2023年10月26日
アスリートファーストに感じる違和感を知る
アスリートファーストは誰のため?
アスリートファーストという言葉が当たり前の様に使用されている。確かに、アスリートが最高の結果を残して世界記録を更新したり、感動する試合をしてくれることはスポーツファンとして嬉しい限りである。ただ、よくアスリートファーストと連呼しているが、それは本当に正しいと言えるのだろうか?その点に疑問を感じ始める。
アスリートが最高のパフォーマンスを出せるようにして欲しいのは誰もが思うことである。ただ、実際には競技や国、アスリート自身によって大きく異なるだろう。しかし、大会や競技会を開催している人たちよりアスリートの方が上に位置していること自体に違和感を感じる。
ABEMAの公式サイトはこちらから
お互いの尊重が必要
国内規模であろうが世界規模であろうが多くの人たちが競技の成功のために働いています。それこそ縁の下の力持ち状態であり、アスリートだけでなくチケットのもぎりから警備まで競技を成功しているために働いています。これはお互いが存在しないと成功しない。しかも、協議によれば何億円も稼ぐアスリートのためにワーキングプア程度の収入しかない人たちが働いているとも言えます。そのため、お互いが尊重しあわないといけないのは確かです。
毎年、夏には甲子園予選で審判の誤審が問題になります。技術の進歩により誤審かどうかが明確になっている点もあります。もちろん、高校生に悔いが残らない様にしてあげたい感情はわかります。しかし、審判も人間である以上は誤審もおこりうる問題だけでなく、ほとんどボランティアに近い形で協力しています。そうすると、リスクを負ってまで審判をしたい人が増えるでしょうか?
結果、アスリートファーストの考え方は大事かもしれません。だからと言って、大会に関係した全ての人にも等しく尊重されるべきでしょう。ただ、人気がある競技で扱いに明らかに差があるにも関わらずにアスリートファーストと大会中に連呼するのはどうなんでしょか?普段からもっと報道して欲しいものです。
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/12276322
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック