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2014年03月18日

追憶。。幸セだった13年間

一番幸せだったのは 3月18日 [産経抄]
あの国の、あの邪悪な共産主義者がよくもここまで踏み切ったものだと・・
だが、あの国を評価してはならない。
これにより日本人の多くが心に緩みをもつだろう、”勝って兜の緒を締めよ”の
諺のごとく侮ってはいけない。

一番幸せだったのは 3月18日 2014.3.18
[産経抄]

8年前、79歳で亡くなった詩人の茨木のり子さんに、祖母を題材にした
「答」という作品がある。
「ばばさま/ばばさま/今までで/ばばさまが一番幸せだったのは/いつだった?」。

 ▼14歳だった茨木さんが問いかけると、「間髪を入れず」に答えが返ってきた。
「『火鉢のまわりに子供たちを坐(すわ)らせて/かきもちを焼いてやったとき』」。歓声を上げる子供たちのなかに、茨木さんの母親の姿もある。

 ▼北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父、滋さん(81)と母、
早紀江さん(78)が、めぐみさんの娘のキム・ウンギョンさん(26)と、
モンゴルで面会していたことがわかった。
ウンギョンさんが同じ質問をしていたら、早紀江さんは、めぐみさんとのどんな
思い出を話し聞かせただろう。

 ▼「若い時のめぐみの感じによく似ている」。
横田夫妻にはひ孫に当たる生後10カ月の女児を連れて来たウンギョンさんについて、早紀江さんはきのうの会見で、こう語っていた。
教科書にも掲載されている茨木さんの「わたしが一番きれいだったとき」は、
戦争で奪われた青春をうたった詩だ。めぐみさんは、北朝鮮によって13歳以降の
人生を奪われた。早紀江さんは、
「一番きれいだったとき」のめぐみさんの面影を、ウンギョンさんのなかに
見つけたのだろう。

 ▼横田夫妻は、何よりも知りたいめぐみさんの安否について、面会で触れなかった。「政治的な問題がからむ場にしたくなかった」からだという。もっとも、
第三国での面会を認めた北朝鮮に、何らかの政治的な思惑があるのは明らかだ。

 ▼横田夫妻が「奇跡的な日」とふり返る今回の面会を、めぐみさんを含めた
全被害者救出につなげることができるか。これからは、まさに政治の出番である。
posted by 豊後国主 at 06:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | 記事
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