長の責任」という
答弁が返ってきた。
米国人検事は太平洋戦争の究極的な責任者を捜し回る状況だった。
韓国も過去の歴史に対する謝罪を受けようとほとんど狂いそうな状況だ。
万世一系の天皇秩序、皇宗皇祖の神聖的啓示によるすべての過ちは崩壊した
ファシズムとともに埋められた。
残酷な暴力統治を考案した張本人も無責任の空間で蒸発した後、過去の歴史に
責任を負うべき現代の日本はない。
河野洋平元官房長官や村山富市元首相は「無責任の伝統」から外れた人だ。
民主党のランゲル議員をはじめとする25人の議員も例外的な米国人でないことを願う。来年もワシントンDCに桜の花が降るとしても。
宋虎根(ソン・ホグン)ソウル大教授・社会学
【噴水台】本当の外交とはこういうもの=韓国
2015年05月05日13時46分 [中央日報/中央日報日本語版]
かなり前、娘が小学生の時の話だ。
長く暮らした米ロサンゼルス近郊の小さな家には、家と家の間に塀がなかった。
80歳以上の一人暮らしの隣のおばあさんから焼きたてのパンや熟したイチジクをもらって食べるなど親しく過ごした。
おばあさんが健康かどうか私はいつも見ていたし、何かあれば私の家の窓を
たたくように伝えていた。
ある日、裏庭で子どもと子犬と遊んでいる時、おばあさんが玄関のベルを押した。塀もない家。
そのまま裏庭に来てもかまわないが、あえて玄関まで来て彼女が渡したものは
ビニール袋に入った子犬の排泄物。子犬の世話をきちんとしろということだ。
正しい言葉だが、当惑した。言葉で言えばいいものを、ビニールにそれを
入れてくるとは。その時に初めて知った。
いくら親しくても米国の人たちは必要に応じて急変することもあるということを。
人と人、あるいは国と国。お互い親しく過ごすには相手の特性を先に
把握することが重要だ。
先日、オバマ大統領と安倍首相の両首脳が会う場面。
「友情誇示、称賛リレー、国賓待遇、そしてお世辞…」。終始、憂うつだった。
韓国ともっと親しいと思っていた米国。それは錯覚だった。
自分たちだけが孤独になった気分。その日、慰安婦問題は両首脳の間で
イシューにもならなかった。それでも中国は私たちの兄弟か。いや。中国も最近、安倍首相との関係が妙だ。
「一緒に行こう」というリッパート駐韓米国大使の一言に治癒祈祷会まで
開きながら大騒ぎし、何かあれば怒り、すぐにみんな忘れて。
これではあまりにも単純ではないだろうか。利益を追って動く国際社会に
「常に我々の味方」はない。
借金だらけの債務者に「お金を返さなければ対話をしない」と会うたびに
催促すれば、お金も受けられず死ぬまで敵になる。相手を先に分析し、それに
合わせて対応してこそ、お金も返ってくる。
日本に接するたびに慰安婦問題を先に突きつけてきた従来の外交方式を
今からでも少し変えてみよう。
一日も早く解決するべき重要なイシューであるのは確かだが、ひとまず背中の
後ろに隠し、日本の国民性に合わせて我々も仮面でもかぶって同じように
二重的に接近しよう。国と国の間では義理より実益だ。
「元慰安婦女性53人ノーベル平和賞候補推薦案」の話を聞いた。実によい。
そのような形で隠密に拡大していき、国際問題として公論化しよう。
私たちの口では泰然と日本と対話し、他人の口を通じて慰安婦問題を
国際問題として取り上げさせる。これが本当の外交だ。
オム・ウルスン文化未来イフ代表
朝鮮人が朝鮮のためにやらかした最悪のことは、伊藤博文を暗殺し、私の後任者であるスティーヴンス (Durham W. Stevens) を殺したことである。私が朝鮮の際立った人物たちと閔泳煥のような熱烈な愛国者たち、そして皇帝とそのお喋りな内待たちから聞いたことを総合すると、日本の天皇が容認した伊藤卿の提案とは、日本・中国・朝鮮間に緊密な同盟関係を結ぶ方向だったことを示していた。
