アフィリエイト広告を利用しています

広告

posted by fanblog

2014年07月24日

悲しみに彷徨う、大韓民国号

7万年の歴史を持つ半島人も、悩み、苦悩していますね!
まあ、おおいに悩むことです、千年たっても同じでしょう、名〜んも変わらない!?
ww ww ww


【コラム】「やればできる」時代の終焉=韓国(1) 2014年07月23日16時35分
中央日報/中央日報日本語版]

数日前に面白い新聞記事を見た。着実に努力すれば誰でも頂上に上がれるという
「1万時間の法則」が、実は間違っていた話だというものだ。
1万時間努力するには一日3時間、一週間20時間ずつで計10年がかかる。しかし
米国研究チームが努力と先天的な才能の関係を研究した結果、多くの分野において
持って生まれた才能が努力よりもはるかに重要な要因だと明らかになったと
記事は伝えている。
音楽では才能79%・努力21%で、スポーツは才能82%・努力18%だった。
学術分野はさらに深刻で96%と4%の比率だった。勉強する頭は持って
生まれたものだという話が合っているようだ。昨日、
トップピアニストのソン・ヨルム氏に会ったついでに「音楽では才能が79%、
努力21%だというのが、その通りか」と尋ねた。
「そのようだ」として「才能をあらわす機会がはるかに少なかった昔は、
多分90%程度と比重がさらに高かっただろう」と答えた。

「天才は1%の霊感(ひらめき)と、99%の努力で成り立つ」というエジソンの
名言も実際は「99%の努力も、たった1%の霊感なしには効果がない」と
いうことだという。持って生まれた才能がそのように決定的ならば、
私たちのような凡人の立場としては気が抜けるばかりだ。努力すればどうなると
いうのか。すでに生まれる時から遺伝子に成功の可否が刻まれているのだ。
今月初め、東京の国際図書展に行って買ってきた新刊1冊が、このような人間の
不平等起源論(?)を後押しした。題名は『努力不要論』。
医学博士であり脳科学者である中野信子氏が書いた本で、題名そのまま
「無駄に努力する必要はない」という内容だ。自分の主題を把握できず、むやみに
努力からしてみる「努力中毒者」は他人に利用されたり被害を及ぼしたりするのが
常だと主張する。
日本人は特に「努力信仰」を持つ「努力教」信者が多くて大変だと心配している。
第2次世界大戦に飛び込んで敗れたのも対策なしに努力と精神力だけを強調した
指導者のためだと一蹴する。

植民地と戦争の廃虚を踏みしめ60年以上にわたり突き進んできた韓国も、
努力崇拝主義ならば地球上のどこの国にも劣らない。
小学校の時から机の前に「努力の末に成功」「努力は成功の母」を張っていたし、
少し成長して漢字でも習えば「苦尽甘来」と句を変えた。
努力信仰の仲良しは結果、至上主義であった。冬の季節、国連軍の墓地に麦を植えて
青い芝のように見えるようにしたという企業家の臨機応変が誇らしい伝説として
記録された。「やればできる」の時代であった。
「できなければできるようにしろ」が特殊戦司令部兵営を超えて
社会の隅々にまで鳴り響いた。

【コラム】「やればできる」時代の終焉=韓国(2)
2014年07月23日16時39分 中央日報/中央日報日本語版]

もはや若者たちはだまされない。努力が全てではないということをよく分かっている。努力以外の要因が作用するという事実を、あまりにもよく分かっているようで心配に
なるほどだ。
社会がそれだけ変わった。高度成長は終わり、当代の成功神話はこれ以上使われない。ソウルでわが家はおろか住宅保証金を用意するのでさえも6年分の給料を一銭も
使わずに集めなければならない。
国民の57.9%が「一生努力しても社会経済的な地位が高まる可能性が低い」と
考えている(統計庁、2013年社会調査)。社会の躍動性や階層上昇の可能性が
顕著に減ると、若者たちが合コンで相手の親の職業や住んでいる街から尋ねるという
悲しい話が出回る。

既成世代が「やればできる」時代の観点から抜け出して、根本的な発想の転換を
する時であるようだ。手段と方法を選ばず目標さえ実現すれば良いという
結果至上主義から脱却し、原則と常識を前面に出す時代に突入しなければならない。
私は朴槿恵(パク・クネ)大統領が話した「非正常の正常化」もこうした思考の
枠組みの転換を前提にするものだと思っている。
「はやくはやく」と「大ざっぱ」を捨てて、力がいっぱい入った肩を緩くして、
目に漂った充血を和らげて、無理に追い抜いたり割り込んだりしない、
常識が通じる社会のことだ。のろくてもじわじわと進む、何より互いに尊重して
配慮する社会への大転換だ。たとえ胸に響く成功談や驚くような反転は少なくても、
一度力を出せばぴったりそれだけの結果が出るのが一般的な風景ならば良い。
結果だけに縛られて無理と便法・違法、集団間の癒着が日常的に広がる社会とは
決別しなければならない。もともとだめなものは誰がやってもだめで、
無理にしようとしていたらかえってひどい被害をこうむってこそ当然だ。

正当な努力ならば、なぜ役に立たないのだろうか。自分を把握できず、
他人に配慮せずに実利に目がくらんで無理を犯せば、いつかは支障が出る。私たちは、やればできるという古い神話に安住して、たまった請求書があふれ返った状況に
置かれている。その渦中で気の毒な子供たちだけが犠牲になっているようで胸が痛む。明日は、セウォル号惨事100日目だ。

ノ・ジェヒョン中央ブックス代表
タグ:日本、韓国
posted by 豊後国主 at 10:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 記事
この記事へのコメント
コメントを書く

お名前: 必須項目

メールアドレス: 必須項目


ホームページアドレス:

コメント: 必須項目

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/2616083

※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック
リンク集
最新記事

プロフィール
豊後国主さんの画像
豊後国主
初参加 2010年 7月30日
プロフィール
写真ギャラリー
カテゴリアーカイブ
わーい(嬉しい顔)"カチィ・・” と 応援宜しくわーい(嬉しい顔)
にほんブログ村 通販ブログへ
にほんブログ村
最新トラックバック
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。