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2014年12月09日

日本も本気で対策を・・

徹定して反日を扇動するのか、文化財を取り戻して倉庫に保管するだけだろよ。
何年か前朝鮮戦争で焼けた文化財、日本にあった同じものを返しても国民に
展示するわけでもなく、無関心に倉庫に保管しているだけ・・・


軍用機で稼いだ李英介のコレクション、日本の製菓一族が引き取る(1)
2014年12月09日11時25分 [中央日報/中央日報日本語版]

日本で最初の首都であり8世紀には日本初期仏教の本山でもあった1300年の
古都・奈良。
この都市の真ん中に、仏教伝統とは全く違うルネサンス式の西洋建物が建っている。
黄色い壁が印象的な奈良国立博物館だ。この博物館は仏教芸術で特に有名だ。
そんな場所の収蔵庫に、朝鮮時代の傑作が眠っているとは誰も予想できなかった。

李英介(イ・ヨンゲ)が収集した貴重なコレクション109点が所蔵されていると
いう情報提供により、
奈良国立博物館を訪れたのは今年9月末だった。
情報提供者によれば現所有者は李英介コレクションを博物館に委託して保管証まで
受けとったという。

こうした事実を確認するために博物館所属の学芸員に李英介コレクションの存在の
有無を尋ねた。すると彼は
「担当分野ではないのでよく分からない」として「電子メールで再び問い合わせて
くれれば調査して知らせる」と言った。しかし数日後、
電子メールで再度質問すると奈良国立博物館側は
「個人が委託した文化財については一切知らせないのが博物館の原則」として回答を
拒否した。

「李英介コレクション」と呼ばれるこの文化財は、李英介が日帝時代および解放後に

収集した美術品として彼が日本に渡る中で持ち出したと推定されている。
飛行機をつくって日本に納品していた李英介は、事業家だけでなく美術商としても
名をはせる。彼は日帝時代から韓国の文化財を多数、日本に流出させた疑いを受けた。疑惑の実体が現実となってあらわれたのだ。

この文化財は、李英介が亡くなった後に彼の遺族らが所有して、
日本のある製菓企業の代表一族へ渡ったという。この一族から、
李英介コレクションの盗難リスクなど保管上の困難により奈良国立博物館に
委託されたと推定される。日本の博物館では、個人所有の文化財を委託保管する
ケースが多い。奈良国立博物館の場合、自前の所蔵品は1862点に過ぎない一方、
委託品はこれよりも多い1994点に及ぶ。

一方、李英介は1976年に日本で『朝鮮古書画総覧』という朝鮮時代の絵と文字を

収録した図録を発刊したことがある。
この日本語版の図録には韓石峰(ハン・ソクボン)、金弘道(キム・ホンド)、
張承業(チャン・スンオプ)、李ハ應(イ・ハウン)呉世昌(オ・セチャン)ら
朝鮮時代最高の大家たちの書画が含まれている。したがって

奈良国立博物館に保管中である李英介コレクションには、この図録に収録された
作品のうちの相当数が含まれていると推定されている。図録に出てきた作品のうち、
韓石峰の書とともに朝鮮時代の傑作に挙げられる南啓宇(ナム・ゲウ、号は一濠)の
蝶々の絵大院君(テウォングン)李ハ應の蘭の絵、楊基薫(ヤン・ギフン、号は石然)の雁の絵などがここに含まれている。

軍用機で稼いだ李英介のコレクション、日本の製菓一族が引き取る(2)

古美術専門家であるイ・ウォンボク京畿道(キョンギド)博物館長は8日「李英介が
朝鮮時代に書画を取り扱っていたことは知られているが、これほどのコレクションが
奈良国立博物館に保管されているというのは初めて聞いた事実」と話した。

チェ・ウンチョン東国(トングク)大学教授はこの日「博物館の収蔵庫内にいかに
多くの遺物が保管されているのか、そしてどれほどの価値があるかを調査することが
必要だ」と指摘した。それと共に
「仏画・仏像などは盗難にあったものが少なくないが、朝鮮時代の書画はまともに
取り引きされたケースが多く、李英介コレクションを違法に流出させたと
断定するのは難しい
」として「可能ならば購入などの正当な方法で取り戻すのが
良いようだ」と付け加えた。
李英介コレクションと推定される作品図録を見たチェ教授は
「偽物が多い韓石峰の書は真偽を見極めなければならないが、南啓宇ウの蝶々の絵は
非常に優れており、大院君の蘭も素晴らしい作品のようだ」と評した。

◆親日企業家・李英介とは

李英介は日帝時代に軍用機を作って納品した代表的な親日企業家だ。
1906年慶尚南道(キョンサンナムド)に生まれた彼は、
13歳の時に日本に渡った後、現地で小役人として社会生活を始める。
その後34年に事業家に転身し成功を収めて帰国、38年から松島航空機の
理事として仕事をしながら飛行機との縁を結ぶ。太平洋戦争の末期である44年には
軍用機メーカーである金剛航空工業の社長に在職して解放を迎えることになる。
彼は大東亜共栄圏の宣伝の先頭に立った東洋協和会会長および皇民実践協議会の
政治局員としても活躍した。
解放後には反民特別委に逮捕されて特別検察部に送検されたが、まもなく釈放された。61年の5・16軍事政変が起きると直ちに日本から脱出し、その後亡くなったと
言われるが死亡時期は明確ではない。李英介は美術商としても有名だったが、
日帝時代に日本へ数多くの文化財を流出させたという疑いを受けてきた。
彼は別の親日派である尹宇景(ユン・ウギョン)旧皇室財産総局局長と結託し、
徳寿宮(トクスグン)美術館が所蔵してきた日本の有名画家の作品5点を日本に
横流しした疑いも受けている。また彼は日本海軍の名将・東郷平八郎と
親しかったという。自身を英国のネルソン提督に例えた称賛に、東郷が
「李舜臣(イ・スンシン)に比べれば私は下士官レベルにもならないだろう」と
話したという事実も、李英介が聞き伝えたことになっている。
タグ:韓国
posted by 豊後国主 at 20:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | 記事
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