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アンデルセン(1805~1875)
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ハンス・クリスチャン・アンデルセン(Hans Christian Andersen)は、デンマークの代表的な童話作家・詩人である。デンマークでは、Andersen が非常にありふれた姓であることから、フルネームを略した H. C. Andersen(デンマーク語読みで "ホー・セー・アナスン")と呼ばれる。22歳の病気の靴屋の父と数歳年上の母親の家で産まれた。彼の家は貧しく一つの部屋で全員が眠った。両親の愛と母親の盲信によって育てられ、若い頃から想像力を発揮した。オペラ歌手になろうとし、1819年コペンハーゲンに行った。オペラ歌手に成ることには失敗し挫折する、その後も挫折を繰り返し、デンマーク王立バレエ団のバレエ学校にも在籍していた。その後デンマーク王や政治家のコリンの助力で教育を受けさせてもらえる事になり、大学にまで行くことが出来た。1835年に最初の小説『即興詩人』を出版、『童話集』を発表する。その後も死ぬまでの間に多くのおとぎ話を発表しつづけた。アンデルセンの童話作品はグリム兄弟の様な民俗説話からの影響は少なく、創作童話が多い。コペンハーゲンにある人魚姫の像は有名。
●晩年考
極度の心配性であったらしく、外出時は非常時に建物の窓からすぐに逃げ出せるように必ずロープを持ち歩いた。さらに、眠っている間に死んだと勘違いされて、埋葬されてしまった男の噂話を聞いて以来、眠るときは枕元に「死んでません」という書置きを残していた。70歳の時に肝臓癌で死去する。亡くなった時は、フレゼリク王太子や各国の大使、子供から年配者、浮浪者に至るまで葬式に並ぶ騒ぎになるくらい世界中の人々に愛されていた。
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人魚姫の像(コペンハーゲン)
★彼の恋は常に失恋の連続だった。その要因として、容姿の醜さ、人付き合いが下手だったことなどが挙げられている。・・・そうしてみれば『みにくいアヒルの子』ってどういう物語だったっけ?・・・彼自身とは関係ないか!?
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