2014年10月13日
Seoul Survivor @Seoul
「古きソウル」を探し歩いたが、鍾路(チョンノ)では結局、出会えなかった。
どの路地を歩いても、出迎えてくれるのは工事のフェンスばかりで、
写真を撮る気も店に入る気力も奪われた。
ピマッコル通りにからみつくように海産物が売りの道、居酒屋が並ぶ通り、
韓定食を楽しむことができる路地などが営業していた。
これらの店の寿命も時間の問題なのだろうか。
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昼の時間は閑散としていて、路地を通り抜けていく人ばかり。
開発の波に浸食される一方の印象だったが、
夜になると活気づいて、違い表情を見せているのだろうか。
飲み屋さんが多いだけに、闇が訪れると活況を鳴らしているのだろうか。
鍾路の大通りからピマッコルの狭い路地を北に抜けると、急に警官の制服姿が増えた。
その辺りは大使館や役所が連なり、
星条旗がはためく門の前では立番の警官が警棒を杖のようにして仁王立ち、
その向こうの大使館の玄関前には大きな移動交番のバスが、
アイドリングしたまま、止まっていた。
遠くには小山がきれいな青空をバックに鎮座している。
高級レストランの予約は、一休.comレストランで・・・。
ピマッコル通りや居酒屋通りを支えていたのは役所で働く人たちだったのか。
どこの国でも飲み屋街を支えるのはお役所だったり、
グルメ・ストリートを作り上げるのは色街だったり、
街の成り立ちには意外な背景がある。
ピマッコルもそうしてできあがったのだろう。
道にあふれる制服姿を眺めながら歩くと、
頭の中にある記憶の画像と目の前に見える画像が合致した。
見覚えがある小山は、景福宮や昌徳宮を守るようにして鎮座するあの山だったのだ。
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古くからこの国のメイン・ストリートだった鍾路は、
その北側に景福宮や昌徳宮の王宮を備えている。
それを囲むように王宮で働く人たちや武家が住んだ仁寺洞や三清道・北村が成り立ち、
鍾路の南側には少し距離をおいて庶民の町・明洞。
それを挟むように商人の町・南大門、東大門が佇まいをみせるわけだ。
ポケットに突っ込んでいた市内地図を広げてみるとそれらが公式のように並んでいた。
バラバラに歩き、見ていたものがパズルのパーツのように今つながった。
6月18日−DAY3
写真1; 狭い路地でまだまだ元気に営業している店も多い
写真2; かつての「ピマッコル通り」も半面は工事中
写真3; 3〜4件軒を連ねる床屋さん。ここは「健全」な床屋さんです
写真4; 再開発の一角に火事跡の居酒屋。小火で焼けたのか、はたまた・・・
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