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2024年12月29日

李白

李白


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李白(701~762)

○略歴
 李白(り はく)は、中国盛唐の詩人。字は太白(たいはく)。号は青蓮居士。李白の出自および出身地には諸説あり、詳細は不明である。5歳頃から20年ほどの青少年期、蜀の青蓮郷を中心に活動した。725年(開元13年)、25歳の頃、中国各地を放浪する。732年、32歳の時、安陸県(湖北省)の名家で、高宗の宰相であった許圉師の孫娘と結婚し、長女李平陽と長男李伯禽という2人の子が生まれている。742年(天宝元年)、玄宗に仕える。744年、長安を離れ、杜甫と出会って意気投合し、親しく交遊した。また阿倍仲麻呂とも親交があった。唐代のみならず中国詩歌史上において、同時代の杜甫とともに最高の存在とされる。奔放で変幻自在な詩風から、後世「詩仙」と称される。









●晩年考
 757年(至徳2年)、当時、李白は廬山(江西省)に隠棲していたが、玄宗の第16子、永王李?の幕僚として招かれた。だが永王は反乱軍と見なされ、追討を受けて敗死。李白も捕らえられ、流罪となった。759年(乾元2年)、白帝城付近で罪を許され、もと来た道を帰還することになる。この時の詩が「早に白帝城を発す」である。赦免後の李白は、長江下流域の宣城(現安徽省宣城市)を拠点に、再び各地を放浪し、762年(宝応元年)の冬、宣州当塗県の県令李陽冰の邸宅で62歳で病死した。『新唐書』などにある有名な伝説では、船に乗っている時、酒に酔って水面に映る月を捉えようとして船から落ち、溺死したと言われる。





唯一現存する李白の真筆(北京故宮博物院所蔵)



 ★「早發白帝城」抜粋:朝辭白帝彩雲間(朝早くに美しい雲がたなびいている白帝城を出発し) 千里江陵一日還(江陵までの距離千里を一日でかえってきた)・・・覚えはある。しかし、本来漢文って授業でもあまり好きでなかったから、覚えられませんでした。



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