【コラム】ワシントンに桜が咲く
2015年05月05日16時20分 [中央日報/中央日報日本語版]
桜の花が散る風景は夢幻のようだ。
生と死の境界が曇る。カミカゼは桜の花が刻まれた零戦に乗って死と衝突した。
4月末、安倍首相が戦後初めて米上下院合同議会で演説をした日にも、
10万本の桜の花が一斉に降り、ワシントンDCを覆ったはずだ。そのためか
起立拍手を10回も受けた。米議会があれほど薄情に思えることはなかった。
「不動の軍事同盟」を担保に日本右翼の念願だった「平和憲法改正」に目を
つぶったオバマ大統領もそうだった。
世界最強の軍事同盟になったというのに感激しないはずはない。さらに
「軍隊のない国」の70年の歳月に終止符を打ったのだから。安倍首相は感慨に
浸り、賛辞を惜しまなかった。米国は日本民主主義の恩師であり、
西側世界の一員になったことは正しい選択だったと語った。
原爆被爆国であり敗戦国の心情を十分に理解するというように、戦勝国の米国は
日本を抱擁した。
真珠湾空襲、レイテ湾海戦は遠のき、あたかも両国が仲良く太平洋を分けていた
1919年以前に戻ったようだ。
そこまでは第3国として何も言えない。
しかし植民地国の血がにじむ歴史はどこへ行ったのか。過去の帝国の新しい
結合なら、少なくとも帝国主義が犯した人類史的犯罪に言及してこそ正しい。
米国の植民地は官僚間接統治で、日本は軍部直接統治だったことは誰もが知って
いる。
直接統治も天皇にのみ従属する形態だった。
牽制のない暴圧政治がそのために可能だった。
日本は善良な近隣諸国を銃刀で踏みにじった罪を一つ一つ告げてこそ、民主国家の資格を取得する。戦後、西側世界の一員になったのなら、なぜ韓国を
「西側との聖戦」に追いやったのか理解と許しを求めなければならない。
米国戦没将兵だけを哀悼するのではなく、徴兵、徴用された数十万人の韓国人と
虐殺された中国人がいる。終戦70年目に初めて招請された米議会演説で
あるだけに、「アジア諸国民に苦しみを与えた」「痛切な反省」などの包括的な
表現でごまかすべきではなかった。
慰安婦問題が「韓国疲労症」を生んでいるのかは知らないが、それは帝国的犯罪の象徴であり雷管だ。
ところが安倍首相は「人身売買」という商業的用語で本質を糊塗し、
南京虐殺には言及もしなかった。なぜか。
日本精神史の盲点を突いた東京大の丸山真男教授の痛恨の概念が思い浮かぶ。
日本の精神空間には過去の記憶の欠片と異質的要素が混在する。
それらの倫理的緊張を管轄する中枢的論理がない。すべての行為を正当化する
源泉である天皇は、支配集団の「共同謀議」に対する責任回避の公用安全弁だ。
現実の擁護と未来の出口のためなら、過去の記憶を再配置し、時には忘却の
倉庫に送る。過去が自覚的に現実と向き合わないこうした構造を、丸山教授は
「無責任の伝統」と呼んだ。「過去を押しのけて新しいものにいちはやく
取り替える」日本精神史の病理的症状だ。それで「過去の歴史を十分に謝罪した」とか「韓国・台湾・中国の発展に寄与した」という没歴史的発言が可能になる。
このような特質が遺憾なく発揮された安倍外交のワシントン決裁式が
「大アジア主義」
被害国には帝国侵略に対する一括的免罪符のように見える理由だ。
こうした中、米連邦議会議員25人が一斉に非難声明を出した。
実用主義の波にも米国的良識は光る。過去を回避する日本の態度と被害国の心情を理解する元老議員の歴史意識には、終戦後に開かれた東京戦犯裁判のドラマが
生々しいはずだ。真珠湾空襲決定を下した東条英機首相に「誰の責任か」と尋ねたところ、回答はこうだった。
「私は臣下にすぎない…私は総理大臣という職責を与えられただけであり…」。
これが八紘一宇の秩序を建設し、皇道を世界万国に植えようと戦争を辞さなかった日本ファシズムの総責の弁明だった。
ノーラン(B.Nolan)検察官が上海総司令官の松井石根隊長に南京虐殺の
責任を尋問したところ、「軍司令官でなくその地域の師団長の責任」という
答弁が返ってきた。
米国人検事は太平洋戦争の究極的な責任者を捜し回る状況だった。
韓国も過去の歴史に対する謝罪を受けようとほとんど狂いそうな状況だ。
万世一系の天皇秩序、皇宗皇祖の神聖的啓示によるすべての過ちは崩壊した
ファシズムとともに埋められた。
残酷な暴力統治を考案した張本人も無責任の空間で蒸発した後、過去の歴史に
責任を負うべき現代の日本はない。
河野洋平元官房長官や村山富市元首相は「無責任の伝統」から外れた人だ。
民主党のランゲル議員をはじめとする25人の議員も例外的な米国人でないことを願う。来年もワシントンDCに桜の花が降るとしても。
宋虎根(ソン・ホグン)ソウル大教授・社会学
【噴水台】本当の外交とはこういうもの=韓国
2015年05月05日13時46分 [中央日報/中央日報日本語版]
かなり前、娘が小学生の時の話だ。
長く暮らした米ロサンゼルス近郊の小さな家には、家と家の間に塀がなかった。
80歳以上の一人暮らしの隣のおばあさんから焼きたてのパンや熟したイチジクをもらって食べるなど親しく過ごした。
おばあさんが健康かどうか私はいつも見ていたし、何かあれば私の家の窓を
たたくように伝えていた。
ある日、裏庭で子どもと子犬と遊んでいる時、おばあさんが玄関のベルを押した。塀もない家。
そのまま裏庭に来てもかまわないが、あえて玄関まで来て彼女が渡したものは
ビニール袋に入った子犬の排泄物。子犬の世話をきちんとしろということだ。
正しい言葉だが、当惑した。言葉で言えばいいものを、ビニールにそれを
入れてくるとは。その時に初めて知った。
いくら親しくても米国の人たちは必要に応じて急変することもあるということを。
人と人、あるいは国と国。お互い親しく過ごすには相手の特性を先に
把握することが重要だ。
先日、オバマ大統領と安倍首相の両首脳が会う場面。
「友情誇示、称賛リレー、国賓待遇、そしてお世辞…」。終始、憂うつだった。
韓国ともっと親しいと思っていた米国。それは錯覚だった。
自分たちだけが孤独になった気分。その日、慰安婦問題は両首脳の間で
イシューにもならなかった。それでも中国は私たちの兄弟か。いや。中国も最近、安倍首相との関係が妙だ。
「一緒に行こう」というリッパート駐韓米国大使の一言に治癒祈祷会まで
開きながら大騒ぎし、何かあれば怒り、すぐにみんな忘れて。
これではあまりにも単純ではないだろうか。利益を追って動く国際社会に
「常に我々の味方」はない。
借金だらけの債務者に「お金を返さなければ対話をしない」と会うたびに
催促すれば、お金も受けられず死ぬまで敵になる。相手を先に分析し、それに
合わせて対応してこそ、お金も返ってくる。
日本に接するたびに慰安婦問題を先に突きつけてきた従来の外交方式を
今からでも少し変えてみよう。
一日も早く解決するべき重要なイシューであるのは確かだが、ひとまず背中の
後ろに隠し、日本の国民性に合わせて我々も仮面でもかぶって同じように
二重的に接近しよう。国と国の間では義理より実益だ。
「元慰安婦女性53人ノーベル平和賞候補推薦案」の話を聞いた。実によい。
そのような形で隠密に拡大していき、国際問題として公論化しよう。
私たちの口では泰然と日本と対話し、他人の口を通じて慰安婦問題を
国際問題として取り上げさせる。これが本当の外交だ。
オム・ウルスン文化未来イフ代表
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