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2014年04月03日

10隻〜〜〜 見くびるな22隻だ

201404031559000.jpg


10隻ではないぞ、22席だ、まあこれはさておき、今我が家の上では大降りの
雨ではないが、激しい雷がなっている。
早く書き上げて電源を切ろう。
データが消えてしまうから・・・・写真は我が家のうえの空模様

日本の軍需産業、敗戦前は世界最高水準

三菱重工業が開発した日本の航空自衛隊の戦闘機F-2は「平成のゼロ戦」という別名を
持つ。ゼロというのは第2次世界大戦当時、三菱が生産した日本の主力戦闘機
「零式艦上戦闘機」のことだ。
そこには日本の軍需産業復活に向けた野望が込められている。

日本の軍需産業は第2次大戦当時、世界最高の水準だった。
ゼロ戦はエンジン性能と機体強度では米国の戦闘機に劣ったが、航続距離、
空中での旋回能力は世界最高だった。
ゼロ戦の航続距離を生かし、米軍戦闘機では接近できない距離から米軍を攻撃する
「アウトレンジ戦法」を取り、戦争初期に相当の戦果をもたらした。

ゼロ戦と共に日本の当時の技術が凝縮されているのが戦艦「大和」だ。
大和は世界最大の主砲(46センチ)を搭載し、世界最大の排水量(7万2809トン)を
誇った戦艦だった。
ナチスドイツの戦艦ビスマルクと共に、当時の戦争原則だった「巨艦巨砲主義」を
最も理想的に具現したと評価されたが、戦争末期に制空権を失い、米戦闘機による
波状攻撃で沈没した。米国が当時、原爆の初の投下地として広島を選んだのは、
呉海軍工廠を無力化する狙いがあった。大和はそこで建造されたものだった。

日本は当時、空母建造能力まで完璧に保有していた。1922年に建造した空母
「鳳翔」は商船や貨物船を改造したのではなく、世界で初めて起工時から空母として
設計された。日本は第2次大戦中に合計で10隻の空母を保有していた。

日本の軍需産業は敗戦直後、米軍によって崩壊しかけたが、韓国戦争(朝鮮戦争)が
起き、「米軍の後方支援」という名目で、制限された範囲内で復活した。
日本の軍需企業である三菱重工業、IHI、川崎重工業、新明和工業などは当時、
日本の軍需産業を率いた企業だ。

東京=安俊勇(アン・ジュンヨン)特派員 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
タグ:韓国、日本
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